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幸せは遠く


 どうしたら良いのか分からない……なんて、都合の良い言い訳だと思います。自分の言ったことに今更突っ込むのも何ですが、答えは明確、もう出ているのですから。


 普段は優しくて穏やかな洋一郎さんが、子どもの話をする時だけ冷たくなるのは、私のせいだと思うのです。きっと洋一郎さんも、子どもが欲しいのです。


 洗濯物を畳んでいた手を止めます。


 そもそも、事の始まりは、幼少の頃なのです。あの時、薬を飲み続けていなかったら……いえ、病気にさえならなかったら、全ては上手く行っていたのです。

 病名を聞いただけでは、どんな病気なのか全く分からないそれは、しかしたくさんの人が知っていました。今でこそ知らない人が増えてきていますが、その病気は、罹ってしまえばとんでもないことになる、もちろん治りはしないし、周りにだって伝染るとんでもないもの……というように認知されていました。そんなことは決してないのですが。現に私は……いえ、もう過ぎたことです。


 気が付いたら聞こえたサイレンの音、救急車の狭い車内、鈍く痛む頭、母の血の気のない顔、事務的に要件だけを伝える病院の先生の声、いつの間にか駆け付けてくれていた祖母のやるせない表情……記憶は、消えて欲しくても消えない、一番大きなものかもしれません。


 洋一郎さんとお付き合いをしていた頃、お話したことがありました。名前も出したくない、忌々しい病気についてです。でも洋一郎さんは、私が話している間、ただ黙って聞いてくれただけでした。

 ただ頷いて、そして一言、


「でも、もう治ったんだろう?」


 薬浸けになってるのよ、と言うと、


「発作を止める為だろう? ありがたいじゃないか」


 そんなことがあって良いのか、不思議でたまりませんでした。家族も親戚もみんな、私を可哀想な子のように扱っていたのに、友達や近所の人は私を敬遠していたのに、洋一郎さんだけは違ったのです。

 だから、私は迷わず洋一郎さんを選びました。幸せになれる、そう思ったのです。


 人は幸せになんか、なれないのかも知れません。

 病院が、命を救う場所であると同時に、命を奪う場所であるように。


 欲しいものが手に入らないように、この世界は出来ているのかも知れません。

 助かるはずの母が、医者のミスで命を落としてしまったように。


 洗濯物を畳む手を再び動かし始めます。


 今夜は何を作りましょうか。……何だか、何も食べたくありません。どんな時でも食欲の湧くホワイトシチューも、今日は全く機能してくれそうにありません。

 洗濯物を畳み終えたら、とりあえず、いつものスーパーマーケットに行ってみようと思います。そうすれば、何か見つかるかも知れません。


 少し考え込み過ぎていたようです。時計を見ると、あれから随分時間が経ってしまっていました。作業の手を早めます。

 大好きなワンピースを着ていけば、少しは気分も晴れるでしょうか。


◇◇◇


 「ちょっと、」


「え?」


 急に、それも、お店に入ろうとしたその瞬間に声を掛けられるなんて予想もしていませんでしたから、つい大きな声が出てしまいました。


「久しぶり。俺だよ、俺。覚えてないの?」


「……あ、あぁ」


 高木俊介。

 メールを送って来ていた、その人です。


 まさか、こんなところで会うなんて……。そもそも、会わないと思ったからメールの返信もしなくて平気だったのですし、偶然会うなんて機会、絶対にないはず……そうです。


「どうして?」


 中学校の頃のクラスメイトである彼と、この町で会うはずはないのです。私は結婚して地元を出たのですから。


「いや、偶然。たまたまよ。んで、最近何やってんの?」


 最近……。

 洋一郎さんのことが頭に浮かびそうになって、慌てて頭を振りました。


「何も変わらないわ」


「なぁ、そのかたっくるしい喋り方止めようぜ? 昔は普通に喋ってくれてたろ? 俺だけに」


 ニヤニヤと笑う彼を見て、記憶が蘇ります。彼は昔も同じ表情をしていました。私は、何にも縛られない彼に憧れを抱き、同時に好きになったのです。


「……だから何よ」


「その顔だよ、その顔。お前は素が可愛いんだからさ、もっと表情崩してけって」


 耳が熱を持ったのが、ありありと分かりました。

 胸が鼓動を打っています。強く、速く。


「でも私、」


「お家柄か? そんなの関係ねぇだろ」


 ……洋一郎さんだけ、ではありませんでした。

 病気のことも家柄のことも気にせず、周りからすっかり浮いてしまっていた私を、からかったりしながら、話の輪に自然に入れてくれていた人。


「何で返信しなかったのか、とか訊かねぇからさ、ま、また何かあったら俺に言いな? 頼りになる俊介くんが聞いてやるからさ」


 優しい、本当に優しい彼を、私はどうして疎ましいと思ってしまっていたのでしょう。彼は本当に素敵な人です。昔からそうでした。言うなら、ヒーローのような……いえ、彼は正真正銘、私のヒーローでした。


「俊介くん」


「なんだなんだ? 早速お悩み相談か?」


「聞いて欲しい話があるの」


 私の真剣なこの気持ち、彼なら分かってくれるでしょうか。

 ……きっと分かってくれます。だって彼は、私のヒーローですから。


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