5:「君以外ではありえなかったんだから」
「うちの家は、宝石店…というよりは装飾品を売っているの。貴族さまが買ってくれるようなものもあれば、平民やパティのような子供が贈り合うようなものまでいろいろあるわよ」
「すごいっ。も、もしかして……これ、手作り?」
「そうね、だいたいそうよ。私がつくったものもいくつかはあるけど、大抵は両親がひとつひとつ作っているわ」
シトリーとパティのお店には、とっても繊細な細工のアクセサリーがたくさん並んでいた。
きらきらしてて、でもかわいくて、綺麗で、見ているだけですごく楽しい。パティがあれこれ案内しながら教えてくれるのをうんうんと真面目にききながらあちこち見て回る。大粒の宝石を使った指輪もあれば、かわいらしい布製の髪飾りもあったりして、本当に品揃えが良いのだと感心した。
「あたしのおすすめはこっちです、ミユ様! みてみてっ、本当に綺麗なの!」
「うわあ、本当に綺麗! 素敵な色だね……宝石?」
「これはね、この国でしかとれない宝石なんです! ティストって言うの」
「ティスト?」
この国の、それも限られた土地でしか採れない宝石なんだと言う。
真っ赤というよりは優しくて、ピンクにしては濃いかもしれない。世界中を旅したという命くんも流石に宝石にまでは詳しくなかったようで、同じように覗き込んで「綺麗な薔薇色だね」と言った。
なるほど、薔薇色。
透き通った宝石は光を通して、きらきらしていてちょっと眩しい。
パティがおすすめしてくれたそれは、その薔薇色のティストをネックレスにしたものだった。小振りな花の形の銀細工の中心に、輝きを失わないティストが埋め込まれている。
「ティストはとっても人気なんです! お花と同じように宝石にも意味があって、ティストは、『あなたが幸せになれますように』という意味なんです。だから贈り物に大人気なの!」
「すっごく素敵な宝石だね」
大興奮のパティの頬が薔薇色に染まっていて、それも含めて私は頷きながらそういった。
そうですよね! 素敵ですよね! とにこにこのパティに、姉であるシトリーは呆れ顔をつくりながらも見守っていた。
「それにねっ、ミコト様!」
「え、僕?」
「ティストをつかった贈り物はもちろん親子や友人でもよくあるんですけど、なにより、男性から女性に贈るときは『あなたに幸せを贈ります』という意味になるんです! あなたを私が幸せにしますよ、私にあなたを幸福にさせる権利をください――つまりプロポーズなんかによく使われるってわけなんです!」
「へえ……、なるほど」
感心しきりといったふうの命くんの隣で、私もすごいなあとうんうん頷いた。ロマンチックで素敵だし、夫婦円満のお守りになりそうだ。
「触ってもいい?」
「いいですよ! 気を付けてくださいね……と言っても、見た目ほどは繊細なつくりじゃないですけど」
パティに許可を得てそれを持ち上げた命くんは、見比べるように私とネックレスの間で視線を動かした。
命くんの隣でそれを見守っていたパティも、ついでにシトリーも、同じように見ては満足そうにしている。
「えーと……命くん?」
「うん。美結さんの黒髪によく似合いそうだと思って……パティ、これをくれる?」
「はいっ! もちろん! 包みますか?」
「ううん、そのままでいいよ」
命くんの言っていることをやっと理解して、さすがに慌てた。これだけ丁寧につくりあげられていて、有名な宝石もつかっているとなればお安いわけがない。
値段の問題でもないし、今日もさんざん食べ物からなにから買い与えられた(ついでに言えば身に付けているものもすべて命くんからだけど)身でありながら今更という気もするけど、それならば尚更申し訳ないというもので。
……と思ってとにかく抗議したのだけども、すべて笑顔で却下されたし、挙げ句の果てには背後にまわってネックレスをつけてくれた。
嬉しいけど、何も返せていなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
せめてと心を込めてお礼を言ったら、命くんはなんだかまぶしそうな顔をした。
「ミユ、これ」
「え? ……ええっ?」
「確か、ラッキーカラーは青だと言ってたはずよね。私が作ったもので悪いけれど、持って行ってちょうだいな」
そう言って軽く手渡されたのは、青い宝石が埋め込まれたシンプルな耳飾りだ。シンプルだけど品があり、控えめながら地味ではない。
ネックレスをつくったのはご両親……それも、お母様のほうだときいたけれど、シトリーの腕もかなりだと思う。
「騒ぎにしてしまったお詫びだから」
「お詫びなんて、そんな…」
