4:「あなた、勇者さまじゃないの?」
椎名くん改め命くんと、城外へ連れて行ってもらう約束をした日。
この国の季節や気候についてはそういえばよく知らないのだけど、暑くもなく寒くもない、からりとよく晴れた朝だった。
ミコト様とご一緒でしたら護衛はいりませんねと、リゼはにこにこ笑って朝食を用意してくれながら言った。
おそらく、小麦でできたパンにお肉やお野菜を挟んだサンドイッチのお友達みたいなもの。
いくら地球とよく似ていたとしても、この王城は日本人の私からすると洋風にしか見えないし、実際食事やいろんなものも洋食によく似たものが多かった。お米ってあるのかなあ。今度命くんにきいてみようと思いつつ、私はパンを頬張る。
「勇者さまだもんね……」
「楽しんできてくださいませ」
「うん! 楽しみだなぁ」
昨日、お姫さまに招かれて奇妙なメンバーで行ったお茶会が散々だっただけに、今日はとても楽しみだ。
城の外に関しては、遠くからでも見たことすらないから、本当にどんなふうなのかわからないけれど。王城の城下町だから、おそらくは栄えているんだろう。そういえば、命くんは元といえど勇者さまだから、民衆に顔を知られているのでは……。ちらりと不安がよぎったけれど、まあ命くんのことだから大丈夫だろうと思う。たぶん。きっと!
「城下にも美味しいものがたくさんありますよ」
「本当?」
「屋台がたくさん出ているはずですわ」
屋台! 素敵な響きだ。
朝食を食べ終え、うきうき気分で着替えを手伝ってもらい、準備万端となったところで来訪者を知らせるノックの音が響いた。
普段は侍女であるリゼが応対するのがマナーのようなのでそうしてもらっているのだけど、今日は私が返事して開けてしまった。予想が正しければ、私のマナーのなっていない行動も仕方ないなぁと笑って許してくれる人のはずである。
「わ…美結さん? びっくりした。リゼは?」
「ここにおります」
私の背後に、苦笑いのリゼがいる。
予想通りの来訪者、改め、命くんは察したように笑い、僕以外にはしないでよと苦言にもならない釘を刺して不問にしてくれた。流石命くん!
「晴れてよかったね!」
「そうだね、雨だったら劇場にでも行こうかと思っていたけど」
「劇場? 演劇をしてるの?」
「うん、あとは歌劇だったり」
「それも行きたい!」
「じゃあ、今度ね」
わかっていたようにうなずいた椎名くんは、私から背後のリゼに視線をずらし、「じゃあ、留守をよろしく」と声をかけた。
「はい。おふたりでのお帰りをお待ちしています」
「……じゃあ、行こっか、美結さん。日曜日の約束を果たしに」
いたずらっぽく笑みを浮かべる命くんが差し出してくれる手をとる。
せっかくのお出かけの日だ。
それも、命くんと一緒に、知らない世界を案内してもらう日。
楽しい一日になるといい、と思った。
◇
椎名くんの案内で歩く城下町は、活気と人に溢れた陽気な場所だった。
リゼの言う通り屋台が立ち並び、お客さんを呼ぶ商人たちの声があっちからもこっちからもきこえてくる。差し出されたままに握って歩いていた手に頼るどころか、腕に縋りつこうかと迷うくらいには騒がしく、人が多い。
「命くん」
喧騒に、一瞬声がかき消されたのではないかと危惧したけれど、先を歩いていた命くんはちゃんと気が付いて振り向いてくれる。
「なに? 気になるもの、あった?」
なにか見つけたら遠慮なく言ってと城外へ出てから言われていたものの、目利きのできない私にはどこかからいいにおいがするなあくらいのものだった。無念。
それでもやまほどある屋台のなかから、命くんのお眼鏡にかなったらしいものは、持ち運んだり食べ歩いたりできる包みでいくつか買っていただいた。
とても美味しゅうございました。
そういうわけでお腹はなかなか満たされているのだけど、
「ごめん。あの、喉が乾きました…」
厚かましいのを重々承知で言うと、ああ、と思い至ったらしい命くんが周囲の店を見回す。
「ごめん、失念してました」
そう言って手渡してくれたのは、なにかの果汁でほのかに色と味をつけたお水らしい。こちらの世界では果汁をより薄めたものが主流のようだ。飲みやすいし、ほんのり甘くておいしい。
「桃?」
「こっちの世界では、名前は違うんだけどね。ピンク色の、そんな感じの果実があったよ」
「そうなんだ…おいしい。ありがとう」
それにしても、こんなに気の回る日本人の典型みたいな彼にも失念することがあったらしい。向こうではそれは普通のことだったのに、こちらにきてからはぜんぜんそんなことがなかったから、新鮮な気持ちだ。
「食べ物は、またあとで来ようか。通りを少し離れたら、装飾品とか工芸品の店があるよ」
