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一章(1)

「今年から“かくれんぼ”を廃止しようと思う」

 生徒会の会議で、和泉有理会長が口火を切った。

 話を聞く糸杉伊織はなんのことだかわからず首を傾げる。

 伊織は、この中学校で一年生として入学してきたばかりだというのに、生徒会に推薦され、雑用を任されている。というのは、実家が地主で金持ちだからという理由が大半で、推薦されたに過ぎない。

 不本意ではあったが断りきれず、この生徒会でやっていくことを決めた。会議に参加こそしているが、発言力はないに等しく、特にこうした会議では、上の言うことをそのまま受け流すことが多かった。

「反対の者はいるか?」

 和泉の声に、周囲は恐れた。顔を伏せ、身を縮こませた。

 反対することは、生徒会に楯突くことを意味する。それだけは避けたいことだった。

 しかし疑問なものは疑問だ。わからないことをそのままにしておくな、と死んだ父が言っていた。

 勇気をもって、発言する。

「すいません、それってなんですか?」

 伊織の問に、何人かが動揺の色を見せた。

 質問することがおかしいのではなく、今まで質問などしようとする者がいなかったからなのだから、特に問題はないだろう。そう考え自分を納得させる。

 和泉は眼鏡の奥から鋭い目つきで伊織を睨んだが、そんなことはおかまいなくそれを受けとめる。

「いや、俺もよくわからないんだ。資料に書いてある。なんでも三年に一度の行事らしい」

 和泉はそう答えてからやっと目を逸らした。眼鏡のブリッジを上げて、再び書類に目を落とす。既に先ほどの鋭い眼光はない。

 三年に一度の行事、ということは、今在籍している生徒は誰もその行事のことを知らないのではないだろうか。具体的になにをするのか全くわからないまま、廃止するというのはいかがなものだろう。

 伊織がそう考えていると、書記の竹本由紀夫が口を開いた。

「それって、一クラスだけ選んで、放課後かくれんぼするってやつだよな」

 竹本は和泉と仲が悪いらしく、よく会議が長引く原因となっていた。竹本は、今の生徒会のメンバーで唯一、会長の和泉に意見することができる人物といえるだろう。

 仕事のできる人物なので、書類には一通り目を通しているのだろう。過去の情報などにも詳しいこの先輩が、行事について詳しく知っていてもなにもおかしくはない。

 生徒会室の空気は、なにか起きる予感を感じたメンバーの戦々恐々とした雰囲気にのまれつつあった。

 伊織は自分が質問したことでこんな空気になったのか、と少し反省した。しかし、その行事を廃止する理由も全くわからないこの状況に疑問が残る。口を挟むのを止める気は、更々なかった。

