光の鳥
昨日の闘いは無惨なものだった。
少年特攻隊としての任務は、未だ終われない。
走りやすく作られた革製の靴の紐をきつく結び、配布された拳銃を片手に持ち、集会に集まる。
いつもと同じ事。
現在の敵の位置とか、どのグループがどうするとかそんな話を聞いて、個々のテントに戻る。
「今日も救護に回ったな」
ペアの海斗が不満そうに言った。
「仕方ないだろ。俺等ぐらいしか救護に回れる奴いないし」
俺たちは、この特攻隊の一番下の年齢。突撃したところで役には立たない。
作戦的には、もう少し大人になるまで待つ予定らしい。
戦争はまだ終わる気配がない。
重い救急箱を持ち上げて、救護用のテントに移動する。
昨日の闘いが激しかったせいで、負傷者がいつも以上に増えていた。
死者も倍に増えていた。
「遥、28番の床に行って包帯変えてきてくれないか?今、担架から下ろさないといけないから」
海斗は次々運ばれてくる血塗れの仲間の相手に忙しそうにしている。
言われた通り、28番の床に向かう。
床と言っても、薄い布を敷いただけ。環境は最悪だ。
「包帯変えますよ」
話もろくに出来ないような人間に話しかけ、血がにじむ包帯を剥がした。
その時に腕を触って、脈を取る。動きは無かった。
あぁ、ここまでだったか。今の時間を見て、ポケットに入れ、ぐしゃぐしゃになってしまった紙にメモする。
名前が分からなかったので、指紋を採っておいた。
下に敷いた布を引っ張りながら、外の火葬場に遺体を投げた。
朝だというのに、10人ぐらいの死体があった。大体は、きちんと体が残っていない。
特攻隊と言うほどのことはある。
銃一本で突撃する、体がきちんと残っていたら奇跡だ。
本当はもっと死者は多いだろう。見せるだけの死、だと先輩達は話していた。
帰ってくるものは、徐々に減っている。
「今日は忙しいぞ。向こうから連絡がきて、今から負傷・死亡合わせて100人は来るらしい」
「はい分かりました。ここの仕事も早めに済ませます」
救護班の班長、白川が遥に言う。
何度か同じセリフを聞いてきた気がする。気のせいだろうか。
それから午後迄の間、俺はずっと死体を運ぶ作業を続けていた。
休憩時には、血と腐朽した独特の臭いが染み付いていた。
堅いパンを噛りながら、服を着替えた。
休憩は約10分。時々、肉が食べたいとかみずみずしい野菜を食べたいとか、そんなことを思いながら過ごすだけの時間である。
後は特に考えていない。脳裏に浮かぶのは、死んでいく兵士達。
それを酷いとも、もう思わない。
毎日同じ風景と同じ行動。同じ人同じことの繰り返し。
最初は辛かった。ストレスも感じた。
ただ慣れてしまえば逆に抜け出せなくなる。
もしも戦争が終わったら、生きていれば、その後の未来を描くことができない。
夢を見ていた期間が短すぎた。
「遥!早く食って仕事しろ!もうすぐ引き上げてくるぞ」
「はい分かりました」
残りのパンを頬張り、走って仕事場に戻る。
いつもの仕事を済ませ、気付けば夜になっていた。
「はい、今日は終わり。各自、テントに戻ること。きちんと体を休め明日に備えておくように」
白川の声はいつも通り大きい。聞こえないふりはできない。
貯水池で喉を潤し、濡らしたタオルで体を拭く。
水を浴びるのは、一週間に一回だ。
睡眠をとる小さな狭いテントに5人で添い寝する。
あまり仲は良くはないため、海斗以外の人とは話をしない。
「遥は戦争が終わったら、何する?」
急な問い掛けに驚いたが、普通に返した。
「特にない。できれば就職して、普通に暮らしたい」
「ふーん」
海斗はつまらなそうに、欠伸を一つついた。
「海斗は?聞くぐらいだから、なんかあるんだろ」
「あぁ、俺は外国行こうかなって」
「外国?またなんで」
「多分、ここが復旧できるまで相当の時間がかかると思う。それまでに外国で色んな知識を勉強してさ。この国に会社を興したいんだ」
「会社か…大層な夢だな」
話しているときの海斗の目は、凄く輝いているようにも見えた。
「遥には、何もしたい事ないのか?」
「どうなんだろう…考えたこともない」
「そうか…いつか見つかるといいな」
「あぁ、是非ともな」
そのまま倒れこむように寝た。相当疲れていた。
深い闇に堕ちていく、そんな気がした。
「前へならえ、進め」
朝の集会。初めての救護以外の仕事。
特攻隊の一番重要な仕事に就いた。
「行け!」
命令はそれだけ。
敵が戦車や、最新の兵器を使ってくるのに対し、拳銃一本のある種生身といっても過言ではない状態で突撃する。
そして今回の特攻は、最後の特攻となった。
怒り狂ったように、敵に襲いかかるも雑魚と同じように、乱射した弾に当たり、皆倒れゆく。
奇跡的に当たらなかったもの達は、殴りかかる。威力の弱い銃を使い、ただ腕を振り落とす。
考えはない。
俺も皆と同じように、1人の敵に殴りかかった。
敵はよろめき、つまずいた。
俺等と同じぐらいの少年だった。
つまずいた衝撃で、俺は武器を手放してしまった。
しかし何をためらったのか、皆が乱射し始める中、あの時あの少年は一度も弾を放たなかった。
俺が銃を向けた瞬間、恐怖に脅えるのではなく、ただ真っ直ぐに正面、俺を見ていた。
俺が引き金を引く手は意外にも素早かった。
その時に初めて殺した人は、同じぐらいの少年となった。
「進め」
相手の指揮者が軍を進め、仲間達を次々打ち殺していく。
俺は、それに当たることは無く、流れ弾に右肩をやられた。
突き刺さったようだ。痛さは尋常じゃない痛さだった。
まだ生きている味方が、段々と減っていくのを薄れていく意識の裏で見えた。
完全に意識がなくなったとき、右腕はもう使い物にならなくなっていた。
「うっ……」
目覚めたとき、激しい痛みが一瞬突き刺さった。
「起きたか」
「ここは…」
「救護用のテントだ。よかった、生きてたか」
白川が少し嬉しそうに言った。ただ何かがおかしい。
「よかった命だけは、助かって」
「命だけは?」
白川の言っている意味がよく分からなかった。
「あぁ…右手を見てごらん」
「右手ですか?」
意味が分からず、右手を顔の前にもってくる。
「あれ……?」
確かに顔の前にもってこようとしたのに、右手が見えない。右手がない……?
