三章(3)
「いやぁ、びっくりしたよ。突然家にきて、『生きてるか?』なんて聞くもんだから」
夏実が明るい声色で言う。
「うわぁ」
そんな夏実に小夜子は眉をひそめる。
「どうかしたんですか?」
帰ろうとした矢先、教室まできて呼ばれ、今日は活動しない生徒会室に集まった。
すでに部屋には和泉と夏実、小夜子が揃っていた。
「昨日、下駄箱に紙が入ってたじゃん。あれが――」
小夜子は言いづらそうにして、小さく折りたたまれた紙を渡す。
汚い血文字が書かれていた。
『首を突っ込むな』
「なにこれ……」
「ねぇ、気持ち悪いってこんなの」
「俺のところにも来て、さ」
和泉がやはり小さく折りたたまれた紙を渡してきた。
やはり血文字だったが、書かれていた文字は違った。
『当然の報い』
「前の壁の文字と一緒ですね」
「同じ文面とか、思いつかなかったのかな?」
小夜子が不思議そうに首を傾げる。
「あえて、じゃないですか?」
伊織が答えると、今度はなにか考え込んだ様子だ。
「つまり前と同じ人がやったってこと?」
「模倣犯の可能性もあるが」
和泉も考え込んでいる様子で、部室の空気が重くなる。
「ちょっと待って。前もこんなことあったの?」
夏実がついていけていない。空気を読むということもこの人は苦手なんだろうか。
和泉が嫌がる様子もなく、かいつまんで説明する。
「へぇ、そういや無駄に一部分の壁だけ綺麗になってたな」
「聞いてくれればよかったのに」
和泉が残念そうに呟くが、夏実は屈託なく笑う。
「いや、別に大掃除したのかと思って」
「バカだ……」
小夜子が鼻で笑ったが、和泉はにこにこと笑ったままだ。
「俺はバカな夏実が好きだよ」
「はいはい、キモいキモい」
「ところで、見上先輩は?」
昨日様子がおかしかったので、いると思ったのだが、見当たらない。
和泉もそれは感じていたらしく、溜息をついた。
「今日来てないみたいなんだよな」
「へぇ……怪しいね」
「はい」
小夜子と伊織が同意する。
「え、なんであいつが怪しいの?」
「お前さっきの話聞いてた?」
夏実は状況が今いち呑み込めていないようだ。小夜子はいらいらした様子で声を荒げる。
「……ごめん、俺は黙ってたほうがいいみたいだわ」
「また一つ賢くなったみたいね」
「おい空蝉、あんまり夏実のことバカにすると怒るぞ」
「あれ? バカな夏実のことが好きなんじゃないっけ?」
また険悪な雰囲気になりそうだ。とりあえず話を進めなければ。
「あのう、見上さんに話を聞きたいと思うのですが」
「家まで行くのか?」
和泉が訊ねるので、頷く。この事態はただ事ではない。話が早くて助かった。
「てかあいつの家どこ?」
「俺知ってるぞ」
「なんで? は、ストーカー!?」
小夜子が椅子を引いて和泉から離れようとするが、当の和泉は気にしていない。
「書類に書いてあるんだよ。……っと、わりと遠いな」
「えー、私今日ちょっと忙しいから遅くなるのは困るんだけど」
「あ、俺も今日は……」
小夜子に続き夏実も、今日は検査があって……と、言葉を濁す。
「そうだな、大人数で行くのもよくないし、俺と糸杉君で行こう」
「わかりました」
返事をすると、小夜子と夏実はいそいそと部室を去る。
しばらく和泉は書類を片づけていたが、すぐにそれを終え、一緒に見上の家に向かうことにした。
「その、悪かったな」
「え?」
「空蝉のこと、もうちょっと仲良くできたらと思うんだが……」
「いや、あれは小夜子先輩がほとんど悪いと思うので、気にしなくていいと思います」
和泉は空気が読めるようだ。伊達に生徒会長をやっているわけではないらしい。
「それに、僕のほうもすみませんでした。先輩のことを疑ってしまって、色々と詮索を――」
「あぁ、そうだな。ビデオカメラまで持ち出したときは驚いたよ」
「あはは」
伊織が笑うと、和泉も小さく微笑んだ。
「でもまぁ、結果的によかったんだと思う。これで」
「……そうですね」
なんと答えたら良いのかわからず、曖昧に笑うしかない。
そうこうしているうちに目的地に到着したようだ。
インターフォンを鳴らすと、和泉は外用の顔になった。
「あのう、すみません。見上那智君と同じ学校の者ですが――」
「こんにちは」
以外にも見上本人が出てきた。顔をしかめて、深く息を吐く。
「どうしました? あ、うーん、まぁ、とりあえずあがってください」
ぎしぎしと鳴る階段を昇って、見上の部屋に通される。お茶くらい出して欲しかったが、我慢する。
「今日はどうしたんだ?」
「あの会長、申し訳ないんですけど、僕学校はしばらく休みます」
