2――人間族と永寿族
想定外の事態に、コウは慌ててナイフを振り下ろした。作戦開始の合図だ。部下が一斉に動き出す。コウ自身も潜伏場所から跳び出した。
同時に、騎手の乱暴な停止命令で馬が悲鳴を上げた。
「今の音……もしかして気付かれたんじゃ!?」
「追い込み役の連中は何してやがんだっ。オイ、亡者を動かせ!」
雨音に紛れて響いた馬の嘶きで、待ち伏せ中の五人も異変に気付く。
仲間の指示で《メルザ》の二名が駆け出した。子供が馬をなだめている隙に距離が詰まっていく。異様に早い。
「「…………」」
二人揃って標的を間合いにとらえるや否や、無言で斬撃を繰り出した。
寸分狂わない連携の冴えも見事ながら、特筆すべきはその威力。よく肥えた馬があっさり四つの肉塊に解体された。
あと少し下馬が遅ければ、子供も同じ運命を辿ったはず。
神業ではない。今のは単純な〝人外の力技〟だ。
(やっぱり《メルザ》の下は〝永寿族〟か。……ま、当然だよな)
気配を殺して走るコウの表情に焦燥感が滲む。
仮面《メルザ》を装着した二人は、コウのような人間族じゃない。〝永寿族〟を自称する、異世界の国――ニホンの死亡者だ。
永寿族は前世の記憶を維持した状態で、どこからともなく蘇る。
傷や病の完治以外、外見も死亡当時と同じ。しかし、その実態は肉体の構成物質からして人間族とは規格が違う。永寿族の呼称が示すように老死知らずで、桁外れの身体機能に翻訳能力、挙句に〝魔の法〟まで宿している。
産まれながらの強者と断言していい。
「馬を犠牲にしたとはいえ、よく無傷で生き延びたもんだ」
「継古女史が鍛えたのでしょうか? 悪くない身のこなしですね」
惜しみない称賛を送るコウとキキョウの耳に、仲間の詠唱が届いた。
「HOMURAYO HAYABUSATONARI SORAWOYUKE」
人間族のコウには理解不能な響き。異世界言語――ニホン語が、この世界を狂わせる。術者の願いと言霊を糧に〝魔法〟が完成した。
鳥を模す焔が無から生じて、雨粒をものともせずに飛翔する。追撃に走る人外二名の間に着弾。小規模の爆発を引き起こした。
詠唱時間にしては威力が高い。術者の優れた力量が窺い知れる。
(人間族相手なら無力化も期待できる一撃なんだが……)
雨に濡れた地面を汚すゲルの量を見て、コウが舌打った。
人間なら血肉が飛び散る場面だが、永寿族の場合は違う。肉体を構成していた物質が、ゲルとなって廃棄されるのだ。
そして肉体構成物質の違い故か、永寿族は死に難い。致命傷となるのは心臓部か頭部の破壊、もしくは斬首のみ。焔の怪鳥はどの条件も満たせなかった。
黒煙に紛れて、《メルザ》装着者が二人とも跳ね起きた。
「奇襲失敗。敵と味方の立ち位置はぐちゃぐちゃ。よりにもよってアカ隊長と副長が最も遠く、子供の救援は間に合いません。……コウさま、どうしますか?」
コウの護衛を務めるキキョウが、情報を分析して指示を求めた。
ひた走るコウの目にも、難敵二名の生存は確認できた。同族からの奇襲に動じた様子はない。背中合わせで新手の位置を冷静に探っている。
逆に子供の方が困惑していた。
「仲間割れ……じゃないよね。第三者? でも、この反応……?」
暢気に首を傾げて隙だらけ。
子供に自衛の手段があるとは思えず、コウは決断を余儀なくされた。
「キキョウ、俺はいい。子供の方を頼む」
無理は禁物という、先刻の忠告を綺麗サッパリ忘れたかのような命令だ。キキョウと言えど不平不満は拭えまい。なのに、それでも彼女は従順に頷いた。
「ご武運を」
そう言い残し、矢のように飛び出す。
永寿族の脚力を解放したキキョウを見送り、コウは戦況を整理した。
キキョウは凄腕揃いの仲間内でも特に最強の呼び声が高い。彼女が護衛に回った以上、子供の安全は約束されたようなものだ。
(問題があるとしたら、俺自身の安否くらいか)
しかし、事前の忠告を無視して護衛を外したのだ。
これで無様に負けるなど絶対に許されない。
コウは決意を改めて足を止めた。人間族の部下を二人左右に、同族の敵三名の前に立ち塞がる。狙いは連携の阻害。一人として逃がさないためだ。
そのまま人間同士で一対一の決闘になだれ込む。
「なんで《メルザ》も抜きに亡者と人間族が!? 貴様らいったい何者だ!?」
「一介の傭兵さ」
剣を構えながらの追及に応じ、コウはナイフを投擲した。細い鎖を連れて、鋭く尖った切っ先が標的の喉元に迫る。
速度は中々。ただし、なんの工夫もない馬鹿正直な一投だ。
当然のように軽々と回避されてしまう。
「次」
コウは悔しがる素振りも見せなかった。投擲は本命のための布石。手元の鎖を操ることで変則的な鞭打を放つ。
死角を狙う会心の一撃だ。が、これも紙一重で命中しない。
(一番の外れを引き当てたかな?)
