6――厭世主義を識る者
しばらくして、コウの耳に第三者の声が届いた。
「……疲れた」
宴の主役の登場だ。解放されたのか遁走してきたのか、とり巻きはいない。
疲労困憊の体で近寄るサヤを、コウは苦笑で歓迎した。
「そう言ってやるな。大半がキミの登場を百年前後も待った連中だ」
「ボクじゃなくて、神器《斬界の刃》の使い手である不死者をでしょ」
「いや、キミで合ってるよ。――本人がどう思っていようとね」
「…………」
コウの訂正を受けてサヤが目を逸らす。その視線の先にはキキョウの姿が。コウの膝枕で幸せそうに寝息を立てている。
「……その子、随分と懐いてるじゃん。片目と引き換えに命でも救ったの?」
「よく分かったな」
「お約束だしね」
サヤが皮肉気に口の端を歪める。
その暗い瞳に、コウは強い諦観と燻る苛立ちの影を見た。
「でも、片目と引き換えってところがダメだ。貴方は主人公に程遠い」
「後半の主人公云々は謎だが、前半は同感。次からは上手くやるさ」
「貴方に次なんてないよ」
冷ややかな声で死刑宣告のようにサヤが断じた。
「だって……強敵と斬り結ぶのはボクの仕事だ。貴方たち《オウマ》が百年以上も雌伏の時を甘んじたのは、そういうことでしょ?」
「――……あぁ、その通りだ」
もう五年前とは違う。
救世に不足していた〝未来〟の加護――勇者の力が存在する。コウの継いだ左腕が反応しない障害は、彼女に蹴散らしてもらえばいい。
「期待してるぞ」
「それは困る」
「えー……」
盛大な肩透かしを喰らった気分でコウは呻き声を上げた。
どうしたら良いと言うのか――湿った眼差しで、サヤを非難する。
「期待されても困るの。……ボク自身、何一つ期待していないのに」
サヤの態度は変わらない。
諦観と苛立ちを背景に、呪詛のような愚痴を吐き散らかす。
「団長の貴方には伝えておく。ボクはこの〝テンプレ世界〟に辟易してる。愛着なんて欠片も懐いてないし、良い方向に変えようとも思ってない。ここを第二の故郷と呼ぶ自分は、今の時点じゃ想像すらできない」
「……そんなキミが、どうしてあそこまでご立派な依頼を?」
「恩返し。十乃重継古には恩がある。彼女にどんな思惑があったとしても、消えない大恩が……。だからボクは、この世界を無意味で無価値だと笑わない」
「その代わり期待もしない――か」
コウはサヤの胸中を言い当てて、苦笑を噛み殺した。
(これまた難易度の高い子が召喚されたもんだ)
亡き盟友、ケイコ・トノエには改めて敬意を表する。
よくぞこの歪んだ少女を真っ直ぐ導いてくれた。最初にケイコが出会ってなかったらと思うと、本気でゾッとする。
サヤは二代目勇者どころか、二代目魔王を名乗っていたかもしれない。
「ところで『てんぷれ世界』には、どういう意味が? やっぱり略称?」
「……ボクが元いた世界は、こっちと違って科学技術が発達している。その恩恵の一つが、インターネット――ケイコさんは『全人類が寄稿可能な無形図書館』と考えていたみたい。ボクはそこで数多の物語を読み漁った」
「読書が趣味ってことか」
「違う。ボクの趣味は、素人が書いた物語の酷評」
悪趣味……!
