2人で幸せに
「洋一郎さん、朝ですよ~」
厚手のカーテンを勢い良く開け、思いきり伸びをします。遠慮なしに射し込む朝の光が部屋中を照らし、洋一郎さんの小さな呻き声が聞こえます。
ここ1週間で、朝夕はずいぶん冷え込むようになりました。秋の入り口のようです。あんなにしつこく立ち塞がっていた夏も、去るときはあっさり去っていきます。
まるで、ワガママな子どもみたい――思ってしまってから、私は深く溜め息を吐きました。既に諦めたというのに、どうして子どものことばかり考えてしまうのでしょう。
「んー、朝か……?」
「朝ですよ。ご飯も出来てます」
「そうか……」
まだ半分眠ったような声や絞り出すような吐息が何故か、夜中に聞くあの声と重なってしまい、顔が熱くなるのが分かります。毎朝起こしているのに、こんなことを思ったのは初めてです。溜まっているのでしょうか。……つくづく、女というのは嫌な生き物です。
「先に戻って待ってますね」
「耀子」
洋一郎さんが、ベッドの横から離れようとした私の腕を取ります。
「今夜、その……久しぶりに、な?」
「何言ってるんですか、洋一郎さん」
あまりにも久しぶり過ぎて冗談だと受け取ってしまいましたが、この様子からすると、あながち冗談ではなかったようです。
「なんて。実は、私もそう思っていました」
下から甘えるように見詰めてくる洋一郎さんの瞳に、今そのスイッチが入ってしまいそうになりますが、慌てて押し留めます。
安心したように微笑む洋一郎さんが私の腕を離したので、私は台所に向かうことにしました。
台所でエプロンを外しながら、テーブルを見て確認します。
目玉焼き、サラダ、お味噌汁、ご飯――結婚してから変えたことのない、うちの定番朝ごはんです。フレンチドレッシングとお醤油、2人ぶんのお箸とグラスが揃っているのを見届け、私はシンクに寄りかかりました。
「歯磨き、してくる」
「行ってらっしゃい」
寝ぼけ眼を擦りながら洗面所に歩く洋一郎さんは、相変わらず寝癖だらけです。そこが良い――なんて言ったら、洋一郎さんは怒るかも知れませんね。
テーブルについて、ドレッシングがもう半分もないことに気が付きました。また、新しいドレッシングを買っておかなくてはなりません。次は久しぶりに、胡麻ドレッシングを買うことにしましょうか。結婚したばかりの頃は、それこそ胡麻ドレッシングばかりだったのです。
席を立って、冷蔵庫に貼ってある付箋に書き込んでおきます。
「待たせて悪い」
「いいえ。いただきますか?」
「あぁ」
振り向くと、既に席についてお箸を構えている洋一郎さん。つい、笑みが零れてしまいます。
「いただきます」
席について、声を合わせての挨拶も、新婚当初から変わっていません。これは、幸せなことだと受け取るべきなのでしょうね。
いえ、正真正銘、幸せなことです。
「そんなに急いだら、喉につまっちゃいますよ?」
お茶碗を持って、慌てるように食べる洋一郎さんを軽くいなして、私もお茶碗を持ちました。
真ん中のプレートに鎮座していたはずの2つの目玉焼きは、1つが早々と洋一郎さんの口の中に飲み込まれてしまったみたいです。
「ん、美味い」
「ありがとう」
そうです。これからは、2人の時間を精一杯楽しむのです。子どもなんていなくても、私には洋一郎さんがいます。私の料理を美味しいと言ってくれる、私を必要としてくれる、洋一郎さんがいます。
「本当、美味しいわ」
目玉焼きを小さく切って、口に入れます。
美味しい。
何もかもが美味しくて、涙が出てきました。
「……どうしたんだ?」
「いえ、何でもありません」
涙を拭い、鼻を啜ってご飯を口に入れます。
「そうか……何かあるなら言えよ?」
「はい。すみません」
視界が、まだキラキラしています。涙の名残が残っているのでしょうか。
「でも、あれだな」
「なんですか?」
顔を上げると、洋一郎さんは、お茶碗とお箸を持ったまま、手を止めてこちらを見ていました。
「耀子がそうやって笑うとこ、久しぶりに見た気がする」
「そうやって……?」
「綺麗だってことだよ」
言ってから照れたのか、洋一郎さんは残りのご飯とサラダを掻き込んで、ごちそうさまの挨拶もそこそこにリビングを飛び出して行きました。
飛び出して行く程に照れても、きちんと残さず食べるところがまた、洋一郎さんらしいです。
キラキラした視界の中、私は再びご飯を口に入れました。
涙がでると、味が分からなくなります。
久しぶりのこの味に、子どもの頃がよみがえります。お弁当をひとりで食べた、あの時と同じ味です。
洋一郎さんは、本当に私を愛してくれているのでしょうか?