鎖を掻い潜って前進する挙動から、コウは敵の実力を自分以上と判断した。真っ当に闘っては敗北必至だ。戦技以外の部分で勝機を見出す他ない。
策で追い込んで虚を突くか、肉を切らせて骨を断つか――。
コウが答えを出す前に、下段から飛燕の如く鋭い斬撃が放たれた。
「ッシ……!」
「クソ!」
悪態を吐くコウ。相手の踏み込みが深く、単純な後退じゃ躱せない。咄嗟に上体を逸らす。おかげで辛くも回避に成功したが、敵は攻め手を緩めなかった。
連続回避は体勢的に不可能。猛烈な危機感に襲われて、コウは鎖を手放した。腰元から絡繰り仕掛けのナイフを引き抜く。
だが、防御は間に合わなかった。
敵の袈裟斬りがコウの肩口に届いて――止まる。
「この感触は……〝黒砂晶〟!?」
「正解」
黒砂晶とは砂金に似た小粒の黒い宝石だ。天界の神秘が流入・結晶化した〝魔石〟の一種で、その特性は守護。これを塗した外套の防御力は生半可な鎧をも凌駕する。永寿族でもない限り、一太刀じゃ突破できない。
流石に多少の衝撃は抜けたものの、負傷度合いは打ち身が精々。戦闘には支障無し。コウは顔色も変えずにナイフを突き出した。
敵が瞬時に飛び退く。コウの刺突は届かない。
「残念。――終わりだ」
今度のナイフは絡繰り仕掛け。コウの指先一つで間合いが変わる。
飛び出た刃が敵の喉を貫いた。
「あれ? 団長、もう勝っちまったんスか?」
得物を回収したコウの耳に、部下の呆れ声が届く。
左右に散開した部下二人の闘いぶりからは、危なげの欠片も感じられない。肉を切らせて骨を断ったコウとは違い、堅実な戦法で敵を追い詰めていく。横目でコウの無事を確認し、愚痴を吐く余裕まであった。
「博打じみた戦法で勝ち急ぐのは控えてくだせぇよ」
「同感。時間稼ぎに徹してくれたらいいものを。またキキョウを泣かせる気?」
「小言は勘弁してくれ。綱渡りだったのは認めるけど、敵が猛者で仕方なくだ」
左右からなじられ、コウは肩身の狭い思いで歩き出した。
「俺はキキョウと合流する。そっちも片付き次第、アカ隊長副長の援護を」
背中に「了解」を二つと、断末魔の絶叫を二つ浴びながら、別の戦場へ。
「まだ続けますか?」
「…………」
「……愚問でしたね。この歳で感傷とは、我ながら情けない」
仲間の加勢で数的不利から脱したキキョウが、一対一の決闘を行っていた。
勝敗の行方は誰の目にも明らかだ。無傷のキキョウに対して、相手の《メルザ》装着者は満身創痍。武器を失い徒手空拳で、しかも片腕が炭化している。
なのに彼は動じない。
半死半生の身体を一顧だにせず、ただ黙々と闘い続ける。まるで自我を持たない繰り人形のように……。
これが仮面型拘束具《メルザ》の力だ。