「伝統工芸ってやつ?」
「もあるね」
にこにこと、命くんは機嫌よく手を引いてくれた。不自然でないようにフードをかぶって髪色を誤魔化した命くんは、まあ、流石に何人かには気付かれていたものの、だいたい他国からの旅行者などだと思われていたみたい。
屋台の気のいいおっちゃんなんかは、愛想のいい命くんによく声をかけてこれはどうだあれはどうだと気前がよかった。それでだいたい、そのあとに「可愛い恋人にも」とか言って命くんの後ろで様子を伺う私に意味深な笑顔を寄越してくれるわけである。
どうなのかなあ……。
上手に人混みをかき分けて進む命くんの後ろを追いながら、内心で首をかしげる。
そう言われた命くんは、「冷やかさないでよ」と言ったり、「ありがとう」と頷いたり、それから…「可愛いでしょう」といたずらっぽく笑いながら、渡された串を私に持たせてくれたりした。
ちなみに、その串に刺さっていた揚げ菓子は非常に美味でした。
どういうふうに作るんだろうと頭を悩ませながらも、頬を緩める私にすぐに気付いた命くんは、追加で二本ほど買い求めて屋台のおっちゃんに「甘いな!」と爆笑されていた。私が言えたことではないけれど、本当に甘いと思った。
少しずれたけど、とにかく、命くんはその冷やかしを一度も否定しなかった。まあ、私も特別口を出さなかったし、いちいち否定するのが面倒だったのかもしれないけれど……。
それっていったい、どういう意味だろうなあと、首を傾げていたわけだった。
「何か、人が集まってるみたいだ」
不思議そうな命くんに、私も顔を上げてそちらを見る。
なにかを囲むように集まっている人たちは、どうも女性が多いように思う。何かいるのかなぁと返事をした私に、命くんは近寄ってみようか、とその人だかりのほうへ踏み出した。
「失礼。ここで何かあるのですか?」
「あら、知らないの? 最近王都で大人気の、よく当たる占い師がいるんですって。忙しくしているからなかなか会えないらしいの」
命くんが声をかけたのは、私や命くんよりいくらか年上の、町娘ふうのお姉さんだ。もっとも、命くんは私より三つ年上なのだけど。とはいえ命くんは根っからの日本人なのでだいたい童顔に見られるし、並んでいても年頃が違うようには見えないと思う。
妹が占ってほしいらしくて、大喜びで行ってしまったのよ――と調子よく話していたお姉さんは、ふと命くんに向き直り、「もしかして」と遠くのものをよく見るように目を細めた。
「あなた、勇者さまじゃないの?」
さばさばしていそうな、姐御肌っぽいお姉さんの声はよく通ったようで、周囲の人間が数人振り返り、さあっとざわめきが走った。
流石に誰にもバレないとは思っていなかったし、実際今まで何人かは気付いてたけど、こんなところでバレるとは思っていなかったので命くんも苦笑いだった。
私はというと、お姉さんは接客業に向いていそうだと暢気に考えていた。
「あー……ええと、まあ」
そんなふうに呼ばれることも、まあ、ありますね……と無意味に適当な誤魔化しを挟もうとする命くんの努力も虚しく、ざわめきは人々の中を瞬く間に走り抜け、私が命くんの知名度に恐れ入っているうちに私たちは占い師さんの前まで連れ出されていた。
すごい。なんだこれ。
「おや。次のお客さんかい」
その、評判の占い師さんとやらは、三十代くらいの女性だった。よく手入れされた長い髪が細い三つ編みになって垂らされており、紫色の上質そうなローブを羽織っていた。
命くんは困ったふうに笑いながら周囲を見回し、群衆が“勇者さまの占い”を待っていることを察して曖昧にうなずいた。
「先ほど来たばかりで、よくわかっていなくて。何を占っていただけるのですか?」
「そうさね、見えるものを教えているだけだが……そちらのお嬢さんは、お客さんの可愛い人かい?」
可愛い人。
なんだか素敵な表現だけど、つまり、好きな人や恋人ですかということだろう。私は思わず命くんの答えを待った。
占い師さんはなんというか、あまり占い師というイメージにないさっぱりした感じの人で、どことなく親近感がわく。
どうもそれは命くんも同じだったようで、またも曖昧に「まあ、そうです」と答えた。微妙な肯定だったわけだけども、喜んだのは観客である。
さわさわと広がる噂話たちに、勇者さまの恋物語が国民たちの間に広まってしまうかもしれない……と他人事のように考えた。
「そうかい。じゃあ、二人のことでもみてみようかね」
そこに、と勧められるまま並んで椅子に腰掛け、占い師さんの手元を見つめる。
水晶だとかカードだとか、それっぽいものは特になかった。占い師さんはてのひらで器をつくり、そこにふうっと息を吹きかける。
