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Confusion ‐混線‐

作者: 藍植りん太

2012年学祭で販売した部誌に掲載した短編コメディです。

 高校生の息子・タイシが誘拐されたらしい。

『二億だ』

「は? 何の話でしょう?」

『貴様の息子の命を二億で売ってやる。安いものだろう』

「……それは、身代金という意味ですかな?」

『話が早くて助かる。そんな貴様なら、売れ残った商品がどんな末期を迎えるのか、言わずとも解るだろう。一時間後にこちらからかけ直す。返事を聞こう。では――』

「ま、待ちなさい!」

『おっと、お決まりの文句を言い忘れていたな。《警察に連絡したら息子の命は無い》、そういうことだ。では一時間後に』

 決断に要した時間はゼロである。幸いインサイダー取引で荒稼ぎした財産が腐るほどあったので、考える間もなく私は金庫のインサイドにたんまりと貯め込んだ札束を掻き出し、キャリーケースに詰め込んだ。

 札束は意外と重量がある。二億円ともなるとその重さは二〇キログラムを超えるのだ。庶民には及びもつかない感覚だろうが、私のようにインサイダー取引でもすれば体験できるのではないだろうか。

 衰えた身体にこの重労働は大分応えたので、しばし休憩を取ることにした。紅茶の準備をしよう。インサイダー取引で稼いだ金でインドのノースタクバル茶園から直輸入したダージリンのセカンドフラッシュ。最高級品のシルバー・ファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコであり、見事なマスカテルフレーバーの香る見事な逸品なのだ。専門用語の分からない非インサイダーの諸君はグーグルでも活用すれば良いのではないかな?

 っあー美味い。うん、美味い。うん。こう、ね、芳醇な、その、香りが、こう、ふわーっと、ね、うん、美味い。

 そうして優雅に寛ぎながら、次のインサイディングに向けた株売買の内部情報を閲覧していると、自宅の電話が鳴り響いた。

 時計を見ると、既に前回の電話から一時間が経とうとしていた。ならば相手は先程の誘拐犯であろう。私は深呼吸をしてから受話器を取った。

「……もしもし」

『あ、もしもし。オレオレ、オレだけどさ』

「ま、まさかタイシか!?」

『そうそう、タイシだけどさ、実は交通事故を起こしちゃって――』

「タイシ! 誘拐犯からは自力で逃げおおせたのか!?」

『示談金を……ゆ、誘拐!? え、えっと、う、うん! そ、そうなんだよね! いやー危なかったわー! ギリだったわー! うん!』

「そうか……三日前に足を複雑骨折していながらよくぞ……」

『えぇっ!? えっと……じ、実はさ、通りすがりのお巡りさんに助けてもらったんだよね!』

「な、なんだと!? 通報していないのに解決してくれるとは、最近の警察は優秀だな……」

『(おい、どうなってんだ! 交通事故起こした息子と、示談を勧める警官って設定で三〇万円くらい頂戴する予定だったのに、なんかどんどんおかしくなってんぞ!)』

『(しょうがねえじゃねえか! ほら、警官役お前だろ!)』

「なんだね? 小声でこしょこしょされても聞こえんよ?」

『あ、はいっ! お電話替わりました! 私その警官です!』

「おお! 息子を救って頂けたそうで、本当になんとお礼を申し上げたらよいか……」

『い、いえいえ! 当然のことをしたまでです! そ、それでですねお父さん……』

「はい?」

『えーとですね…………うーんと……こ、今回の件を示談で済ませるおつもりは……』

「何をおっしゃいます! 誘拐事件ですよ!? これは立派な刑事事件でしょう! 当然然るべき刑罰を望みますよ」

『で、ですよねー! そ、そうなんですがー……(ポポポポッ)』

「おっと、申し訳ない。キャッチホンが入ってしまいました。そちらに出てもよろしいでしょうか」

『ど、どうぞどうぞ!』

 私は通話相手を切り替えた。

「もしもし」

『時間だ。答えを聞こう』

「……はて、息子は助かったはずじゃ……」

『何を寝ぼけている。貴様の息子は未だこちらの手の中だ。声を聞かせてやる』

 受話器の向こう側で何かが動く音がして、別人の声が響いた。

『父さん! 助けて! 父さん!』

「その声は、(まご)う事無くタイシ! わ、分かりました。金は用意しました。どうすればよろしいので?」

『よし。午後四時に川口駅西口公園の公衆トイレの中だ。そこで受け渡しを行う』

「川口駅西口公園の公衆トイレのインサイドですね。了解いたしました」

『結構。では後ほど』

 誘拐犯との会話が終了し、再びお巡りさんとの通話に切り替えた。

「どうなっているんですか! 息子は助かっていないじゃないですか!」

『ええ!? そ、そう……なんですか……あっ、あー! そうなんですよ! い、いたたたたた!』

「ど、どうしました!?」

『犯人に銃で撃たれ、またタイシくんを奪われてしまい……本当に申し訳いたたたた!』

「そうだったのですか……」

『それで犯人は身代金を要求しています。お金さえ渡せばタイシくんを無事に帰してやると……なので代わりに私が――』

「はい分かっております。既に準備は出来ております。場所は川口駅西口公園の公衆トイレのインサイドですよね? それでは現地で落ち合いましょう。では」

『んえ!? そ、そうですそうです! ではそこで!』

 電話を切った私は、すぐに外出の準備を始めた。溢れんばかりの資産を持つプロインサイダーとしていい加減な格好で出歩くことなど、例え息子が誘拐されていようと私のプライドが許さない。アルマーニのスーツに颯爽と袖を通し、外出中に自宅の電話に着信があってもいいように、私の携帯への転送設定を施し、さあいざ取引へという矢先だった。

