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幸せですか?


 『最近どうしてる? 久しぶりにちょっと会わないか?』


 そんなメッセージ共にいくつも並んだうさぎさんの満面の笑顔を見ていると、一瞬、ほだされそうになってしまいます。

 久しぶりに見る、彼のお茶目さが懐かしいです。


 って……落ち着きなさい、私。会えないのは分かっているはずです。それに、私は何を勘違いしているのでしょう。彼はただ、ほんの気まぐれにメールを送ってきたに違いありません。


「おい、なにしてる? 飯まだか?」


 カウンターキッチンの目の前の食卓についてラジオを聴いていた夫から、物音のしなくなった台所へ声が飛んで来ます。


「あぁ、ごめんなさい。今出来ます」


 携帯電話を慌てて電子レンジの上に置き、料理を再開します。


 それにしても、どうして今なのでしょう? 私が結婚しているのを知らないのでしょうか。――いいえ、だから、気まぐれよ。ほんの気まぐれ。そして、私は、洋一郎さんの妻なんですから、この話はここで終わりです。


「今日は何だ?」


「今日は……鶏肉のソテーと煮物と、あとはお味噌汁をして、キャベツを刻んで……」


 洋一郎さんは、私の答えを聞いてとても満足そうです。……いえ、自分の好物が食卓に並ぶからとかそんなことではなくて、私の声が好きなんだそうです。自分で言うのは、何だかものすごく恥ずかしいですが。


 声が綺麗、とは昔からよく言われていました。大好きな女優さんの声に似せようとした結果なのですけれど。それこそ、その女優さんは、本当に綺麗な声をしていました。――過去形だなんて縁起が悪いですね。まだご健在なので現在形に戻しておきましょう。本当に綺麗な声なのです。出演される映画やドラマは全て圧巻で、もちろん容姿も……整っている訳ではないのですが、――一介の主婦がこんなことを言うのは失礼ですけれど――とても愛らしくて、笑顔が、特に、小さな子どもに向けた笑顔が何より素敵で……時々、お母さん役を演じるのですけれど、あの幸せそうな家庭を見る度に、私も将来はこんな家庭を築きたい、なんて夢見たりして……。


 おっと。

 お気に入りや憧れについて話し始めると止まらないのは、私の悪い癖なのです。早く料理をよそわないと、洋一郎さんが待ちくたびれてしまいます。


「耀子」


 洋一郎さんの声が私の名前を第一声で呼ぶなんて、珍しいです。何か嫌な予感がしないでもありません。


「なにかしら?」


 でも、ここで不安を悟られてしまうのは全く良いことではありませんから、いつも通りを装います。


「いや……何かあったのか?」


「え?」


 何か、とは何でしょう。驚いて、つい声が洩れてしまいました。

 洋一郎さんったら、ずるいと思います。これでは、どこを切り口に話せば良いのか、見極めが難しいです。


「どうして?」


「いや、ないのなら良いんだ。ほら、最近は色々……あったしな」


「あぁ、……」


 色々。

 ありました。でも、本当に些細なことです。これからまた挑戦すれば良いだけのことです。

 大嫌いな病院にはもう金輪際行きたくもありませんが、洋一郎さんと一緒なら大丈夫な気がします。


「すまなかったな、俺のせいで」


 項垂れるように頭を下げる洋一郎さんが、何だか無性にいとおしく思えます。


「そんなことないわ、洋一郎さん」


「本当に、すまない。お前の夢も叶えられずに」


「……洋一郎さん」


 おかずをよそっていた手を止め、フライパンを置きます。

 洋一郎さんは、食卓についたまま、静かに項垂れていました。私は、そんな洋一郎さんが本当にいとおしくてたまりません。相手のことばかり考えては自分を責めてしまう、そんな人なのです。


「心配しないでちょうだい。私は、洋一郎さんがいれば他には何もいらないのよ」


 後ろから、優しく洋一郎さんに手を回しました。昔なら、こんな恥ずかしいこと――世間的に見ると、そんなことも無いのかも知れませんが――は全く出来ませんでしたが、随分出来るようになって来ました。相手が洋一郎さんだからかも知れません。


「……耀子、ありがとう」


 洋一郎さんが、私の手を弱々しく握りました。騒がしかったラジオはいつの間にか、静かなバラードに変わっていました。


「耀子、」


 洋一郎さんが、私を振り向きます。洋一郎さんが私を見上げる形になるこのアングルは、とても珍しいです。何だかむず痒く、目を逸らしそうになったその瞬間、ぐー、と、浪漫の欠片もないような音が、洋一郎さんのお腹の辺りから聞こえて来ました。


「ふふっ……ごめんなさい。すぐつぎわけますね」


 回していた手を解き、私は台所へ向かいます。

 せっかく作った料理は、だいぶ冷めてしまっていました。仕方がありません。時間はかかりますが、また温め直すことにします。


「耀子」


「なにかしら?」


「愛してるよ」


 拗ねるように言う洋一郎さん。結婚前から変わってはいません。でも、私は彼のこういうところが好きなのです。


「私もよ」


 愛してるわ、洋一郎さん。


 煮物がぐつぐつと煮立って来ました。醤油の良い香りが立ち上って来ます。……私のお腹も、もう少しで鳴いてしまうかも知れません。


「お前は、俺の自慢の妻だよ」


「……ありがとう」


 結婚してから、私は「自慢の妻だ」なんて幾度となく聞かされてきました。誰に見せても恥ずかしくない、自慢出来る、と。やっぱり、そう言って貰えるのはとても嬉しいものです。思わず顔が綻んでしまいます。

 洋一郎さんの呟くような声は、私の耳を擽って、いつも幸せを運んで来ます。どうやら、私も、洋一郎さんの声が好きなようです。


「お待たせしてすみません。出来ましたよ」


 料理をお盆にのせて、食卓に運びます。ラジオは再び、賑やかな笑い声を響かせていました。

 全て運び終えたら、ラジオを切って、2人での落ち着いた夕飯の時間です。


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