1:「これが夢じゃないなら」
軽めにさくっと全五話+一話で完結します。
毎日更新予定。
目の前が真っ白な光でいっぱいになって、眩しくて目を閉じて、再び目を開けたら異世界だった。
何を言ってるかわからないと思うけど、安心してほしい。私もよくわからない。
なにがなんだかわからないまま瞬きを繰り返す私に何か言わせる間もおかず、すかさず、と言った速さで現れたのは金髪碧眼のお姫さまみたいな女の人。それから、黒で統一された、ファンタジーによく出てくる騎士みたいな服を着たブラウンの髪の男の人。
「あの、」
「ミユ様でしょうか?」
「へ……は、はい…」
私が頷くと、男の人はホッとしたように頷いた。女の人は……よくわからない。歓迎しているようには見えないけど、睨まれているわけでもないようだ。
男の人の服もそうだし、お姫さまみたいな人のドレスも、部屋の中の家具や何もかも、すべて映画の中でしか見たことのないものばかりだ。
無意識に胸の前で指を組みながら、そうっと周囲を観察する私に、男の人は愛想笑いを浮かべて「ご説明致します。紅茶はお好きでしょうか」と言った。
私こと坂田美結は、ふつうの高校生である。こんなきらきらした部屋には慣れていないし、明らかに洋風で豪華なドレスなんかは初めて見たくらい、ふつうの女の子だ。
だから、いま着ているのも制服のブレザーにローファーという、いかにも女子高生らしい格好で。つまり何かと言うと、とんでもなく浮いている、と思った。もう何もかもから浮いている。
ぎこちないながらも頷きで返事を返し、促されるままソファに浅く腰をかけた私を見届け、向かいに腰掛けたお姫さまみたいな女の人は、よくわからない表情のまま「落ち着いているのね」と言う。それに私は、美人さんは声まで綺麗なんだなあ、という変な感想を抱いた。
「えっと……よく、わからなくて。あんまり頭がまわってない気がします……」
「無理もないでしょう。突然のことだったでしょうから」
男の人が、そう言って苦笑いをし、紅茶をいれてくれた。流石にすぐに手をつける気にはならなかったけど、一応軽く頭を下げておいた。が、明らかに外国人っぽい(しかも時代まで違いそう)人たちに意味は伝わっただろうか、と思わず焦る。
しかし、どうやら杞憂だったらしく、男の人は苦笑を深め、お姫さまは表情を歪めた。なんで。
「ミコトと同じことをするのね」
「えと……みこと?」
「姫。……失礼、ミユ様、ご説明させて頂きます」
「あ、は、はい」
どうやら、お姫さまみたいな人は本当にお姫さまだったらしい。説明するという男の人に視線を向け、私は姿勢を正した。なんとなくだけど。
「私はアドルフ・ノードリーと申します。想像がつかないかと思われますが、騎士として我が王国の姫アンドリア様にお仕えしています。どうぞ、アドルフと」
「あ、どうも……坂田美結です。あ、アドルフさん?」
「はい。それから、こちらにいらっしゃるのがアンドリア姫です」
お姫さまは口を開かなかったが、私には気を悪くする余裕もなかった。
王国。姫。目を閉じて、次に開いたら見知らぬ部屋にいて……。だんだんと指先が冷たくなっていくのを感じる。夢だろうかと疑うにはリアルすぎた。何も言えずにいる私を咎めず、アドルフさんは話を続ける。
「ここは、ミユ様のいた世界とは違う世界……所謂異世界というものです」
「異世界、ですか……」
冷たい指先を握り込む。最悪として想像していたことが現実になってしまったらしい。夢だと思うにはリアルすぎるのに、受け入れるには現実味がなさすぎた。
浮いていると感じたのも当然だ。浮いているなんてもんじゃない。だってここは私が存在していた世界ではないのだから。違和感しかなくて当たり前だ。
お姫さまは相変わらず何も言わず、アドルフさんはさらに言葉を重ねた。
「ミユ様をお呼びしたのは、お願いしたいことがあったからです」
「……お願い」
「実は、我が国……いえ、この世界は、ほんのしばらく前まで、魔物の侵攻により危機に陥っていました」
何かのマンガか小説で見たことのあるあらすじだな、と思った。違うのは、どうやら既に魔物を退けたあとらしいことくらいだ。
「それを救うため、古の魔法を使って、私どもは勇者様をお呼びすることを決めたのです。それが、三年前の話です」
「……それが、“みこと”さんですか?」
私がそう言うと、お姫さまが勢いよく顔を上げ、何か言いたそうな顔でこちらを凝視する。驚いた私は、思わずアドルフさんの顔を見た。アドルフさんは、一度目を伏せ、静かに頷いた。
「その通りです」
勇者さまと言うからにはきっと、魔王を倒したのだろう。“みこと”というのは、明らかに私の世界の…それも、日本人の名前だ。女の子にも使える名前だけれど、勇者と言うからには男の子だろうか?
