38――蒼月夜の英雄譚
布陣した反乱軍の様子は、傭兵と民兵とで明暗がハッキリしていた。
最前線に出張る予定の傭兵たちは誰も彼も自然体だ。荒事が生業なだけあって、開戦前でも顔色一つ変えていない。強者の余裕が感じられる。
一方、民兵は重度の悲壮感を漂わせていた。
厳しい調練を乗り越えてはきたものの、今日が初陣。自信に繋がる経験もなく、死を厭う生物の本能に逆らえない。逃亡者が出るのも時間の問題だ。誰か一人でも逃げ出そうものなら、動揺は流行病のように広がって逃亡者が続出する。
だが、そうなる前に本営から〝英雄〟が姿を現した。
戦支度を整えたレニィの登場で、民兵たちの動揺が消し飛ぶ。誰もが恐怖を忘れて、総大将を務める女性の美貌に目を奪われた。
レニィが威風堂々とした足取りで陣の中心に進む。
すると彼女の周囲に軍団の主要構成員が集まり出した。キキョウを筆頭とする十数名の精鋭たちだ。大将の傍らを歩む軍師コウに続いて、一同一斉に片膝を付く。
「準備は整っております、レニィさま」
「ありがとう」
レニィはコウの感謝を告げると、愛剣を引き抜いて天に掲げた。
「――数百年のときを超えて、今再びアガスに英雄が求められている」
蒼き月の光煌く夜に誕生した、とある英雄たちの御伽噺を紡ごう。
王すら穢せぬ願いの果てに、一夜限りの逢瀬を守りぬいた雄姿を謳おう。
騎士の誰もが敬意を払い民の誰もが畏怖して止まぬ、決死の闘いを讃えよう。
それは人間族と永寿族の戦争が本格化してすぐの出来事。許されざる恋に生きた少年少女の別れの前日。蒼い三日月の光煌く聖夜、アガスで小さな内乱が生じた。
内乱の結末は想像の範疇を超えない悲劇で彩られ、少なくない死者が出た。その大半は少年少女の友であることを選び、他の全てと敵対した者たちだ。
――判明しているのは、その程度。
仔細は不明瞭で、真偽を疑う者も多い。ただ、この御伽噺が親から子に脚色もされず、連綿と受け継がれてきたのは事実だ。
「私たちの闘いを余人はきっと認めない。罪人の烙印を押される可能性も高いわ。でも……今宵、アガスの平穏を守れるのは私たちしかいない」
たった一夜に命を燃やして、全種族から忌み嫌われた名もなき者たち。当時の世論は彼らを〝悪〟と斬り捨て、史実に存在を刻むことすら厭んだ。
そこに小さな奇跡が生じた。
忘れたくないと願う者がいた。英雄と称されるべき〝誰かたち〟の闘いを。例え記録から失われても、記憶し続けたいと願った。
だから幾千万の平穏な夜を越えた今も、こうして語り継がれている。
それこそが、アガスに伝わる御伽噺|《蒼月夜の英雄譚》の真価。
「かつての英雄たちのように……私だけじゃ足りない。皆で一丸となって、蒼月夜を目指しましょう!