「本当はネックレスを持って行ってもらおうかと思ったけど、男性からの贈り物がそれでは面目が潰れてしまうものね。だから、遠慮なく持って行って。申し訳なく思うなら、また遊びに来てくれると嬉しいわね」
「あ! それ素敵ですっ、勇者さまが恋人に贈り物したお店って言ったら、きっとお客さんいっぱいくるわ!」
私よりもちいさいのに商人らしいパティの言葉に、つい笑ってしまった。
ありがたく耳飾りは受け取って、お礼を言いながらまた命くんに連れてきてもらおうと決める。
最後まで笑顔で見送ってくれたふたりに、なんだか胸があたたかくなった。
店から離れたあと、少し町から離れようかという命くんの言葉に従い、私たちはうら寂しい路地に入り込んだ。
どこへ行くのかと思えば、転移の魔法をつかうらしい。
魔法! 召喚の古の魔法を除けばはじめてみるそれに、ちょっとそわそわする。
命くんが目を閉じると、ほんの一瞬喧騒が遠くなるような感覚があり、次に彼が目を開けるとそこには人ひとりが通れるサイズの扉のような淡い光が浮き上がっていた。
うわあっとテンションの上がる私を招き寄せ、命くんはいきなり得体の知れないものを潜るのは怖いだろうからと手を繋いでくれた。
手を繋いでくれるのは大歓迎だし文句も異論もないけれど、
「……別に怖くないよ?」
「それもどうなのかなぁ…少しくらい尻込みしてくれないと、心配で目を離せなくなっちゃうよ」
「命くんが私に危ないことしないしさせないのはわかってるから、怖くないだけだってば」
言い募ると、命くんはまたまぶしそうにしてぎゅっと手に力を込めた。
「…じゃあ、行こう」
「うんっ」
扉の先は、一瞬で繋がっていた。
一枚のドアをくぐり抜けるだけで目的地につくなんて、まるでどこでもドアだ。
某青い猫型ロボットを思い浮かべながらそう言うと、命くんは苦笑いでイメージはそれなんだよと教えてくれた。
「そうなの?」
「魔法っていうのは、術者のイメージでつくられるものだから。同じ転移の魔法でも形としてはいろいろなんだよ」
どこでもドアを知る人間はこの世界に命くん(と私)しかいないので、転移の魔法を使ってこんな扉が出てくるのは自分くらいだろうと続ける。
じゃあ、私がもしも魔法が使えるようになって、転移ができるようになったら、きっとおんなじどこでもドアだろうな。そう思うと、なんだか楽しい。
「どこにでも行けるの?」
「いや、行ったことがあって、明確に思い浮かべられる場所だけかな。一回や二回来たことのある場所くらいだったら、イメージが弱いと迷子になっちゃったりするみたいだよ」
想像力が肝なようだ。難しそうだなぁと思いつつ、ふんふんうなずいておいた。
命くんが連れてきてくれたのは、どこか山か森の中の湖のほとりだった。周囲には木が茂っているけど、そこは少し拓けた場所になっていて、お弁当をつくってきて食べたりしたら楽しそうだった。
「じゃあ、ここによく来たことがあるんだ?」
「そうだね……ここ、城の近くの森の奥のほうにあってね。けっこうよく来てたこともあったよ」
命くんは私の手を引き、どこからか出した布を丸太の上に敷いて座らせてくれた。
「疲れてない?」
「ううん、見たことないものばっかりですごく楽しいよ」
それはよかったと微笑むと、命くんも私の隣に腰掛ける。
きっと、なにか話があるのか、それとも話がしたいのか、とにかくそんなような意図があってここに連れてきてくれたんだろうとは思う。
私がこの世界に来て七日間。地球で言うと一週間。
命くんの三年間に比べれば長いとは言えないが、短いとも言えない。その間、命くんはだいたい側にいて話をしてくれたり、一緒に食事をとってくれたりした。
命くんがいないときでも、命くんが手配してくれた優秀な侍女のアンネリーゼが側にいてくれて、寂しさはあっても孤独は感じなかった。
幼児でもないのだから、他に人がいる場所ならその感情は押し殺せた。人と会話していれば、誤魔化すことだってできた。
だから私は、命くんに本当に感謝している。
確かにこの世界に来た原因のうちひとつに、命くんの存在もあると思う。他でもない命くんのために私は呼ばれたから。
だけど、それは命くんの望んだことではなかった。そのことを私は知っている。
この七日間、微笑みに隠していても時折必ず姿を見せた彼の罪悪感に、ずっと気付いていた。気付いていて、それに縋ったのだ。
命くんも、そして私も、何かを口にしようとはせずに二人で黙って湖を眺めていた。
今日、私は、自分の感情を整理して命くんときちんと向き合おうと決めていた。
なによりもまず、私の環境について。
家族や友人に存在すら忘れ去られ、誰も知らない…正確には命くん以外、知る人もいない異世界へ強制的に連れてこられた。