腕すら、目に映らなかった。
「分かるか?ないんだ、右肩から下が、右腕がないんだ」
は?まさか、ちゃんとあるはず…ある感じが…
そう思い、右肩の方に目を向ける。
ない……ない!
「なんで!?なんで腕がないんだ?」
勢いあまり、立ち上がろうとした。
しかし片手の無い状態など、体験したことなどあるはずがない。
上手く立ち上がることができず、床に頭を打ち付けてしまった。
「肩、撃たれただろう?あれが貫通してた。分かるだろう……使えない腕を持っていても、腐れていくだけなんだ。血も回らない、腐敗が進んで他の場所に支障があると大変だろ、仕方ないんだ」
イコール、俺は用なしか。これからどうすればいいんだよ…
「それともうひとつ、朗報なのか悪い話なのか、気の毒な話だよ。戦争が終わったんだ」
「戦争が終わった!?なぜ?もしかして、勝ったんですか?」
頭が混乱して、思ってないことを言ってしまった。
「いいや、負けた。この約一年の間、ギリギリの戦いだっただろう?だけど相手は相当の兵力があったらしい。本当は数ヶ月で片付けられてしまっていた戦いをしていた。
この国は意地でも負けたくなかったんだろうな。負けたら、敵のしもべだから。
たく、迷惑な話だよ。これからの職も無いっていうのに…ここで解散だとよ。
救護を待つ人達も見捨てろと、どうせ死んでしまうからなんて、馬鹿げた話だ」
何が何だかよく分からなくなった。終わるはずのない戦争が終わって、そのあとは?
「遥、お前当てはあるのか?家族はどこに住んでるんだ?」
「家族、いません。この前、全員死んだと連絡が来ていました。
どこかに雇ってもらいたいんですが、この腕じゃあ無理か…」
「じゃあ、役場に行けばいい。仕事が見つかるかもしれない。今なら、総理のボディーガードとかそんなのから、工場のねじをまく作業の仕事まで色々分かるらしいぞ」
「白川さんはどうするんですか?」
「俺はまあ、一旦家に戻る。それからどうにかするさ」
「そうだ、海斗は?海斗はどうしてるんですか?」
それを聞くと、白川は曇った表情を見せた。
「海斗は、あの攻撃以来見ていないんだ。あの現場には、敵がいなくなった後行ったんだが……姿は見えなかった。
遥が最後に見たのはいつだ?」
「出発する前です。ばらばらに整列させられたので、あれから一度も」
「そうか、生きていればいいんだが」
海斗……。戦争が終わった事を知っているのだろうか。
「まあ、今迷っているのかもしれない。じきに見つかるだろう。今お前はお前の事を考えていろ」
確かに…今は自分の居場所を見つけなければ。
腕がない……それにも早く慣れよう。
とりあえず、起きることからだな。
とりあえず、左腕を使って起き上がる。予想以上に力を使うのに、少し驚いた。
「とりあえず、役場の場所を教えてください」
「無理ですね」
早速、門前払いを食らわされました。
「片腕ないんじゃあ…普通の仕事には就けませんよ」
役場の職員は、面倒そうに対応する。
「普通のじゃなくてもいいんで。何かお願いします」
「無理です。あなたにお教えできる仕事はありません」
畜生、右腕がないくらいで決め付けんなよ。
左腕はあるじゃんか。
「何でもいいですから。資料だけでもください」
机に片手を乗っけて、反対側に乗り出した。
「あーもう、分かりましたよ」
そう言うと、手に持っていた資料を押しつけた。
ものすごく迷惑そうな顔をしている。
何時間もかけて歩いてきたのに、こんな扱いなんて最悪だ。
まあ、貰えたしいいか。
まだ感じる違和感を抱えながら、所々崩れている町の中を歩いた。
その途中で座り、資料を読みあさった。
沢山の資料の中、目についたのが一つあった。
面接があり、しかもそれが明日。なんというタイミング。ついてるな。
早く仕事しなければ。
帰る場所なく、その場にある草むらに寝転がる。
薄くなってきた空を見ながら、徐々に眠りについた。
朝、顔に何かが降り掛かってくる感触で目を覚ました。
雨だ。すっかり目が覚めて、面接会場という場所に向かった。
地図ではあまり遠くないというのに、歩くと遠い。
なんかムカつく。
砂利道を歩き、着いた面接会場。人が結構集まっていて、正直帰ろうとしたが帰るところもないことに気付く。
白川は、きちんと手当てもしてくれ、また戻って来てもいいと言っていたが、向こうにも事情がある。
甘えることはできない。
「ちょっと……あの人……」
面接待ちの人々が口をそろえて、俺の腕を見ながら噂する。
やっぱ目立つのか、しかも14の子供だし。場違いだったかな。
「君、どうしたんだい?迷ったのかい」
誰だか分からない男性が声をかけてきた。
「いいえ、面接を受けに来ました。どうして迷っているとお思いになったのですか?」
満面の笑みで、男性に話し返す。
馬鹿野郎、赤ん坊扱いしやがって。
「あぁ…面接、面接ねぇ」
今にも笑ってしまいそうという顔をしながら、連れのところに帰っていった。
あいつ、絶対落ちろ。
言いたいのも分かるが、言われる身にもなってほしい。
めっちゃイライラする。