我らは今この瞬間より〝蒼月軍〟の名を背負う!!」
「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」」」」」
≠ ≠ ≠
カイシュ率いる〝遊撃軍〟とでも呼ぶべき集団が、平野で小休止をとっていた。
アガスを発って以降、通常の二倍近い速度で西進を続けていた。接敵までもう間もなく。これが最初で最後の休息となるはずだ。
「――なんだと?」
カイシュが英気を養っていたところ、奇妙な報告が舞い込んだ。
先行中の斥候部隊が壊滅。辛うじて逃げ延びた者によると、西の窪地に謎の集団が待ち構えているらしい。
「それは……確かなのか? 魔法による幻影の可能性は?」
「紫雲石を散らしたので、幻影はありえないとのことです」
疑念に満ちたカイシュの確認を使番が否定する。
「正確な数は不明ですが、謎の武装集団がヒズイの窪地に布陣しています」
ヒズイの窪地とは、東西北が斜面で南が切り立つ崖の歪な窪地だ。進軍時は迂回が推奨されるくらい、襲撃を受けるに最悪の地形である。
(罠と考えるのが自然だが……誘いにしても、あからさますぎる)
敵は囮。その目的は時間稼ぎのはず。わざわざ不利な地形を選んで、これ見よがしな罠を仕掛けるだろうか? 稚拙というか、博打が過ぎる。
「レリプト、どう思う?」
そうカイシュが問うと、彼の背後にそびえ立つ石灰色の小山が揺れた。
大気を震わせる欠伸と身震いを挟んで、閉ざされていた双眸が開く。巨大な黄緑色の瞳に、大半の兵が気圧されたかの如く後退した。
「思索で時間を浪費しては、それこそ敵の思う壺。例え罠でも我が蹴散らすさ」
重低音の声が粗雑な感想を吐き出す。
滅多に出番のない神造兵器レリプトは、退屈な日常に飽き飽きしていた。滲み出る不機嫌さは全力で暴れられる期待の裏返しだ。
甲殻で覆われた神獣の巨体を背もたれに、カイシュは必要最低限の手を打った。
「……では百の精鋭分隊を用意しよう。伏兵として東方面から迂回。敵の背後に回りこませろ。残りは西へ。一直線に敵を狙う。伏兵の存在を匂わせぬよう、強襲用の脚力で翻弄するぞ」
カイシュが副長に指示を出すと、すぐに足の速い精鋭分隊が選抜された。迂回と埋伏用の時間を稼ぐため、強行軍で先行する。
やがて小休止の時間が終わり、本隊も動き出した。中心はカイシュを背に乗せた神獣――レリプト。その周囲を千と九百の騎兵が囲う。
一同は大地を鳴動させながらヒズイの窪地を目指した。
「やはりレリプトを駆ると、隠密とはかけ離れた行軍になるな!」
「隠れてコソコソ動くのは性に合わんのだ。今回も派手に暴れさせてもらうぞ」
会話を交わしながらでも、レリプトの四足は騎兵の最速を優に凌駕する。
振り落とされまいと手綱を掴んで踏ん張るカイシュが、小声で愚痴を吐いた。
「待ち伏せにヒズイの窪地を選ぶとは……、亡者め。いったい何を企んでいる?」
「我が知るか。上で辛気臭い面をするのはやめろ」
レリプトが丘陵を荒々しく駆け上がる中、素っ気なく応じた。その口元からは火の粉が零れている。
「……おかしい。妙に血が騒ぐ。まるでかつての大戦のようだ」
「大戦というと、魔王相手の?」
「ああ。魔王と呼ばれた謎の異形。そして〝邪神〟を騙る裏切り者。あのときと比べれば、今回の戦など児戯に等しいが……なぜか似た空気を感じる」
奇妙な既知感。しかし、レリプトがいくら考えても答えは出ない。
結局、遊撃軍はそのまま何事もなく丘陵の頂上に到着した。
眼下の窪地に武装集団が布陣している。吹き降ろしの風に棚引く旗は、黒面に白丸――トコヨの国旗。
「情報の三倍か。我らがきて正解だったな、カイシュ」
「――……いや」
カイシュがレリプトの見解を震える声で否定した。
「あれは……違う」
銅鑼の音が響く。窪地に布陣した軍勢の中で、新たに別の旗が掲げられた。深緑の五紡星と五大神獣の文様――ハザウェル国旗。
これを見た遊撃軍に激震が奔る。
「我々の旗じゃないか!」「なぜ亡者が人間族の国旗を……?」「侮辱用か」「我が物顔で背負ってやがるぞ」「なんの真似だ?」「裂くか燃やす気だろ」
再び銅鑼の音が響き、三つ目の旗が掲げられる。二対の国旗を従えるかの如く中央を陣取ったその旗印に、遊撃軍の誰もが息を呑んだ。
それは永遠に忘れまいと、親から子へ語り継がれてきた御伽噺の象徴。
闇夜に輝く星々と、隣り合う双つの蒼い三日月――蒼月夜の英雄旗。
「……どういう……ことだ?」
レリプトの疑問に誰も答を返せない。
唯一事情に勘付いているカイシュも、驚愕に言葉を失っていた。
英雄旗の下に集う軍団、その中心に立つ女性が剣を振り翳す。
「――――」
言葉は届かずとも、彼女の意志はカイシュに通じた。
(生きていたのか、レニィ・ミゼア……フォスターっ!!)
蒼月軍代表からの宣戦布告を感じ、カイシュは無意識に両の拳を握り締めた。