「あぁ、そうそう。なんか過去には事故とかも起きてるみたいだし、廃止にしたほうがいいと思うんだが」

 いつもの淡々とした口調で和泉が答える。しかしそれは、誰にも反対させない、といった意思の強さも垣間見えた。

 伊織はまたすぐに口を開いた。周囲のメンバーが、黙っていろ、という目線を送っていることには気づいていたが、そんなことはおかまいなしだ。

「事故? 事故って――」

 「なんですか?」と言葉を続けようとしたが、それは遮られた。

「俺は反対だ」

 いつになく強い口調。竹本の言葉に、空気が一層張り詰めたものになったのを感じた。

 それまで淡々と話していた和泉も、少し苛々したように机をトントンと叩く。

 書類に落としていた目も、竹本に向けられている。それは、伊織を睨んだものよりも強く、攻撃的なものになっていた。

「ほう……なぜ?」

 背筋が寒くなるような冷たい声。もしそれが自分に向けられているものだったら、怯えて従ってしまいそうなほどのものだった。

 そんな迫力で、しかし決して声を荒らげることもなく、和泉は竹本を見つめた。

「えっと……それは、」

 竹本は、どういう訳か返事に臆してしまった。いつもなら、はっきりと裏付けされた資料のもと反論をするのに、今回はそれをしない。

 裏付けもなく意見を口にしたのか、それとも普段よりも一層鋭い冷酷さを見せた和泉に戸惑っているのか、いずれにせよ、竹本は黙り込んでしまった。

 前代未聞の出来事に、メンバーも困惑した様子だ。

 静かだが、しかしはっきりと和泉の勝利が確実なものになっている、とその場の全員が悟った。

「理由もなく事故が起きている危険な行事を行いたい、と。理解に苦しむな」

 和泉は勝利を確信したのか、笑みさえ浮かべている。唇の端を釣り上げて、目はそれでも変わらず竹本を射止めていた。

「理由は、ある」

 竹本はそう言いながらも、額に汗を浮かべていた。たしかに締め切られた部屋は暑かったが、それにしても竹本は尋常ではない量の脂汗を滲ませていた。

「ほう」

 それだけ答えて和泉は理由を話すように竹本を促す。

 竹本のほうは、拳を握って震えていた。ギリギリと音がしそうなほど、白くなるまで強く握りこんでいる。

「あの、昔からあるものだし、突然廃止するとなると、色々としがらみがあるのではと思って……」

 いつもとは対照的に、奥歯にものが挟まったような言い方だ。

 こんな勝算のない、明らかに準備不足の状態での意見は、竹本らしくなかった。

 和泉から笑みは消え失せ、無表情に返事をした。

「それについては心配しなくていい。俺がなんとかする」

 いつもの竹本なら、「しがらみ」などという曖昧な言葉はあまり使わない。具体的に、そして冷静に和泉を追い詰めていくのだ。

 実際、竹本の反対で通らなかった企画もある。またその逆もしかりだ。

 だからこそ、今の状態は異様だった。

「えっと、でも――」

 その言葉は続かなかった。ただ口をパクパクさせるだけで、反論する言葉がでてこない。

「反対は一人でいいかな?」

 和泉の言葉は、議論の終了を意味した。多数決を取って、決定だ。あとは全校生徒に知らせて、それで終わり。

 竹本もしぶしぶ書類にハンコを押し、役職のついている他のメンバーもそれに続いた。

「じゃあ、これで――」

 和泉がそこまで言ったとき、放課後の放送が始まった。最終下校時刻になったことを告げている。

「解散」

 和泉の言葉で会議は終了した。

 なにか、怯えているような竹本は、鞄を抱えて足早に部屋を出ていく。

 和泉は書類に目を落としたまま、釈然としない表情だ。やがて書類を引き出しに仕舞い、戸締りの確認を始めた。

 伊織も、いつまでも残っているわけにはいかず、部屋を出る。

「おっつかれー!」

 部屋を出てすぐに声をかけられた。

 三年生の空蝉小夜子。どういうわけか、伊織に付きまとい、逐一生徒会の動向を探ってくる。

 長い黒髪に、大きな瞳が特徴的で、セーラー服がよく似合っている。すらりとした手足は白い。壁にもたれて腕を組んでいたが、そんな姿も様になっていた。

 聞いた話によると、この学校では美人で有名らしく、人気の生徒だという。付きまとわれて迷惑している、と口にしようものなら嫉妬されるか、自慢と受け止められるだろう。先輩ということもあり無下にもできず、結局いつも言いなりになる。