「じゃあ番号渡しますんで、順番回ってきたら番号でお呼びます」
愛想の無い面接官らしき人が、番号が書かれた紙を配る。
俺は22番か。
競争率高過ぎだろ。
「では1番の方から、どうぞ」
来なければよかったかな。
受かる気さらさら無いのに、もう可能性0。
暇な時間、なにも考えずにぼーとしていた。
戦争が終わって、すぐの奴とは思えない冷静ぶりは、自分でもびっくりした。
「22番の方、どうぞ」
やっときたかー。危うく寝てしまうところだった…。
「失礼します」
戸を開け、入る。席まで誘導され座った。
「お名前は?」
「柳 遥です」
面接官は、紙にメモしている。
「おいくつですか?」
「14です」
「14歳には、この仕事は難しいかもしれないですが…」
「大丈夫です。頑張ります」
「そうですか。」
まさかこれで終わりか?少し期待したが、やはりそうではなかった。
「あと一つ、右腕は元々ですか?それとも…」
「これは戦争で撃たれたんです。腕として、利かなくなってしまったので」
「戦争で…、気の毒に」
「はぁ…」
面接官が初めて感情をあらわにした。これには少しびっくりした。
「はい、ではこれで。お疲れさまです」
「ありがとうございます」
普通に外に出ていく。
それから何人かが面接を受け、控え室で結果を待つ。
「お疲れさまです。結果は一人一人回って伝えます」
そういうと、結果が書かれた紙を見ながら、控え室にいる人間に伝えていく。
「22番、柳 遥さん。もう一度聞きます。仕事は難しいかもしれないですか、出来ますか?」
「えぇ…出来ます」
「そうですか。実は、あなたに決まったんですよ」
「は?嘘じゃないですか?」
考えられない。俺が…あの人数を抑えて…
「嘘じゃないです。残っていてください」
「はい…」
みんなが帰って行く様子をぼーっと見る。
しばらくすると、すべての人がそれぞれ家へと帰って行った。
その時、現れた1人の少女。
「遥君、初めまして梨乃と申します」
「あ、初めまして。柳 遥です」
スゴい美人だな。髪はさらさら、瞳は大きいし…って何考えてんだ、俺!
「あなたが私の、側近になるんですか?」
「あ、はい」
無意識に頭を下げていた。初めまて会ったのに、なぜかこの人に仕えると感じた。
なんでこの人が側近と言うものを必要とするのか、それは分からない。それなのに…
「早速ですが、私は自宅に帰ります」
「分かりました」
多分、ついていけばいいのか。
前を歩いていく梨乃を、後ろからついていく。
「遥君、家はどちらですか?」
「家ですか、無いです」
「え!無い?」
前を歩いていた梨乃が急に後ろを向く。
びっくりして、歩くのを止めた。
「ごめんなさい!驚かせて、しかもタメ口で…」
「いや、いいです。あと、タメ口で話されるほうが、気が落ち着きます」
「そう?ならよかった。でも、家がないってどうするの」
「その辺で寝ます」
驚きの顔で、俺を見る。
やっぱ、美人だー。
「ダメだよ、適当じゃ。どこか安全な場所に寝よう…あ、うちの近くにいい場所があったから、そこに来て」
「でも、そんなこと」
「心配しないで、私が全部どうにかする」
「いいんですか?」
「えぇ。断っても、命令してたから。側近が道端で通り魔にでも会ったら、困るの」
「はぁ」
家、ね。あんまり好きじゃないんだよな。
ただ黙々と歩き、梨乃の家をめざす。
「私の家、ここの4階全部」
梨乃が指を差した先には、見たこともないぐらい大きなマンション。
逆光で眩しく見えた。
「行くよ」
普通にエレベーターに乗る梨乃が、少し怖く見えた。
戦争があった後、しかも直後にこんな家に住めるって、何者…。
着いた4階は、いくつもの部屋が分かれている。
「この中の1つにいるから、探すのがまず朝の仕事」
「朝って何時ぐらいですか?」
「日が昇って、暖かくなってから。適当でいいから。正直朝は特に何もないから。鍵渡すけど、朝と呼ばれたとき以外に入ってきたら、すぐクビね」
渡された鍵は、それぞれの部屋のカードキー。
多すぎて、どれがどれだか分からない。
「さ、次は遥君の“家”ね」
「はい」
またエレベーターで降りていく。
「あの…階段はありますか?」
「え、あるけど」
「そうですか」
エレベーターは気分が悪くなる。
自分は、階段を苦しく駆け登る方が性に合う気がする。
歩いて、約15分くらい。小さな一軒家が見えてきた。
「あれ」
「あの一戸建てですか?」
「うん。小さいけど、1人で暮らすなら十分だと思う」
いや、ゆうに5人くらいは添い寝できるぞ。
1人では大きい。
梨乃は鍵を渡し、中に入っていく。
それに続いて入っていく。
「家具とかは、明日一気に運ばせておくから。ちゃんと明日からうちに来てね。じゃ」
「あの、一つ聞いていいですか?」
「何?」
「お仕事は何をされてるんですか?」
聞くと、梨乃は動きを止めた。
「いずれ気が付くよ。だから…もう聞かないで」
怒り口調で言っているように聞こえたが、悲しそうにも感じた。
どうゆうことなのだろう。