喉元まで出かかった単語を、コウは懸命に飲み込んだ。
「ちなみに作者の反応見て悦に浸るまでがワンセット。あ、今の意味は――」
「……ぃや、いい。解説はいらない。なんとなく予想できた」
コウは内心で亡き盟友に再び敬意を表し、話の続きを促した。
「物語を読み漁った事実と、テンプレ世界がどう繋がるんだ?」
「……自由な発想で綴られる空想の世界も、千や万を超えて増えていくと徐々に似通る。ましてや気軽に執筆公開閲覧できるとなるとね……」
人気の有無で物語の似通り具合に偏りが生じる。しかもその内容は、大半が稚拙極まりない。類似品どころか、完全な盗作まで定期的に出てくる始末――。
この程度は異世界人のコウにも想像できる当然の帰結だ。
「人気の物語は事細かに分析・模倣される。流行り廃りも含めて、読者が好み求める内容は徐々に割り出され……結果、蔑称を冠するまで増殖した」
「その蔑称がテンプレ?」
「正確な単語は、テンプレート。本来は蔑称なんかじゃないんだけど……そこら辺はどうでもいいか。問題は、ボクが告げた『テンプレ世界』の意味」
目を伏せたサヤが、自分の身体を掻き毟るように抱き締めた。服の肩口に穴が開き、皮が破けて肉が千切れる。しかし、少女が痛みを感じた様子はない。
――痛覚操作は不死者の基礎能力の一つ。永寿族以上の基礎機能や期間限定の不死ほどではないが、有用な力だ。
発作にも似た過剰な拒絶反応を示しながら、サヤが吐き捨てる。
「異世界・神・神器・勇者・魔王・魔物・神獣・魔獣・迷宮・魔石・戦争・魔法・ギルド・チート・ハーレム・エルフ・ドワーフ・差別・奴隷・転生・召喚……この世界はボクが酷評してきた物語未満。陳腐で劣悪。ネット小説のテンプレ要素を詰め込み、発酵させた感じ。今も腐敗臭の中で生きてるような最悪の気分……」
「なるほどね」
言い分は初耳ながら、コウはサヤ・シドウの主義を完璧に理解した。
「厭世主義ってやつだ。俺がご都合主義だから、つり合いがとれて良い」
「……は?」
今度はサヤが肩透かしを食らう番だった。歓迎の反応は予想してなかったのだろう。呆気にとられた様子で目を丸くする。
コウはあえて空気を読まず、問答無用で話を戻した。
「期待が困ると言うなら撤回するよ。
頼りにさせてもらう――これなら文句ないだろ?」
「…………まぁ、うん」
「と言っても、不死者の出番はまだ先の話。当分の間は訓練漬けだ。主に俺が教師となって、戦のイロハや勇者の心構えを叩き込んでやる」
「……やっぱり微妙に納得いかない。結局、期待してるとの同じじゃない?」
「違うと言えば違うし、同じと言えば同じか。不満は察するが諦めてくれ。これもまたご都合主義のやり口の一つだ」
「いや、その発言はもっと納得いかない。って言うか、意味わかんない。」
まだ軽く困惑中のサヤが首を捻る。
コウは次の展開を想像しながら、口の端を緩めて少女の発言を待った。
「もちろんご都合主義の意味は知ってるよ。物語を酷評するとき『展開が〝ご都合主義〟すぎる』って感じで、頻繁に利用した言葉だしね。意味を説明しろと言われると、少し面倒臭いけど……」
「立場や主張に一貫性がなく、その場その場で都合良く態度を変えること。自分に都合の良い行動しかしない人を指す場合もある。――俺の場合は前者だな」
「……え? ちょ……は? い、今の説明ってテンプレ世界限定の話? ボクの知るご都合主義とは意味合いが微妙に違うんだけど」
「以前、永寿族が教えてくれた知識だから、異世界でも同じだと思うぞ」
「へぇ……」
サヤが感嘆の息を吐く。聞き馴染んだ単語の、初めて聞く別の意味を噛み締めているらしい。その姿は知識欲旺盛な子供そのものだ。
コウはサヤの動揺が静まるのを待って、動く右腕を差し伸べた。
「腐敗臭の中で生きてるような最悪の気分――だったか? そりゃそうさ。キミが知らないことは〝腐る〟ほどある。だからこそ頑張って学ぶべきなんだ。……大丈夫。俺が懇切丁寧に手とり足とり教えてやる。存分に頼り、期待してくれ」
「――……」
「どうした? まだ何か文句があるのか?」
「……ある。キミじゃなくて、沙耶だよ。コウさん」
「知ってる。改めてよろしくな、サヤ」
今代《オウマ》団長コウと不死者サヤの掌が重なる。
百年以上の停滞を乗り越えて、ついにテンプレ世界の刻が動き出した。