「なんでですか?」
見上の返答に伊織が答えたのが癪に障ったのか、ぎろりと睨まれる。
「ちょっと、色々あって」
下を向いて口をつぐむ見上に和泉は二つの紙を取り出した。さっき見た、血文字が書かれた紙だ。
「俺と空蝉の下駄箱に手紙が入っていた」
「……え」
見上は驚いた顔をしている。なにかぶつぶつ呟いているが、まだ下を向いたままだ。
「心当たりは?」
「えっと……」
そこで顔を上げて、部屋に置いてある鞄の中を漁る。
「僕にも、昨日帰るときに、手紙が入っていて……」
『知りすぎた』
同じような血文字で書かれていた。
「『知りすぎた』ねぇ、これに関して心当たりはあるのか?」
「いえ……、でも学校に行ったら、僕も竹本さんの二の舞ですよ」
「そうか」
「あの……」
猫のことを言うべきだろうか。ここで言わないと、もう言う機会がなくなる気がした。
そう思って声を上げたが、見上に再び睨まれたので口をつぐむ。
「えっと、たぶん、あの日……」
「あの日?」
和泉が首をかしげる。しかし頭の良い和泉のことだ。話の流れからして、察しはついているのかもしれない。
「猫が死んでたじゃないですか」
「あぁ、そうだな」
「あれは僕なんです」
察しはついていたかもしれないが、この展開は予想がつかなかったものだったのだろう。驚いて、見上を見つめる。
「え? なんで?」
「それは……、個人的に」
見上は口ごもって下を向く。和泉も察したのか、ただ少しだけ大きく息を吐いただけだった。
「まぁそのことについてはいい。他に知っていることは?」
「竹本先輩については知りません。血文字も知らないです。でも、この手紙の前にもまだ手紙があって――」
ごそごそと、また鞄を漁る。
『噂を流せ』
これも血文字で書かれていた。明らかに何かの意図を感じる。
「なんだこれ」
「わからないです。だから適当に昨日話した話を何人かに話しました」
「意味がわからない」
和泉は頭を抱えた。しかしこれ以上話しても解決にはならないだろう。それはみんなわかっていた。
「もういいですか?」
「あぁ」
「お邪魔しました」
和泉は部屋を出る。続けて部屋を出ようとしたが、見上に呼び止められた。
「ねぇ」
びっくりして振り返る。神妙な顔をした見上に肩をたたかれた。
「僕から言えることが一つある」
「なんですか?」
こそこそと、耳元で囁いてくる。
「次はお前だよ」
「え?」
「じゃ!」
戸惑う伊織の目の前で部屋のドアが閉まる。廊下に和泉と伊織が取り残された形になる。
「なにか言われたか?」
「え、いえ、なんでも……」
動揺が伝わらないようにするので精一杯だ。できるだけ普段通りの自分を意識する。
「にしても個人的に動物を殺すって、あれは幼少期に問題のある可能性が高いな」
和泉は一人納得したように頷いているが、伊織はそれどころではなかった。
「あの、どうして僕には手紙がこなかったんでしょう?」
「は? なにお前、手紙欲しかったの? 気持ち悪いだけだぞあんなの」
「いや、首をつっこんでいたのは僕も同じなのに、どうしてかなって……」
明らかにおかしい。見上も、きっとそのことをおかしいと感じているのだろう。
「明日あたり、入ってたりな」
「ちょっと学校に寄ってみます」
見上の家を出ると、再び学校に戻るために走り出した。和泉も後ろから追ってきているのがわかるが、走るのが遅いのか、すこし距離がある。
学校に到着する。下駄箱には何もなかったので階段を駆け上がり、念のため教室の机と、それからロッカーを調べる。
「……ない」
ロッカーに入れておいた定規とカッターがなくなっている。
辺りを探してもない。机にもどこにもない。
「おい、突然走ってどうしたんだ」
和泉はぜいぜいと息を切らしながら階段を昇ってくる。一年生の教室は四階にあるので昇るのも疲れるだろう。
「僕の定規とカッターがなくなってるんです」
「は? どこに置いておいたんだ?」
和泉は心配そうに訊く。それもそうだ。授業で使うのだから、なくなったら大変だ。
「ロッカーです」
「鍵は?」
「かけてなくて」
「普通に盗まれたんじゃないか?」
そんなに慌てなくても、と続ける。
「そうですかね……」
「まぁ、あんまり考えすぎないことだな」
「新しく買っておけばいいんじゃないか?」
「……はい」
またお金がなくなる。でもまぁこれは必要経費か。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「はい」
なんだか嫌な予感がした。