俺には、計り知れない気持ちなのだろうか。
「とりあえず、今日はもう特にないから。お風呂入って着替えて、ちゃんと睡眠とってよ」
「分かりました」
「じゃあ今日は送らなくていいから」
梨乃は、玄関のドアを開き、颯爽と帰っていった。
少し歩いて、ため息をついた。
「なに強がってんだろ」
あ、カバンの中に着替えあったかな。
がさがさとカバンの中を漁り、適当に出した。
かろうじて見つけた上着とズボン。
まともに風呂に入れるなんて、もうありえないと思っていたのに。
夜も更けた頃、寝付こうと床に転がった。
蘇る、あの思い出たち。
無性に広い部屋は、独りだと感じていたあの戦争での生活と似て、寂しかった。
転がり込んだ世界は、全て突飛な世界で…、そのせいで普通の生活とか分かるはずもない。
おいで……
父の言葉がふと頭をよぎる。
幼い俺を呼ぶ声は、優しくも恐ろしいものを隠していた。
母も姉も、家族が家族ではなくなってしまったのは、いつからなのだろう。
そう昔ではない過去を、無意識に感じた。
明日の朝は、目覚めが悪そうだ。
「梨乃さーん?」
インターホンを押して、呼んでみる。
はい、6回目反応なし。
隣の部屋に行こうとしたとき、3回目に訪れた部屋が開いた。
「あ、おはようございます」
寝起きの無防備な顔が、遥を見る。
「鍵、渡したでしょ」
「あぁ、そうでした」
すっかり鍵のことを忘れていた。一応持ってきたのに。
「はー…、まあいいや。今日朝、暇なんだ。仕事ないよ」
「じゃあ俺は…」
「昼にまた来て、そしたら仕事あるから。その間に朝御飯でも食べてきて、あ、お金ある?」
「ないですけど…」
「やっぱり、だからこんなに細くて小さいんだ。じゃあお金渡すから、食べてきて。
それから服。だらしない格好で歩くのは許さない。分かった?」
「はぁ…」
だらしない格好以外って…なにがあるのか…スーツとか?
「じゃ」
梨乃はバタっと強くドアを閉めた。
とぼとぼと階段をおり、適当に歩いた。
とりあえず、飯。倒れて死にそう。
いま死んだら、梨乃さんが恨みそう、仕事してないくせにって。
てか梨乃さんのキャラが掴めない。
いや、掴まなくていいんだけど……。
歩いていると気がついた。
今、俺が立っているこの場から左と右の世界。
様子が全く違う。
右は、戦火を浴び、一部家を残すだけの街。
うってかわって左は美しい町並みを保っている。
まるで境界線を引いたかのように、きれいに違う。
その中で、今自分はどこにいるのだろうか。
境界線の線の上を、丁寧に歩いている気がして、気分が悪くなった。
どこにも存在しない。
「はい、蕎麦ね」
出店の老婆が差し出した蕎麦を、さっと受け取った。温かい。
「兄ちゃん、腕はどした?蕎麦、持てるか?」
「あぁ大丈夫です。腕はちょっと色々ありまして」
「そっかぁ、兄ちゃんもか。私もな、戦争で片目がね。
でもしっかり覚えてるよ。向こう側のお金持ちたちは、傷を与えられていないんだよ」
悲しそうに話す老婆。片目が見えなくなってしまった人には思えないぐらい、元気だ。
「なぜ?」
「金だよ。あの人たちは、戦争の相手に金をやったのさ。
代わりに自分たちは攻撃するなってさ。
意地汚い奴らだよ、長年生きて、こんなの初めてだよ」
「それは本当ですか?」
「さぁね。噂だけど、あれだけ綺麗に家が残っているだろ?なにか裏があるに決まってるよ。
ほら、蕎麦が冷めるよ。暖めなおさないからね…」
「あぁ…」
屋台を離れて、でこぼこに凹み反転したドラム缶の底を台にして、蕎麦を置いた。
利き手が左でよかったと思う。食べることに不自由はあまり感じなかったが、不便だとは思った。
汁をすするのに、いちいち箸を置かなければいけない。
麺も汁も全てが薄味の蕎麦を食べ、服屋に急ぐ。
スーツ、スーツを売っている場所は…。
「お帰りください」
「は?」
客になにその言葉?
「貴方にお売りするスーツはございません」
「お金ならありますけど」
店員が苦笑いをする。あぁ、俺の姿と格好か。
確かに、こんな奴がスーツ買いには来ないからな。
「とりあえず、見せてください。俺は買いに来たんです」
「………失礼しました…」
腑に落ちなそうに、店員は引き下がった。
あの老婆が言っていたのも、合っているのか。
でもどっちも同じぐらい両方を啀み合って……よく分からない。
端からスーツを一着ずつ見ていく。
良いと思ったスーツをいくつかとり、合わせてみる。
梨乃さんの後ろをちゃんと歩けるように、シンプルでこの街に紛れられて…。
結局、三着を手に取り購入した。
ただ、汚らしい格好でスーツを持ち歩いていたら、きっと泥棒にでも見えると思い、試着室で着てから外に出た。
「ほぉ……」
さっきまで犬猿していた店員が、見違えるほどの変貌ぶりに驚いていた。
見た目で判断するべきじゃないね。
ただ片腕が無いのは、少し可笑しいけど。
一度家に帰り、荷物を置いた。
唯一持っていた金目の物は、伯父や伯母から貰った小遣いを貯めて買った腕時計で、それを腕にはめて昼を待った。
え、梨乃さん?