 こんな風に会議後に待っているのはいつものことで、なんやかんやで一緒に帰宅することもある。今日もきっと、そうなるだろう。

「今回も凄かったね。竹本のやつ、また和泉に反対してたし」

 そう言いながらも、どこか口調は楽しげだ。

 長く、まっすぐな髪を耳にかけ、こちらに近づいてきた。白い首筋が一瞬だけ見える。

「あの、先輩、毎回思うんですけど、どうして僕に付きまとうんですか? それに会議の内容もなぜか知ってるし……」

 竹本が和泉に反対するのはいつものこととはいえ、まるで会議を見ていたかのような口ぶりだ。

 小夜子は、伊織の肩をポンと叩くと唇を耳元に近づけた。囁くような小さな声で答える。

「ふむ、世の中には盗聴器という便利なものが存在していてね」

 驚きのあまり動けない。小夜子はクスクスと笑いながら伊織から離れた。いたずらっぽい笑顔で、首を傾げる。

「え? それって……」

 混乱と焦燥で足が震える。それが本当なら、かなり問題になるのではないだろうか。怒られるとかそんなレベルではなく、警察沙汰にもなり得る。

 伊織の顔を覗き込み、小夜子はケラケラと笑った。そして、開いたドアから、生徒会室の中を見、和泉に手を振る。

「冗談だよ、冗談。なに怖い顔してんの? そんなのちょっと考えればわかるよ。和泉のやつ、眉間の皺すごいもん」

 「ほら」と、生徒会室の彼を指さす。和泉は小夜子を睨んだが、何処吹く風でまたひらひらと手を振った。

「じゃ、帰ろっか」

 そう言って、廊下を歩き出す。

 結局今日も一緒に帰ることになるのか。

 伊織は鞄を持ち直して、彼女のあとを追った。長いスカートから、白い足がちらちらと見え隠れする。

「で、どう?」

 小走りで横に並ぶと、小夜子はそう切り出した。後ろを見ると、灯りのついた生徒会室はもう小さく見えていた。廊下には他に人影はない。大声を出さない限り、会話が聞かれることはないだろう。

「どう、とは?」

 盗聴器のことだろうか。冗談、と言っていたが、あまり笑えない冗談だった。

 しかし、「面白くない」と面と向かって言ってしまっていいのだろうか。

 返事を考えあぐねていると、小夜子は不機嫌そうに顔をしかめた。

「もう! 私の推理だよ! まぁあいつらが対立するのはいつものことだけどね」

 腕を組み、歩きながら、うんうん、と頷いている。

「はぁ……」

 会議の内容に聞き耳を立てていたわけではなさそうだ。推理、と言えるほど大層なものではないが、当たっているので何も言えなかった。

 小夜子は伊織の反応を気にせず、言葉を続ける。

「ちなみに私がキミにつきまとってる理由は簡単だよ。生徒会の情報がこんなに簡単に手に入るなんて、なかなかないからね」

 もはや誤魔化す気もないらしい。きっぱりと言い切る小夜子は清々しいまでの笑顔だった。

「あのう、先輩がもし先輩じゃなかったら僕絶対断ってるんですけど」

 そして強めに……、は言えないかもしれないけれど、こんな風につきまとわれることだけは避けたはずだ。いくら小夜子が美人だからといって、譲れない部分はある。

 そんな伊織の態度にも、小夜子は全く動じない。それどころか、大袈裟に肩をすくめて、ため息までついてみせた。

「そりゃそうでしょ。私だってつきまとう相手くらい選ぶよ」

 「そうでしょ普通?」とあざとく首を傾げる。

 不意打ちの仕草にドギマギしてしまって思わず目を伏せた。

「……そうですか」

 別に年上だけがタイプというわけではないのに、小夜子といると調子が狂う。たまにとてもドキリとさせられる表情や動作をするので、困ってしまうのだ。

 小夜子はどこ吹く風で、さらりと話題を戻す。

「で、今日の議題は?」

 少し強めの口調。今までの会話の誘導もあってか、つい口を割ってしまう。いつものことだが、こういった会話の運びはうまいもので、目を見張るものがある。

「あ、そうだ。先輩、“かくれんぼ”っていう行事知ってます?」

 伊織としても、小夜子にこのことを聞いてみたかった。小夜子は見た目に反して情報通だ。大胆にもマスコミ部とやらに噂話を売っているという噂も耳にする。

 伊織につきまとっているのも、金になりそうな情報があるか探っているからではないだろうか。

 ギブアンドテイクが成り立っているといえば、成り立っているのだろう。

 小夜子は、なにか考えるように顎に手を当てて、少し下を向いた。

「うーん、なんか聞いたことはあるけど。あれって、結構危険らしいね。事故っていうか、事件も起きたらしいし」

 言いにくそうに言葉を発する。

 事件? 事件ってなんだ?