そのことについて整理がついているかと言えば、おそらくはついていると思う。
端的に言えば私は、諦めたのだ。
この世界に来た最初の日、命くんの胸で泣いたときに。帰れないこと、みんなが私のことをすっかり忘れて生活しているだろうことを知って、私はすべての希望が絶たれたのだと悟った。
だから、諦めた。
諦めてしまえば、寂しさはあれど悲しさは誤魔化せる。
ごまかした感情は、この世界への興味にすり替えて封じることにした。
家族を含め元の暮らしていた世界に対する寂しさを薄めてくれたのは、なにより命くんの存在だ。
命くんに頼り、縋って、消化した部分もいくらかはある。
けれどなにより私の心を助けたのは、命くんの境遇だった。
私と同い年の、元クラスメイトである椎名命くん。三年前にこの世界へ召喚されたという命くんは、私と同じ条件で元の世界に戻れないことを知らされたと同時に、魔王討伐の旅へ出ることを命じられた。
私のときと違って、彼を知る人物はひとりもいない。たとえば果実水を飲んで桃に似ていると思っても、桃を理解してくれる人もいない。私には想像すらできない、痛いほどの孤独だ。
その上魔物や魔族などというおとぎ話にしか存在しないようなものを相手に戦えと言う。戦争を起こし、その先頭に立てと言う。その重責が命くんを潰してしまわなかったことが、幸運以外のなにものでもないと、この世界でただひとり私だけが理解している。
命くんの三年間を知れば知るほど、私の嘆きは薄まった。
それを多分、人は同情と呼ぶのだろう。それでもいいと思った。命くんはこの世界でたったひとりの救世主でありながら、この世界でいちばん可哀想な人なのだ。
その可哀想な人が、私は好きだった。
私の好きな人は私の知らない間に、知らない場所で、世界でいちばん可哀想な人になってしまっていたのだった。
「ねえ命くん、占い師さん、山田先生に似てたと思わない?」
「思った。しゃべり方は流石に違ったけど」
山田先生というのは、私と命くんが高校一年生だった頃に担任だった女教師だ。年の頃も同じくらいだったし、なによりさっぱりした雰囲気が似ていた。
ほら、やっぱり。命くんは覚えているのだ。
「ネックレス……ティスト、本当にありがとう。すっごくうれしい」
「ううん、喜んでくれたならよかった」
「これだけじゃなくて、服も、生活も…ぜんぶありがとう。本当に感謝してるんだ」
「そんな。それこそ、気にしなくていいことだよ。僕のせいなんだから」
そう言って命くんは微笑む。
命くんは私に優しくて、甘くて、大切に扱ってくれて……。
その意味を、知りたかった。
「あのね。話がしたくて」
「…うん」
「私、ほんとに命くんには感謝しているの。優しくしてくれてありがたいし、嬉しい。だから、理由が知りたい。それは、罪悪感? それとも義務感? 正義感かな」
「美結さん」
「もし私の存在が重荷になるようなら、もう終わりにしていいと思ってるの。実はね、私、お姫さまと何度か手紙のやりとりをしてたんだよ」
「……え? 手紙?」
リゼだけが知っていることだ。そのリゼにも、自分から話すからしばらくは黙っていてほしいと頼んだ。
たぶんお姫さまはお茶会で直接私と話せたらと思っていたのだろうけど、思いがけず人数が増えてそれは果たせなかった。
なんというか、不器用な人なのだと思う。
「命くんに怒られて反省したって、申し訳なく思っているって謝ってくれた。話すのが得意じゃないから手紙のほうが素直らしいよ」
「……アンドリアが」
流石に予想していなかったようで、命くんは半ば呆然としていた。
私は手紙の丁寧な文字を思い出しながら、話を続ける。
「それで、私がもし命くんの庇護下を抜けても責任とって面倒見てくれるかって聞いたの。答えは当然だって。必要なら仕事も用意するって言ってくれた。だから、私のことは気にしなくていいんだよ、ほんとに」
卑怯なことを言っているのはわかってる。傍にいる約束を忘れたわけではないし、実際問題命くんが、私が大丈夫だと言ったところでオッケー了解と納得してくれるとも思ってない。
この世界に、呼ばれた理由を説明されたときから、何も察していなかったわけでもない。
だけど過ごした時間が違う。環境が違う。だから確信を持てずにいたし、聞くのも躊躇っていた。
でも、やっぱり、聞いてみたいと思うから。
「教えて、命くん。呼ばれたのが私じゃなくても、こんなに優しくした?」
命くんはくしゃりと泣きそうに表情を歪めて、美結さん、と小さな声で私の名前を呼ぶ。
「…同じことだよ。君以外ではありえなかったんだから」
「……ありえない?」
「好きだ。好きだよ、美結さん」