「どうしたの、そんな変な格好」
「だらしない格好以外だったら、スーツと思って」
「なるほど、まあ早く身長が伸びたらまともね」
そんなことはともかく、梨乃さんの格好が…。
巻いた髪に、派手な化粧。
格好も足を全て出す勢いのミニスカート。
初めて会ったときの梨乃さんと、全然違う…。別人?
「いい?今から仕事あるけど、遥君はついてくるだけ、側近だとしてもとりあえず、まずはついてくるだけね」
「分かりました」
ついてくるだけ、か。それって仕事なのか?
疑問には思ったが、言うのは止めた。なんかまだありそうだし……
数日前とは全く違う格好をした二人は、綺麗に建物を残す町を歩く。
ちぐはぐな二人組なんだろうなと思った。
「遥?遥だよな?」
歩く遥に声をかけた男性。
「おぉ、生きてたか」
近づいてくるが、それを無視して梨乃についていく。
「まさか、忘れたのか?今まで育ててきた……」
「あなたのような方は、私の知り合いにはおりません」
きっぱり言い切る。早く消えてくれ……出てくるな…
一言で男性は、諦めがついたらしく、その場で戻っていった。
年季の入ったシャツと黒いズボン、昔からあまりかわらない顔。
「くっそ、遥め!!俺を無視しやがって」
「またお子さんの話ですか?」
「子供じゃない。あいつは……」
酒を一気に飲み干し、また注文した。
「絶対捕まえてやる」
狂気に満ちた男性を、誰にも抑えることはできなかった。
「お父さんじゃなかったの?」
「違います、人違いしていたんですよ」
そう、本当に人違いだったら良かったのに。
「ならいい」
ハイヒールで歩きにくそうにしながら、つかつかとまた歩き始める。
父さんなんて、居てほしくなかった。
家族も、俺も世界に生まれなければ良かったのに。
そしたらあんなこと、絶対なかったのに。
「生きてて楽しいか?」
酒癖の悪い父は、飲むといつもこうだった。
「さぁ、別に」
いつものことで、適当に返すようになっていた。
「生きてても、何も良いことなんてないさ、みんな死ねばいい!そうすれば俺は幸せだ!」
まただ、今日も暴れだす。
コップを投げ、椅子をも投げる。
窓は割れ、床は多くの傷付き、家具は大体壊れかけている。
修整するも、夜にいつも壊される。
「出ていけ!みんな死ね!消えてなくなれ!!!」
近くにあったものを投げてくる。
すぐに、母と姉と一緒にベランダに逃げる。
息を殺して、おさまるまで待つ。
その間に次々と飲むので、夜は大体ベランダで眠る。
「はぁ…」
毎日母はため息を吐いている。なんで別れないのだろう、そんな柔な考えを一時は持ったが、理由はもう分かり切っている。
父の仕事、財産。父は、某政治家。
その親は、代々続く会社の社長。
一人っ子で、継ぐ財産は全てで、家も4人で暮らすには広すぎるぐらいだった。
中は荒れているが。
早く出ていきたい。
それだけを日々思っていた。
ある日の午後。
「遥、こっちに来てごらん」
気持ち悪いぐらいやさしい声で、俺の名を呼ぶ。
それに背き、聞こえていないふりをする。
「遥、お父さん呼んでるよ」
母のいらない告げ口により、それに応じる。
「なに?」
少し口調を荒くした。
「お前、14だよな?」
「だからなに?」
「お前を兵として出すことにしたから。明日から行ってこい」
すぐ理解した。戦争を奨める政治家をしてる父親が、国の争いに力を貸さないわけにはいかないからな。
それで俺を、いつものとこ意地汚い奴だ。
怒りは頂点に達していた。
「ちょうど良いじゃないか。あんたらと離れられるな。戦場行ったら、さっさと打ち殺されるだろうな」
最後、こいつらに面を向けるのは最後だ。
「酒癖悪いあんたも、金で釣られた奴も、
それに殉してる奴からもさよならだ。なんて嬉しいんだろう」
出ていくタイミングを見計らっていたが、こんなに上手くいくとは。
「遥っ!!」
姉が慌てて叫ぶ。
あいつは金さえあればいいんだ。
努力なんてものを知らない。だから高校に入っても、勉強すらしない。
欲しいもの、全て手に入れている。
服も名誉も地位も美も男も、全て金だ。
「なんてこというの…」
あんたもだ。
地面を這いつくばって、身を売ってまで生きていたと言うが
今はそんな人間もを、侮辱しながら生きている。
「お前……」
地位確保のために家族まで売る、そんな父と、金に魅せられた母と姉に愛想がついた。
「そこまで言うなら、お前にも一つ真実を教えてやる。
お前は、身寄りの無い、ただの捨て子だった。
ギャーギャー喚くお前を拾ったのは俺で、育てたのはこの三人だ。」
「分かりますよ?戸籍を一度、見ていますから。」
突然の言葉に突然の嘘。自分でも意味の分からない嘘をついた。
「だったら今までの恩は分かるはずだ!ほんとの親を恨むんだな」
混乱する頭が、今にも爆発してしまいそうになった。
「…さよなら」
逆にそれが本当の話かは分からない。
けど、確信はあった。
父、いや義父が持っていた特攻隊要請の書類を引っ張って、家を出ていった。
誰一人、追い掛けも引き止めもしない。
もう帰れない。
14になったあの日、全てを無くした。
あの瞬間から、家族は消えた。
あぁ違う。元々なかったんだ。
「梨乃さん」
「なに?」
「くだらない質問、していいですか?」
「勝手にして」
梨乃は歩みを止める気配はない。
「家族ってなんですか?」
「……、遥君が今までどんな生活してたか知らないけど、家族って思えば家族なの、分かった?」
「はい…すいません」
「なんで謝るのよ、意味わかんない」
一緒緩めた歩みを、より一層早めた。
そうか、俺には、いないんだ。家族…。
「遥君さ、14だった?」
「あ、はい」
「そ。年下か」
「いくつなんですか?」
「16。多分ね」
「多分…ですか?」
「生まれた日とか知らないし、年とか曖昧」
なんか意味が分からない…。
最初はボケてるのかなと思い、違うだろうと考えた。
「そんなうつむく?拾われたから、いつのまにかこうなってるし。
今行く場所で大体わかるから。口出さないでよ」
「分かりました」
それでも考えて、うつむきながら梨乃の後をついていた。
梨乃が分からない。
最初の清楚な雰囲気と違うし、話し方とか、色々。
てか、仕事内容知らないんだけど……書いてなかった……読んでないだけか……?