しかし、その勇者さまと私がどう結びつくのかがわからない。
「そして…ミコト様は、無事に魔王を討ち滅ぼすことに成功しました。それが半年前の話です。そして……ここからがミユ様をお呼びした理由になります」
「…半年前、ミコトはこの城に帰還しました。父王は喜び、褒美を与え、この城に部屋を与えました。一応騎士の位につけ、この世界に後ろ盾のないミコトに生きる術を与えたの」
唐突に、お姫さまが話し始める。アドルフさんはお姫さまを一瞥したのち、黙って聞くことにしたらしい。私も、お姫さまの話に耳を傾ける。
「だけど……ミコトは、魔王を倒して以来、すっかり生きる気をなくしてしまったみたいに……出された食事は食べるわ。出掛けようと誘えばついてきてくれる。けれど、自分から何かをしようということがなくなった。父が欲しい物を尋ねても、わたくしがしたいことを尋ねても、何も無いと言う。……わたくしは、…ミコトの魔王討伐には、わたくしも旅の仲間のひとりとして同行したの。その旅の間に…わたくしは、彼に恋をしたわ。恐ろしいほどに強いのに、誰よりも優しい彼を好きになったの。だから、わたくしは、どうしても見ていられなかった。だから、頼んだの」
「………頼んだ?」
お姫さまはそこで一呼吸置く。私は、無意識に唾を飲み込んだ。
「わたくしと結婚してと。確かに身分はないけれど、この世界を救った勇者さまならなんだって許されるわ。わたくしが、貴方を支えたいと、そう言ったの。……だけど、ダメだった。絶対に頷いてはくれなかった」
そこで言葉を切ったお姫さまは、そのときの気持ちを思い出したのかすっかり俯いてしまい、私はどうしていいかわからずに押し黙る。
見かねたアドルフさんが、静かな声で続きを話し始めた。
「ですから……私どもは、考えたのです。勇者さまの命をこの世に繋ぎとめる方法はなにか、と」
「…それが私?」
「ミコト様は、旅の間時折自分の世界の話をしてくれました。決して多くはなかったですが…その中に、ミユさんと呼ばれる方が多く登場しました」
「……え? ……え??」
おそらく、話の流れからして、その“ミユさん”は私のことなのだろう。つまり、勇者さまは私のよく知る人物だということだ。
みこと、みことくん。みことさん?
「…シーナミコト、と。初めて出会ったとき、ミコトはそう名乗ったわ」
「……椎名くん!?」
「ああ、お知り合いだったようですね」
ホッとしたようにアドルフさんは言った。私は、絶賛大混乱中だ。
椎名命くんという、よく知る人物の名前が出て、急速にリアリティが増していく。
椎名くんは、一年生のときに同じクラスだった男の子だ。二年生になってクラスは離れたけれど、たまに連絡をとったり、会ったら話したりしていたから、仲はそこそこいいほうだと思う。男子とあまり話さない私としては、仲の良い男の子は誰かと言われたら迷いなく椎名くんを挙げる。
「…ミユ。あなたになら、ミコトを生かすことができるかしら?」
「……」
「わたくしに出来なかったことが、あなたになら、できるのかしら」
「…姫」
「……あとのことは、あなたに任せるわ、アドルフ。わたくしは少し休みます」
お姫さまは、最後に私を温度のない瞳で一瞥して去っていった。すみません、と謝るアドルフさんに苦笑いを返しながら、納得する。だから、あれほど微妙な雰囲気を醸し出していたのだ。彼女が好きな男のために出来なかったことが、私にできるかもしれないから。…できなかったから、私に託すしか手立てがないことが、悔しいから。
「…そういうわけで、ミユ様をこちらへお呼びしたのです。衣食住は保証します。望むことは出来る限り叶えましょう。ですから、どうか……ミコト様を、繋ぎとめてほしいのです」
召喚に関しては、椎名くんの周辺の“ミユ”という女の子を探してどうにか呼び寄せたらしい。すごく賭けに近いと思うのだが、まあ、それはいいとしよう。
問題は、私が期待に添えるかということだ。椎名くんは、私の元クラスメイトである。それ以上でもそれ以下でもない。おそらくは、彼らが期待しているような、恋人だったりはしない。こんな私で、彼を繋ぎとめることができるのだろうか?