「事件?」

 驚いて思わず声が大きくなる。自分でもびっくりして、思わず口元を押さえた。

「あ、先生さようならー」

 小夜子は前方に向かって手を振っている。

 いつの間にか、誰かが廊下を歩いてきていたようだ。今までの会話を聞かれていないか、少し心配になった。特に今の自分の大きな声は、確実に聞かれていただろう。

 伊織の心配をよそに、小夜子はそんなこと気にしている素振りすら見せない。対先生用優等生の笑顔を浮かべている。

「さようなら。気をつけてね」

 どうやら、前から歩いてきたのは色葉真理子だったようだ。六年前からいる女の先生で、生徒からは「色葉先生」と慕われている。清楚で人気のある教師だ。

 色葉はにっこりと笑うと、すれ違いざまに小夜子に手を振った。

「ごめん、えっと。で、なんだっけ?」

 小夜子は満足そうに手を下ろすと、伊織のほうを向き直った。

 あの、作られた笑顔ではなく、自然な表情に戻っていた。

「あの、だから、事件があったって……」

 声を低くして答える。振り返って、後ろを確認する。廊下が暗いせいもあってか、色葉の姿はもう見えない。話を聞かれる距離ではないだろう。

 あまりおおっぴらにしていい話ではないはずだ。こんなことで目をつけられたり、怒られたりすることは避けたい。

 小夜子もそのことを察したのか、少し声を落として答えてくれた。

「あぁそうそう。えっと、何年か前に、“かくれんぼ”をしたんだって。一クラスをくじ引きで決めて、放課後残ってかくれんぼをするの。ただそれだけなんだけど――」

 唾を飲む。思いのほか大きな音がして、廊下に響いた気がした。

 ここまでの話は竹本の話と一致している。ということは、本当に行われていたことなのだろう。

 シンとした空間は、冷たい空気が漂った。それは、夜が近いという理由だけではないだろう。

 小夜子は静かに言葉を続ける。

「なんか、一人だけどうしても見つからなくて、みんなで帰ったんだって。夜も遅いしって。それで、先生が確認したんだけど、その一人の人はまだ帰ってないっていうの。で、たしか、それからずっと行方不明だって」

 早口に言い終えると、小夜子はくるりと振り返って辺りを見渡した。誰かに聞かれていないか確認したのだろう。長い髪が風に揺れる。

「え、神隠しですか?」

 それだけ、なんだろうか。なんだかあっけない。そういった不思議な出来事や噂がこの学校に全くないというわけではない。伊織はこの学校に入学して数ヶ月だが、そういった話を耳にしたことがないわけではなかった。

 それにしても、大袈裟だ。そんなことを信じたりしないような和泉会長も本気で議題にしていたし、それにその行事自体は迷信というわけではなさそうだ。

「うーん、どうだろ。当時は今ほど警備も厳しくなかったし、勝手に家出したんじゃないかって、話も出たらしいよ。行方不明になった人は、もともと不良っていうか、そういう感じの人だったらしいし」

 単なる家出事件、ということだろうか。

 和泉も神経質なものだ。それとも、なにか裏があって、それを知っているのだろうか? 考えすぎかもしれないが、伊織の頭に、一瞬そんな考えが浮かんだ。

「へぇ……」

 ただ相槌を打つ。色々と考えてしまって、すぐに気の利いた返事ができなかった。

 そんな態度に怒ったのだろうか、小夜子は少し不機嫌そうに頬を膨らませた。

「ていうか、私が無料(タダ)でこういう話するとか、滅多にないからね! タダより高いものはないんだから! もっとちゃんと働いてよ!」

 「まったく」と息を吐いて言う。このことについて、もっと調べる気なのだろうか。

「はいはい」

 適当に返事をしておこう。あまり本気で怒っている様子でもないようだし。少し安心した。

 小夜子はなにを思ったのか、少し早足で前に進み出ると、くるりと振り返った。

「あ、そうだ。金持ち紹介してくれてもいいよ。私は未来の結婚相手を早く決めないといけないから」

 突然の発言に戸惑う。なにを言っているんだろうこの人は。前から変わっている人だとは思っていたけれど、やはり本格的にまずい人だったのかもしれない。

「何言ってるんですか」

 金持ち、と言っていた。なにか欲しいものでもあるのだろうか。しかし結婚相手って、中学生にしてそこまで考えているってどうなのだろう。それとも、女子とはそういうものなのだろうか。

