三章(4)
次の日の朝、授業前に小夜子の教室に向かった。なんだか嫌な予感がしたので、早めに伝えたほうが良いと思ったのだ。
「なに? 盗まれたくらいで大袈裟だって、そんなの鍵かけてなかったほうが悪いよ」
小夜子もまた、和泉と同じ反応だ。これは伊織が過剰に反応しているのだろうか。そうなのかもしれない。
「そうなんですけど……」
やはり、気にしすぎだろうか。
「ま、同じクラスの人が怪しいよね。でも使ってすぐ返してくるかもしれないし。期待しとけば」
「そうですか」
「そんなことより、お兄さん、いつ帰ってくるの?」
残念ながら、小夜子には危機感はあまりないようだ。久美のほうが気になるらしい。
「あ、次の休みです。お盆は忙しいらしくて、時期が早まったんです」
「ほんとに! 私会いたいなー、ちょっとでも会えない?」
「え、あー。いや」
口ごもっていると、なにか語りだした。教室に他に人がいるのに気にしていないようだ。
「私は早く結婚して、誰よりもセレブな生活を送るの! キミのお兄さん、いいよね。年上だし、長男だし遺産もらってそうだし」
ウキウキと身体を揺らす。
「私は色葉先生みたいなセレブになるの!」
「え、色葉先生ってお金持ちなんですか?」
初耳だった。というかそんなことまで知っているのか。
「玉の輿だよ! なんか議員と結婚したって! いいなー、私も金持ちに生まれるか、金持ちと結婚したい」
「というか、色葉先生っ結婚してたんですね」
若く見えるのに、意外だ。いや、でも年齢不詳といえばそうなのかもしれない。
「そうだよ、子供もいるんじゃない? 知らないけど。あぁいいなー、議員の子供に生まれたかったー」
子供までいるのか、全然そうは見えない。
驚く伊織を尻目に、小夜子は言葉を続けた。
「というわけで、頼むよ。私は議員の子供じゃなく、地主の妻として生きる!」
「あの、親戚も来るので、ちょっとそれは……」
「こんな話はしないよ。そうだな。前日にはきてるでしょ。それに聞きたいこともあるし」
「え、聞きたいことって?」
ロリコンとかそういうことだろうか。小夜子のことだ、ありえなくはない。
「今絶対失礼なこと考えたでしょ?」
「え、いや……」
図星を突かれて目線を逸らす。これでは自分のほうが失礼な奴のようではないか。
「私が聞きたいのは、六年前のこと、教室のだいたいの場所も聞いてないし。そもそもお兄さん、新聞部だったわけでしょ。他にも絶対なにか知ってるって!」
「あー、そうですね」
ちゃんと考えていてくれて安心する。曖昧に笑うと、不満そうな表情を見せた。
「あのさぁ、私が結婚しか頭にない女だとでも思ってるの?」
「すみません、どう見ても……」
「本当に失礼すぎる。まぁいいや、とにかく、アポ取っといてよね」
「はい」
返事をして、気になっていることを口にする。つい声が低くなる。
「あの、それより。どうして僕にだけ手紙がこなかったんでしょう」
「そういえば、そうだね。しょぼい物取りの餌食にしかなれないキミってちょっとかわいそうだよね」
「そういうことではなくてですね」
なんでこんなに貶されなければならないのだろうか。理不尽さに少し腹が立つ。
「そもそもあんなの貰いたがるキミの気持ちがわからないよ。気持ち悪いだけだよあんなの」
「和泉先輩と同じこと言ってますね」
「え、まじで? じゃあ今の撤回」
うわー、と心底嫌そうに首を振る。
「まぁいいです。とにかく、なんとかしないと、もう取り返しのつかないところまできてるのかも」
「たしかに、犯人に目を付けられた感はあるよね」
「というかキミは別にして、私はか弱い女の子だから、かなり心配だよ」
「はぁ……」
どう答えたらよいのかわからず、頷く。
小夜子は伊織の表情を見て、溜息をついた。
「まぁいいや。キミが失礼なのは今に始まったことじゃないしね」
どいつもこいつも、とぶつぶつと呟く。
そのとき、廊下から誰かが歩いてきた。登校する時間にしては遅い気がする。もうすぐ予鈴が鳴る時間だ。
「あれ、空蝉さん。おはよ。糸杉君もよく一緒にいるね。付き合ってるの?」
「違いますよ!」
夏実だった。そういえば小夜子と同じクラスとか言っていた気がする。
「そういう夏実は和泉とどうなの?」
夏実の言葉に反応せず、小夜子はそう訊ねた。
「え? 俺? なんでもないよ、普通に友達やってるし」
「親友から友達に格下げっと、メモしなきゃ」
「あー、いや、親友だよ、親友」
嫌味なく笑って見せる。顔が良いせいか、周りの生徒も夏実のほうを見ているようだった。
「まぁそりゃそうだよね。あんなことがあったらギクシャクするよね」
「だからギクシャクしてないって!」
「まぁいいけど。せいぜい気をつけてね」
「別に気をつけることなんてないって」
夏実は少しムキになっているようだが、小夜子はこのやり取りに飽きてきたようだ。
「あ、そう。ところで鍵返してくれる?」
「あぁ、ごめんごめん。忘れてた」
夏実はポケットから鍵を取り出して、小夜子に手渡した。たぶんあのときの、屋上の鍵だろう。
「ずっとポケットに入れてたわけ?」
「そうみたい」
「ありえない、失くしてたら社会的に半殺しにするところだったよ」
たしかに管理が悪いと思う。返すのも遅すぎる。
ルーズだとは聞いていたけれど、これは想像以上かもしれない。
「なにだよそれ、こわいなぁ」
「私ってば優しいから、本当に殺したりしないの。偉すぎる」
「あー、わかったわかった」
夏実がそう答えると、予鈴が鳴った。
「じゃあ僕もそろそろ行きますね」
伊織は踵を返すと、小夜子は冗談を飛ばした。
「え、まだ私の美貌について語ってないじゃん」
「授業あるだろ」
夏実は冗談かどうかを理解しているのだろうか。しかし、授業を受ける気はあるようだ。
「あんたが授業真面目に受けるとか、雨降るんじゃない?」
「失礼だなおい」
「あの、これ今に始まったことじゃないので」
怒る夏実を収める。
「それもそうだな」
単純なのか、すぐに納得した様子で頷いた。
「二人して私のこといじめて楽しいの? いじめ、カッコ悪いよ!」
「あー、はいはい。じゃあまた」