 ぴりりりりっ。ぴりりりりっ。

 どこかから携帯電話の着信音がする。振り返るとそれは三インサイダー程の金額でスワロフスキーに特注して作らせたガラステーブルの上に置いてある、タイシの携帯電話から発せられる電子音だった。

「タイシ、携帯を忘れて行ったのか……」

 普段は他人の携帯電話を触ることなどしない私だが、この非常事態である。万が一何か重大な連絡かもしれぬと、その携帯を手に取った。

 非通知で着信している。通話ボタンを押した。

「もしもし」

『わたし、メリーさん。いま、あなたの家の前にいるの』

「メリーさんですか。タイシのお友達ですかな? 実は私はタイシの父でして……実は今タイシはかくかくしかじか――」

『まるまるうまうまというわけなの……?』

「ええ」

『そう……わかった』

 それだけ言って、電話は切れてしまった。それにしても可愛らしい声をした女の子であった。もしかするとタイシのガールフレンドだったのかもしれない。あの声で『お養父(とう)さま』などと呼ばれる喜びは、どれ程インサイドに切り込んでも手に入らないのだろう。

 おっと、こうしてはいられない。

 私は改めて、取引場所へ向けて出発した。




 川口駅に着いたのは約束の四時の二〇分前だった。西口で降りて風景を見渡す。埼玉県の南端、都心に程近い立地にありながら、豊富な緑が見る者の心を和ませる素晴らしい景色だ。この川口という街の暮らしやすさ、住民の幸福感がひしひしと伝わってくる。一方東口は近年再開発が進み、真新しい巨大商業施設が立ち並んだ都会の景色。経済的な発展の凄まじさを見せつけられると同時に、オープンデッキの手すりや街頭など至る所に惜しげも無く使用された高品質な川口鋳物が、この街が工業でも日本のトップクラスであることを窺わせる。

 川口――なんという楽園か!

 決して作者が根っからの川口っ子だからステルスマーケティングにやっけになっている訳ではない、決して!

 そんなよし無しごとを垂れ流しつつ、西口公園で憩う川口市民たちを横目に公衆トイレへ。

 そのインサイドには既に一人の男が立っていた。

「失礼します。私はタイシの父親ですが、もしや貴方が……」

「あっ! は、はい! どうもご苦労様です!」

 ふむ、やはりこの方が――

「手筈通り、お金はこちらに。さあ、どうぞ」

「これはどうも……お、重っ! い、一体おいくら万円ほどこの中に……?」

「そりゃあ、このキャリーケースのインサイドには言われた通りに二億円ポッキリ、耳を揃えて入っておりますとも」

「にっ、におく!? そそそそんなにいただけませんよ! 精々三〇万くらいあれば十分――」

「何を仰います! さあそのまま持って行ってくださいよ!」

「うっ……うう! ありがとうございます! ありがとうございます! 僕ら、もう二度と犯罪になんて手を染めたりしません!」

「はい、もう誘拐などしてはいけませんよ?」

「誘拐? はあ、そりゃいたしませんとも。では!」

「もしお金に困ったら、ちゃんとインサイダー取引をするんですよー!」

「はーい!」

 男性は涙を流しながら立ち去った。おそらく誘拐犯の使いだと思われるが、これで間もなくタイシは解放されることだろう。

 すると間を置かずに、思いの外清潔な公衆トイレのインサイドに携帯電話の着信音が反響した。私の携帯に、自宅の電話から転送されてきている。

「もしもし」

『……やられたよ』

「ああ、その声は誘拐の。お金は渡しました。早くタイシを解放してください!」

『金? 何のことだ? そんなものもう必要ない。私の負けだよ。貴様には警察には連絡するなと言ったな。ああ確かに貴様は警察には連絡しなかった。その必要もなかったのだ』

「はあ、確かに一一〇番はしていませんが……」

『最期に教えてくれよ。貴様、こんな優秀なヒットマンをどうやって雇った?』

「ヒットマン? 殺し屋ですか?」

『ああ、貴様の送り込んだ女ヒットマン一人にうちの組織は壊滅させられてしまった。私は籠城してなんとかまだ生きてはいるが、それも時間の問題だろう。こちらの構成員は一方的に弄り殺されていくのに、敵の姿を誰一人として目視出来ない。なのに声だけは聞こえるそうだ。その名はメ『わたし、メリーさん。いま、あなたのうしろにいるの』んぐぅああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』

 そこで受話器を取り落したのだろう、がちゃがちゃという雑音の後、電話口に出たのは誘拐犯の男ではなかった。

『もしもし! 父さん!』

「おお! タイシ! 無事だったか!」

『うん! メリーさんっていう女性が助けてくれてね。まるで人形のように可愛らしい女性だよ! あ、メリーさんが父さんと話したいらしいから替わるね』

『わたし、メリーさん。ずっとタイシさんのそばにいるの』

「おお、そうですかそうですか。これからもよろしくおねがいしますね」

 どうやらタイシは解放されついでに嫁を手に入れたらしい。

 色々なことがあって大変な一日だったが、随分と幸せな気分で終われそうである。こんな幸福な日は、インサイダー取引に限る。さて、先ほど仕入れた情報からしてあの会社の株を――

「失礼します」

 家路につきかけたところで背後から肩を叩かれた。

「埼玉県警の者です。インサイダー取引の件で、あなたに金融商品取引法違反の嫌疑が掛かっています。御同行願えますか?」

「ふむ」

 どうやら川口は治安も良いらしい。

 私はバラ色の未来へ歩み出す息子夫婦(予定)の事を想いながら、自嘲気味に呟いた。

「やれやれ、取引はインサイドでも、法的にはアウトサイドだったみたいですな」


〈了〉

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