 伊織の混乱した様子に、小夜子は人差し指を突き出した。

「いい、若さは消耗品なの。若ければ、玉の輿に乗れる機会も増えるの!」

 ビシッと言って、鼻を鳴らす。

 玉の輿に乗るというのは、やはり女子共通の夢のようなものなのだろうか。童話でもそんな話が多々あるような気もするし……。

「まぁ優良物件はだいたい彼女もちなんだけどね」

 小夜子は眉をひそめてそう言う。再びくるりと身体を回転させ、伊織と並んで歩く。

「そうなんですか」

 なんと答えたら良いかわからず、そう言うしかない。

 小夜子はギロリと鋭い目つきで今度は伊織を横目で見る。

「ていうか、この辺の金持ちだったら、キミの家は結構いいとこなんじゃないの?」

 たしかに、伊織の家は昔から続く地主の家だ。田舎の町だから、周囲でそれを知らないものはほとんどいないだろう。

 生徒会に推薦されたのも、兄である糸杉久美(ひさよし)が寄付金をいくらか積んだのも理由の一つな気もする。

「え、僕ですか? うーん」

 この手の話題は苦手だ。自分からそういうことを言い出すのもおかしい気がするし、なまじ本当に小金持ちのせいで、謙遜もできない。

「ところで、キミ、兄弟とかいないの?」

 小夜子は突然に話題を変えた。困っている伊織のことを察して、というよりは純粋な興味で訊ねてきたように思えた。

「兄がいますよ」

 伊織の言葉に、小夜子は一瞬だけ目を見開いた。

「へぇ……」

 そしてなにか考えるようにして、目を伏せる。

 どうしたのだろう。まさか、兄のことを狙おうというわけではないだろうか。

「あの、兄はショートカットで貧乳の子が好きみたいです」

 気をきかせて兄の好みを伝える。小夜子は貧乳の部類ではあるが、髪が長いから久美の好みにはならないだろう。

「なんだ、ロリコンかぁ。残念」

 バッサリと言い切ると、小夜子は両手を上にあげて、思い切り伸びをした。

「で、話逸れちゃったけど、今日はその、“かくれんぼ”の議題だったわけよね」

 小夜子は急に真面目な顔をして目を細めた。

 このころになるともう議題のことを秘密にしようなどという気はすっかり失せていた。

「あ、そうです。和泉先輩が、それを今年から廃止したいって言って……」

 そこから言葉を続けようとしたが、躊躇った。竹本のことや、その場の雰囲気を思い出すと、身震いがする。

「ふうん、それで可決されちゃったわけね」

 小夜子はそれらを察したのか、あっさりとまとめた。結局可決されたわけだが、それまでに色々とあったのだ。そのへんの事情はいちいち言うべきではないだろう。

「えっと、はい」

 伊織が答えると、小夜子はふむ、と唇を噛んだ。なにか考えているようで、首を回したり、揺らしたりしている。

「竹本が反対したのって、なんでだろうね」

 パッとこちらを見て、ぱっちりとした目を向ける。

「え?」

 そんなこと、いつものことだ。たしかにいつもと違い、あまり計画性もなく反論していたが、反対すること自体は珍しいことではない。

「だっていつもは、会議持ち越しとかじゃん。そんなにすぐ可決されちゃうってことは、竹本がまともな反論ができなかったんじゃない?」

 その通りだ。毎度のことながら、小夜子のこういった洞察力には舌を巻く。

「まぁ、そうですね」

 伊織が同意すると、小夜子はやっぱり、と言わんばかりに顔をにやつかせ、言葉を続けた。

「いつもはちゃんと材料があって反対してたじゃん。運動部ばっかり予算出すのはおかしいとか、カンニング事件のことだってそうだよ。あれは竹本の誤解だったけどね」

 そう言って、ふう、と息をつく。

 ちょうど下駄箱についたので、上履きを脱ぐ。

「あの、カンニング事件って」

 聞いたことのない事件だ。伊織が入学する前に起きたことだろうか。その辺のしがらみが関係しているのかもしれない。

「今それは関係ないでしょ。それにぺらぺら秘密を話すのはもうおしまい。ギブアンドテイクっていうでしょ」

 伊織の言葉に、小夜子はぴしゃりと答えた。こちらからもなにか情報を提供しろ、ということだろうか。

 下駄箱から靴を出し、履き替える。

「えっと、竹本先輩は、昔からのものを突然廃止するのはしがらみがあるって」

 それくらいしか言えるものがない。それ以外に、伊織が持っている情報といえる情報なんてほとんどないのではないだろうか。

「らしくないよね」

 小夜子は鞄を肩にかけ直すと、髪を邪魔そうにかき揚げた。昇降口を出ると、外の空気が流れていった。

「そうなんですか?」