輝く繁華街を颯爽と歩く梨乃が、妙に浮いてるように見えた。
姿もそこらじゅうを歩いている女達と変わらないというのに。
「り〜の〜」
とぼけたような声で、誰かが梨乃を呼ぶ。
「今日は店にいるのかなぁ?」
ふらついた歩みで、近づいてくる。
この男、相当飲んでるな。キツい酒の臭いが、鼻の奥をくすぐる。
「あ、こんにちわぁ」
まさに余所行き、みたいな声で話をする。
「さみしいんだよ〜?いないとさぁ。みんなかわいーけど、やっぱり、りのが一番だからぁ」
「そんなぁーみんな可愛いでしょぉ?じゃあ後はお店でね。ちゃぁんと来てよ?」
「はーいよ。じゃあねぇ」
ふらつく足で、どこかに消えていった。
昼真っから酒って、最悪……。
てか、謎が増えた。
余計に、自分の意味が分からなくなった。
「行くよ」
あ、戻った。クールな梨乃さん。
酒と煙草、香水に…。個々の独特の臭いが、キツいぐらい鼻についた。
むせて、咳き込んだ。
「ここが職場」
看板が掛かっている。楼華……ろうかって読むのか?
他の店とは違い、大人しげな雰囲気を醸し出しているが、少し気味も悪い感じがした。
ネオンに紛れ、間もなく消えてしまいそうな照明が、薄気味悪い雰囲気を更に強くしていた。
「裏口から入るのが常識だから、絶対客が入るドアから来ないこと」
言われながら、細い建物と建物の間をくぐり抜けていく。
埃が紛れ、スーツが台無しになってしまった。
埃を払いながら、裏口への道を歩く。
「梨乃さま?ずいぶんとお休みしたことね」
梨乃の目の前に現れた、見知らぬ女性。梨乃と似たような姿の人だ。
「悪い?」
「全然♪ただねー、客が少なかったわ〜。お目当ての娘がいないんだもの、
引き返す客はいっぱいいたわね」
「そう。別に、なんでもいいけど」
素っ気ない返事を残し、裏口から中へ入る。
ついていく俺を、女が尻目に見ながら呟く。
「なるほどね」
何がなるほどなんだろう…?
あの人、なんか喋り方が悪いというか、なんかあんまり話したくない。
まあどうせ、傷だらけで右腕が無い妙な子供に近づくものはいないだろうし。
「梨乃、何故昨日休んだ?」
背の高い、すらっとした男が梨乃に話しかけてきた。
「すいませんでした。色々ありまして」
「確かに付き人の事は梨乃に任せたが、仕事は絶対に来い。分かったか?」
「迷惑かけてすみませんでした」
「仕事で挽回することだ」
キツそうなこの男、どこがで見たことある……、あの時の面接官だ。
無表情な人。
「柳」
「はいっ」
急に呼ばれ、声が裏返ってしまった。
近くにいた女共が、クスクス笑っていた。
畜生、無性に苛立った。
「あんた、仕事内容分かってる?」
「あんまり……」
「やはり、あ、梨乃は仕事しとけよ」
「はい」
強さを被っていた梨乃の声が、不意に弱々しいなる。
この男、相当偉いのか?