なんとも言えないままでいる私に、アドルフさんがよければ椎名くんのいる部屋まで案内してくれると言った。まだ何も思いつかないし、なにができるとも思わないけれど、とりあえず会ってみようと頷いた。
この世界で、私の知る人はたったひとり、椎名くんだけだ。
◇
あまりにも広すぎる城のなかをびくびくきょろきょろしながら進み、先導してくれていたアドルフさんが立ち止まったところで私も足を止めた。お城怖い、さっきの部屋までもう戻れないよ私……。
煌びやかな装飾があちらこちらで輝いている廊下を私が眺めている間に、アドルフさんが扉へノックしていた。ノックの作法は同じらしい。そういえば言語も同じだし、中途半端な異世界だなあ。
分厚そうな扉の向こうから、「なに」と平坦な声が返ってくる。
……ああ。
私は思わず止めていた息を吐いた。
そんな私をちらりと見て、アドルフさんは「少しよろしいでしょうか」と会話を続ける。どく、どく、と少しずつ高鳴り始めた鼓動の音が、邪魔でしかたなかった。
ああ、椎名くんの声だ、と思ったのだ。私が、よく知っている。
やがて、どうぞという椎名くんの返答に従い、アドルフさんがドアノブに手をかけた。アドルフさんは室内に入る気はないようで、開けたまま私に場所をあけるように一歩下がる。
いきなり室内に入るのはなんだか気が引けたので、その脇からひょっこり顔を出し、室内を覗いてみることにした。
「アドルフ、なにか用? また、アンドリア? それとも……え?」
「…椎名くん? うわあ、すごいっ。なにそれ、王子さまみたいだね?」
椎名くんの私室らしいそこは、少なくとも私が見てきた城内よりは落ち着いているように見えた。それでも現代日本の一般家屋のことを思えばきらびやかすぎるほどなのだけど……。
椎名くんは、ほとんど変わっていなかった。少し、背は伸びたかな? ちょっとだけ、大人っぽくなったかも? でも、よく知っている椎名くんだ。三年経っているらしいから随分変わってしまったかもと思ったけど、椎名くんの成長期さんは旅行中のようだ。
ようやく知っている顔を見られて、ホッと気が抜けたのか、私は幾分か気楽な気持ちになって部屋へ踏み込んだ。それから、この部屋が椎名くんの私室であると気が付き、慌てて「入ってもいい?」と聞いておく。
「え? あ、ああ、うん、もちろん……」
「えーと、お邪魔します」
私が室内にしっかり入ると、背後で扉がぱたんと閉じられた。どうやら、アドルフさんは本当に入らなかったようだ。
椎名くんはソファに座っていたみたいだけど、私を見た瞬間に立ち上がっていて、扉が閉まると同時に駆け寄ってくる。
「………し、椎名くん?」
「…美結さん?」
「う、うん」
「……本物?」
「えーと、多分、そうだよ。これが夢じゃないなら」
椎名くんは、同い年なのに私をさん付けで呼ぶ。私のほうも、なんだか本物の椎名くんなんだなあなんてしみじみしてしまう。
椎名くんは信じられない様子で私を頭のてっぺんから足の先まで眺めたあと、私の瞳を見た。あんまりにもびっくりしているので、えいっと頬をつねっておく。きょとんとして瞬きした椎名くんは、肩を落とし、苦笑いで言った。「本物の美結さんだね」……どういう意味?
「えと、三年ぶり……なんだっけ?」
「そうだ……美結さんは、なんでここに。……こちらへは、故意でなければ来られないはずだけど」
そう言いながらすっと表情をなくし、真顔で眉を顰める椎名くんにどうしたものかと暫し悩む。そうこうしてる間にも椎名くんの表情はどんどん険しくなっていき、とうとう「アドルフ!」と低く鋭い声で扉の向こう? へ呼びかけた。
驚いてびくっと身を竦める私に気が付き、椎名くんは「あ、ごめんね」と困った顔になる。その変わり身がなんだか椎名くんじゃないみたい。私の知ってる椎名くんは、穏やかな男の子だったから。
はたして、椎名くんの呼びかけに、アドルフさんはすぐに応じた。どうやら、扉の外へ控えていたようだ。アドルフさんも柔和な笑みを消し、真剣な顔をしていた。なんだか落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
「これはどういうこと?」
「は。勝手をお許しください。我が姫はミコト様を案じ、いてもたってもいられなかったのです。咎ならば私が」
「そう。やっぱり姫なんだね……咎って言うけど、召喚を実行できたのは姫だけだ。君にはできないよね」
「……はい」
「…君の姫に伝えて。僕は怒っていると」
その言葉にアドルフさんは顔色を変えたが、唇を噛み締めるだけで何も言わなかった。そのまま深く礼をして、無言で部屋を出る。
途端、椎名くんの冷たい雰囲気が和らいだ。少しだけほっとして、椎名くんを覗き込む。
「美結さん」
「えと、……いいの? あんなふうに言って。お姫さまなんでしょ?」
「いいよ、この国はあの程度で“勇者”を罰したりはしないから。むしろ、斬首にでもなればいいのにね」
私はその言葉に目を見張ったけれど、思い至ったようにすぐに椎名くんは言葉を続けた。
「そうだ、美結さんがいるから勝手に斬首になるわけにはいかないな……。でも、罰されることはないだろうから、大丈夫だよ」
どうやら、一応私で繋ぎとめることはできるらしい。お姫さまとアドルフさんの思惑は、成功だったようだった。