すると、占い師さんの口から薄桃色の煙のようなものが出てきて、思わず観客たちと一緒になって「わあっ」と歓声をあげてしまった。
「お嬢さん、お名前は?」
「美結です」
「勇者さまは?」
「命です」
なるほど、と頷いた占い師さんは(何がなるほど?)、ぶつぶつとてのひらに何事かつぶやくと、その煙を飲み込む。
現代日本では占いなんて気休めの一種だと思っていたのだけど、異世界だから違うのだろうか。それとも地球にもこういったものはあったのかもしれない。あったかもしれないが、薄桃色の煙なんかはきっと出てこないだろうなと思った。
黙ったまましばらく目を閉じていた占い師さんは、それからおもむろに目を開き、命くんと私に笑いかける。
「どうやら、複雑な環境にあるらしいね」
「えと…まあ、元勇者さまって、単純ではないよね……」
私の思わずこぼした返事に、占い師さんも命くんも笑った。
「そう、単純ではないだろうね。楽しいことばかりでもないだろうが、安心しなさい。この世界を明るく照らしてくれた“勇者さま”の未来も、きっと明るいことだろう」
「…だといいのですが」
「もし暗いようなら、彼女が明かりを灯してくれるよ。不安に思うことはないさ」
そう言う占い師さんに、命くんは私を見て、そうですねと微笑んだ。なんかものすごい責任を背負わされている気がするけど、この世でたったひとりの命くんのためなら、がんばりたいと思う。できればスイッチを押すだけでつくような明かりがいいけど。
「さて。そうだねえ……占いと言うからには、助言をしたほうがいいのだろうね。思うように進みなさい、悪いようには転ばないと信じなさい。お互いに対して思うことがあるなら、迷うことはない。あとは……」
そこで言葉を切り、占い師さんは私に視線を向ける。
「諦めることも大事だね。けれど、諦めるためには痛みを伴うこともあるだろう。辛いこともあるだろう。そのときは、迷わずに甘えるといい。たくさん泣いて、よく笑うといいよ。きっと幸福を呼び寄せるだろうさ。」
その占い師さんの言葉を聞きながらぼんやりと浮かんだのは、地球で今も生きているだろう家族のことだ。
聞き分けのいいふりをしても、断ち切れるものではない。私の17年間、ずっと当たり前に傍にあったものだからだ。
私は、はい、と頷いて笑顔をつくった。本当に幸福を呼び寄せられたらいい。幸せに、なれたらいい。私は、心の底からそう思っている。
「疑わずに、進みなさい。二人の道に幸せが降るように祈っているよ」
そう締めくくり、占い師さんは命くんにお前さんの手腕次第かもしれないがねと愉快そうに笑いかける。
命くんは笑いながら頷き、努力しますと言って立ち上がった。
私も同じように立ち上がると、占い師さんの「そうそう、」という声に首を傾げる。
「ラッキーカラーは青だよ。それじゃ、お二人さん、逢瀬の続きを楽しんで」
そうして、私たちは占い師さんを中心にした輪の中から抜け出した。
ちらちらと視線は絶えず感じたものの、特に追われる様子もない。……と思ったら、最初に命くんの正体に気が付いたお姉さんがぱたぱたと駆け寄ってくるのに気が付いた。
「ごめんなさいね、二人とも。占いはどうだったかしら」
「興味深かったです。あんな占いがあるんですね」
愛想よく応対する命くんの横で、私はお姉さん目掛けて駆け寄ってくる少女を見つけた。なんとなくお姉さんに似ている。もしかして、妹さんだろうか?
そう思っていたら、少女に気が付いたお姉さんのほうから紹介があった。
「勇者さま? それに、恋人さま!?」
「もう、パティったら! ごめんなさい、不躾な妹にかわって謝罪するわ。私はシトリー、この子は妹のパトリシアよ。どうぞパティと呼んでやって」
「えと…パティ?」
きらきらの眼差しでこちらを見ている少女に恐る恐る呼びかけると、彼女はぱあっと表情を明るくして「恋人さま!」と喜んでくれた。
「あ、あー……その、私は美結と言うの。そう呼んでくれる?」
「ミユ様ですね!」
にっこにこのパティにそれ以上何かを言うのも気が引けて、結局うなずいた。恋人さまよりはマシだ。たぶん。
「ああ、じゃあ僕も。勇者さまより、命って呼んでほしいかな」
「私もいいかしら」
「もちろん」
パティは多分……地球で言う、中学生くらいだろうか? お姉さんとはたぶん、けっこう年が離れていると思う。でも仲が良さそうだし、素敵な二人だ。
おそらく命くんもそう思っているらしく、肩の力が少し抜けている。
お姉さん改めシトリーは、よかったら、と私たちを自分たちの家兼お店に案内してくれた。
接客業に向いていそうだと思ったら、どうやら立派に看板娘だったようだ。