「仕事は、梨乃を守る、暴漢とかからな。それは分かるだろ?」
「はぁ…えぇ」
「それが分かればまあ良いさ。ところで給料の話だが…俺は出来合いで渡す奴だ。
あんたがちゃんと働かなければ、まず給料なし。渡すのは日払いにする。
首にしたときにややこしくないからな」
「あの……」
ぼそぼそとこの男に話し掛けてみた。
「なんだ?」
「あなたはどちら様で…」
「あぁ、この店の主。カタヒラ善仁だ」
カタヒラ…さん、聞いたことあるような…。
「あんたも店に出な。隅っこで梨乃を見張ってろよ」
「分かりました」
それを言っただけで、カタヒラはそそくさと鍵がついた部屋に入ってしまった。
ややこしい造り、階段が二つあるし似たようなドアとか、ごちゃごちゃな荷物。
冷蔵庫が5つもあるし、なぜが鏡が至る所に掛けられている。
行き場がなく、ぼっとして立っていたが落ち着かなくなり、仕方なく梨乃の入っていった部屋のドアを開けた。
「何してんの遥君」
普通に話し掛ける梨乃を見て、顔が赤くなった。
「失礼しました…」
ばたんと一つ音を出して、ドアを閉めた。
やってしまった…、まさかこの部屋ロッカールームだったとは!ヤバイ。
着替えてるところを見てしまった。
あー!なんか変態みたいだ。
恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
しばらくドアの横で座り込んで、頭を抱えていた。
「馬鹿。これぐらいで何落ち込んでんの」
着替えをすませた梨乃が、上からの目線で遥を見る。
上を見ることが出来ない遥は、左手でしばらく抱え込む。
「ごめんなさい。み、見る気はなかったんです。ただ、店という場所だと…」
「気にしてないし、まだ子供だね。着替えぐらいで慌てるなんて」
子供といわれ、少し嫌だった。俺だって、あの戦火を逃れて、右腕なくなったけど。
生き残りだし、少しは成長したと思っていた。
しかし、相変わらず俺は普通の14歳。
身体も精神も、小さな子供なのか…。
考えれば考えるほど落ち込んで、弱い自分が虚しくなる。
「はい。遥君立ちなよ、店に行くんでしょ?言われたでしょ、善仁さんに」
「あ、そうでした」
「たく…ここ数日で、遥君の性格分かってきちゃったよ」
「え?」
「分かりやすいの。嘘とか、気持ちとか自分出してないつもりでも、結構出てるよ」
え、じゃあばれてる?
何も隠し事とかはないけど、梨乃さんのギャップとか考えた事とか、ばれてる!?
「黙ったら、自問自答し始めるんだよね」
「…確かに」
なんで分かるんだろう…。
「はい、じゃあ仕事行くから、付いてきて」
梨乃に言われ、なにも言わずに付いていった。
「あ、りの指名。5番」
「分かりました」
男性が座っている、テーブル席に向かった。
「お久しぶりでーす」
明るく、男性に話し掛けた。
男性達は、手を振り、笑顔で梨乃を迎えた。
酔っているようで、顔は真っ赤になっている。
遠くから、梨乃を眺めた。
弱々しい、女を演じる梨乃を。
「ちゃんと見ておけよ、客が暴れたり、襲ってきたときは、必ず捕まえろ」
善仁が、後ろからボソッと告げた。
「はい、分かりました」
返事を聞き、善仁はテーブルに酒を運びにいった。
「今日はさぁ〜、上司がうるさくって。もう、説教は勘弁してくださーい!」
一人の男が、話しはじめる。
「え〜こんなに頑張ってるのに、ねぇ〜?」
梨乃は、男に合わせて、話を繋げていく。
「だよねぇ。俺の頑張りを、認めてくれたって、いいじゃないかよぉ〜」
酔っ払った男は、おぼつかない手で、酒を飲む。
「あんたは、女にばっか目が眩むからー」
一緒にいる、男達が、言い始める。
「うるさいなぁ〜、俺だって、少しは抑えてるわ!」
飲んでいた、酒のコップを、乱暴に机に置く。
「まぁまぁ、こんなところで、言い合っても、どうもならないよ?
そんなの忘れて、ほら飲んで飲んで。」
梨乃は、酒を勧めて、この場をどうにか、おさめた。
多分、このままだったら、喧嘩でもして、暴れはじめただろう。
「俺、いるのかなぁ…」
ボソッと、小さく呟いた。
暴れそうになったら、梨乃さんが止めるし、俺の役目が、ない気がする。
どこか、虚しくなった。
戦場では、自分から動くのだが、ここで、何をすれば良いか、今だにわからない。
俺には、結局、居場所を見つけられないのか…。
じっと、残された左手を見つめて、時間を過ごした。
それから、数ヶ月。
俺は、15歳になった。
「おめでと。明日は、仕事早めに行くから」
梨乃さんは、相変わらずちょっとわがままだ。
俺は、少し身長が伸びた。
そのせいで、右腕の付け根が痛い。
伸びようとする、残された骨が、問答無用に成長していく。
「だいぶ、肩幅広くなったね」
梨乃に肩を叩かれ、少し照れた。
「でも、痛いです。嬉しいけど」
「それは、仕方ないじゃない。じゃあね」
4階のエレベーターを降りて、いつも通り、俺が帰るのを見ている。
絶対、部屋に入る姿を見せてくれない。
何度か、隠れて見ようとしたが、梨乃は、絶対に入ろうとしなかった。
梨乃にとっては、なにもかもお見通しのようだ。
ため息をついて、階段を掛け降りる。
つもりだったが、今日はゆっくり降りた。
春の風を、長らく浴びていたかった。
戦争が終わったのは、確か12月ぐらいだったかな。
冬が過ぎて、いつのまにか春になってた。
年末も、梨乃さんは忙しく、俺はそれについていく。
いつもそんな感じだった。
年明けも、楼華で過ごした。
客が、正月に酔って、なぜか締め縄をくれた。
そんなこと、思い出が蘇って、空に消えた。
毎日の、この生活が恋しくて、嬉しくて、虚しくて……。
2年目の冬が近づく。
「遥ぁ!!!!」
頭の上から、自分を呼ぶ声がする。
「なんですか!?そんな大声で」
梨乃が、4階の廊下から、身を乗り出して叫んでいる。
「明日は、早くから来なさいよ〜!朝にね」
笑顔で、叫ぶ梨乃を見上げて、頬が赤くなる。
「分かりました」
ダメだ。
梨乃から目を背けるように、走って家に帰った。
そして、寂しい、帰り道。
なんで、こうもワガママなんだ。幼いままなんだ…。
家につき、冷たい床に寝転がり、天井を見つめ、ため息をついた。
この家も、仕事も、梨乃さんに与えられた。
与えられてるのに、まだ欲しい?