 竹本の性格のことをよく知らないからか、らしい、らしくない、は言い切れない。同級生の小夜子だから言えることなのだろう。

「あいつそういうの絶対気にしないもん。正しいものは正しいってちゃんと言うやつだよ」

 たしかにそうかもしれない。今までも、既存のことを大事にするということはなかった。既存の資料を元にすることはあったが、それでも自分なりの意見を持っていた。

「へぇ……」

 そう返事をしたときだった。

 尋常じゃない叫び声が遠くから聞こえた。遠く、といってもとても遠くというわけではなく……、今来た校舎のほうからだ。

「あの、今の聞こえました?」

 小夜子と顔を見合わせてから、校舎のほうを見る。

「……新校舎のほうよね」

 小さく小夜子が言う。今のはまずい、でも、ただの言い争いなのかもしれない。警察を呼ぶのは躊躇われた。様子を見に行ったほうがいいだろうか。

「ていうか、まだ灯りついてますよね。生徒会室」

 校舎のほうをもう一度見ると、まだ生徒会室だけ電気がついている。

 旧校舎は奥まった処にあり、校門からは見えない造りになっている。そういえば二年生の教室は旧校舎にあるんだっけ。

「え、私戻るの嫌だよ。リスクは避ける主義だから」

 小夜子の声は言葉に反して震えていた。やはり怖いのだろうか。

 一度、あたりを見渡してみる。さっき通った道の、グラウンドのほうになにか小さな物体があった。小動物のようだが、ぴくりともしない。

「あの、あれなんでしょうね」

 指を差して小夜子に訊ねる。小夜子は目を細めて、そちらを凝っとみた。

「猫? かな。動いてないけど」

 下駄箱の近くまで戻って近づいてみる。先ほど通った道のすぐ脇だ。猫は死んでいるようだ。

「ねぇ、さっき通ったとき、この猫いた?」

 小夜子がおそるおそる呟く。こちらを向いているのはわかったが、そっちを向けなかった。視線は死んだ猫に、釘付けになっている。

「いや、気付かなかったです」

 言葉だけ返すと、小夜子は思わぬことを口にした。

「ちょっと触ってみてよ」

「え、嫌ですよ」

 なんてことを言うのだろう。死んだ猫を触るなんて。そもそもここにはまだ、猫を殺した犯人がいるのかもしれないのだ。こんな人目のつく場所で寿命を迎える猫なんて、聞いたことがない。

「いいから!」

 小夜子の強い言葉に、びくりとして、思わず従ってしまう。最初は表面を触り、そして首筋に触れる。

「うわ……」

 思わず声が漏れた。まだ表面は暖かく、そして首筋には……。

「どう?」

 小夜子は自分では触れようとはせず、伊織の顔を覗き込んだ。

「どうって、ぬるまったくて……って、うわ。ひどい」

 首筋に触れていくと、血がべっとりと指についた。気持ちの悪い感触。ぬるぬるして、それでいて少しだけ温かい。あたりが暗くて、よく色はわからないが、どす黒いものが指にべったりとくっついていた。

 よく見ると、猫の首にはいくつもの傷がついていた。おそらく鋭利な刃物で、何度も切られていたのだろう。

 気持ちが悪くなって吐き気がこみ上げる。手を引っ込めて、目を逸らした。

「まだ暖かいってことは、犯人もまだ近くにいるかもってこと。それに――」

 小夜子は冷静さを取り戻したのか、それとも自分が触っていないから冷静でいられるのかわからないが、しっかりとした口調で言葉を放った。

「それに?」

 続きを促して、指の血を地面で拭う。

「さっきの叫び声は猫のものじゃないってこと」

 小夜子はそう言って、灯りのついた教室のほうを見た。たしかに猫は殺されていると考えるのが妥当だが、さっきの叫び声は明らかに人間のものだった。

「生徒会室、行ってみます?」

 一瞬だけ、小夜子のほうを見て問う。すると、小夜子は見ていた校舎を指で指した。

「ねぇ、見て」

 もう一度そちらを見ると、電気が消えている。

 生徒会室からこちらを、見ようと思えば見えるのかもしれない。思えばさっき、カーテンから人影が見えたような気もする。

「帰りましょうか」

 震える声で小夜子に提案する。すぐにでも走って逃げ出したいが、小夜子の手前、動くことができなかった。

「走ったほうがいいかも」

 小夜子は鞄を持ち直し、走り出す準備は万端のようだ。しっかりと握られた拳は白くなり、震えている。

「送っていきます」

「そりゃどうも」

 そう答えるやいなや、二人は校門へ向かって走りだした。

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