愛の告白と呼ぶには、あまりにも哀しい声音だった。
「僕が君を好きだったから、君はこの世界に呼ばれた。だからやっぱり僕は……謝りたいよ、美結さん」
予想していなかったわけじゃない。
むしろ、そうだろうと思っていた。そうだとわかっていても、恨む気にはとてもなれなかったんだから、それが答えだ。
私の境遇など霞んでしまうくらいには、命くんは可哀想な人だ。哀しい人だ。世界一可哀想な私の好きな人が、唯一望んだのが私なのだとしたら。
ぶわりとこみ上げる涙に抗わず、私は拳を握る。向き合おうと決めたから。ちゃんと言わなくちゃ。
「私が……私が許すから、だからもう一度言って。お願い。許すから。何度でも許すって言うから、もう一度」
「え!? み、美結さん? 泣いて…」
「好きだって、好きだよって言って、もう一度」
本当はこんなに単純なことだったはずなのに、この世界が複雑にしたのだ。
私も……命くんも、勇者なんて称号は似合わない、優しい私の元クラスメイトだったのに。
私の頬をなでて落ちる雫をすくって、命くんは意を決したように口を開く。
開い……たと思ったけれど、そのくちびるは言葉を発する前に閉じてしまって、迷子みたいに視線がさまよっているのを辛抱強く待っていた。
待てるし、何度でも許すから、私を特別だって言ってほしい。
優しくしてほしいし、甘やかしてほしいし、大切にしてほしいし、もう、どうか泣かないで。
そうしたら私もきっと命くんに優しくできるし、甘えてくれたっていいし、何度でも抱きしめるし、もう二度と孤独にさせないって誓うから。
この世界の他の誰にもできないことを、私がきっと叶えるから。
「お願い」
「……好きだ。好きだよ、好きだったんだ……美結さん」
いつの間にか二人とも泣いていた。
嗚咽ひとつこぼさず涙だけを落とす命くんを見て、彼の涙を見たのははじめてだと思った。
「…私も。私も好きだったよ。大好き」
私は、ようやくその言葉だけを口にして、目の前のひとを強く抱きしめた。
もうそれしか言えなかった。
悲しいし、嬉しいし、つらいし、幸せだった。
この世界はいつも、私たちには複雑すぎるのだ。
◇
「落ち着いた?」
「命くんこそ……」
ずびっ、と鼻をすする。目も鼻も真っ赤だろうけど、もういい。帰ったらリゼになんとかしてもらおう。
目が合うと、命くんは照れくさそうに笑った。
「僕のほうも話をするつもりでいたんだけどね……」
「そうなの? なあに?」
「うん…城を出ようかなって思ってるんだ」
私は驚いた。無言で命くんを見返すと、続きを促されたと判断したのか話を続ける。
「前から考えてはいたんだけど、特に実行する理由がなくて。でも美結さんもいることだし、城だと動きにくいでしょ?」
「うーん……たしかに」
「この国だろうが他の国だろうが、暮らしていける伝手はあるし働き口も見つけられると思うから。美結さんがよければ、だけど……」
そこで言葉を切り、彼は私の返事を待つように私の瞳をまっすぐに見た。
城にいる理由は特にないし、反対する理由もない。
あ、でもリゼには会えるのかな? そこは大事かもしれない。
「私も連れていってくれるの?」
「そりゃあもちろん…」
「つまり…同棲?」
「どっ……!?」
あれ、そういうことじゃなかったのかな、と絶句する命くんの前で首を傾げた。
さっきお互いの気持ちを確認したばかりなのだし、そういうことなのだと思ったのだけど。
「そ……そう、かもしれないけど。なんにせよ、城を出るなら雇ってほしいってリゼに言われてるんだ。だから厳密には二人暮らしってわけでも……」
「リゼが? 一緒に来てくれるの!?」
「あ……うん。えっと…すごく、嬉しそうだね?」
「もちろん! 命くんもリゼもいるなら、私どこでもいいよっ。どこでも大丈夫!」
自信満々にうなずく私に、ちょっとだけ呆れたふうの命くんは優しく微笑む。「それが美結さんだよね」ってどういう意味?
ここ一週間の悩み事も解消されたし、悪いようには転ばないと信じなさいと言う占い師さんの言葉にしたがって、明るい未来だけを想像していくつもりだ。
「じゃあ……帰って、リゼとも相談しようか」
「うん……なんか、おなかすいてきちゃった。あ! お土産買って帰ろう!」
「お土産? なにがいいかなあ」
立ち上がった命くんは、迷わず私に手のひらを差し出した。
その手を借りて立ち上がり、幸福を呼び寄せられるように殊更明るく笑いかける。
まだ、いろいろ問題はあるのだろうけど。
命くんと手を繋ぎながら、時にはリゼに手を借りて、世界でいちばん可哀想な勇者さまを幸せにしてあげるのが、私のこの世界での目標だ。
そう、強く思った。