数ヶ月で、すっかり変わってる。
いつからか、梨乃さんの笑顔が見たくて、いろんな事をするようになった。
少ない給料で、道端に売っていた花を渡した。
梨乃さんは笑って、「給料上げるのは、私じゃない」
靴磨きもしてみたし、たまに好きですって言ってみた。
でも、冗談だって思われて終わり。
年上だったら、せめて同い年だったら…、なんて欲が出てくる。
それが、生きる意味。
なんて浸って、ふと海斗のことを思い出す。
毎日、死体と血に塗れて、それでも唯一、一緒にいた、あいつは…どうしたのだろう。
生きていれば、それだけでいい。
眩しい。朝日が、照りつけてくる。
「早すぎない?」
梨乃が、迎えに来た遥を見て、嫌そうに言う。
「でも、早くって…」
「……確かに。でも、まだ準備してないから、とりあえず、中入って」
ボサボサの髪、今起きたばかりの様だ。
靴を脱いで、部屋に入る。
「お邪魔しまーす」
部屋を見渡して、数歩進んで、立ち止まった。
「どこに、いればいいですか」
「あぁ、そこら辺に座ってて」
梨乃は、小さなテーブルの近くを指差し、遥は座る。
ぎこちなく、正座した足の指を、小さく上下に動かす。
俺…梨乃さんの家に、いる。
いつも玄関の外で、待たされるより、ずっとソワソワする。
早く行かなきゃと、いつも急いで待つほうが、ずっと楽だ。
「遥、今日何の日?」
寝間着のままの、梨乃は、コップに茶を入れながら、遥に問う。
「え、何の日でしょうか…?建国記念の日とかですか?」
「バカだなー、自分の誕生日忘れたわけ?」
誕生日?…、あぁ、誕生日なのか。
「なんで淋しそうなの?記念の日なのに、意味わかんない」
梨乃は、遥の反応の悪さに、頬を膨らませた。
「いや、全然淋しくないですよ?そんな風に、見えましたか…?」
表情を、なおして
いつものように、
「淋しいんでしょ」
「全然、大丈夫です」
いつものように、振る舞えば、………
「私、涙までは面倒見きれないから」
そう言って、ハンカチを差しだした。
「…………ありがとう…ございます」
ハンカチで、顔を隠すように、目を押さえた。
もう、2年なんだ。
「ずぴーってハンカチでしないでよ」
「ずぴーって……」
梨乃さん…ずぴーって、鼻かみませんよ…。
「大丈夫れす…気にしないでください」
好きです、やっぱり…。
「16か…、大人だね」
「そう思いますか?」
「うん」
ちょっと期待した、俺がダメだったんだ。
「俺は、恋愛対象になれるかなー」
ボソッと、落ち着いた涙を拭いて、言った。
「ならない」
冷たい態度、きっぱりと言われてしまったのが、悲しかった。
「ですよね…」
「私には、愛はないから、」
「誰も好きじゃない、愛せない」
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか」
梨乃の言葉に、カチンときた。
愛せない…?
「俺は、梨乃さんがどう言おうと、好きに変わりないし、そこまで否定しなくても…」
「やめてよ、わかってるでしょ」
梨乃が、嫌そうにする。
両手を、きつく握ってるのが分かった。
「なにがですか?年下だから、片腕ないし、馬鹿かもしれないけど、嫌いなら…」
「違う!」
遮る梨乃が、涙ぐんでる。
「なにが…、違うんですか…?」
「分からないですよ…」
「16歳おめでとうって、あなたのお姉さんが言ってるの…」
「姉が…?」
泣きながら、梨乃が言う。
「姉は、あの人は、そんな人じゃない」
無視して、梨乃は言い続ける。
「あなたの2歳年上の、お姉さんがね、言うの、幸せにいて。でも、真実は知ってほしくないけど、言う。
あなたの、母は、私と君を売った…
私は、4歳だった。
君は、2歳。
母は、働くことを知らなかった。
今、思ったらきっと面倒だったんだろうね…、汗水流すことが、
毎日、違う男がいた気がする。
一室に閉じこもって、拾ったノートと鉛筆で、君の過ごしてた。
でも、そんな私たちがきっと邪魔だったのかな、
別々に、売られた。
私は、カタヒラさんに、
あなたは、誰だったかしら、名前は忘れたけど、きっと裕福なところ。
ときどき、君の家の近くを通って過ごした。
私がはじめたのは、文字の練習。
そして君と遊んだ、ノートで覚えている限りのことを、書いた。
ちゃんと、今でも残ってる。
カタヒラさんは、途切れ途切れの記憶は、ちゃんと教えてくれたから、あってる。
君は、覚えてない…きっと。
今の店で働きはじめた、15歳になった年、君は13歳になって、
あまり、家を覗けなくなった。
でも14歳の、君の誕生日、戦争にいく君が、泣いてたのを知ってるよ。
道端で、歩きながら。
運命だと、思った。
君が、私の側にいてくれること、今なら、泣いても、手をさしのべられるでしょ?」
梨乃は、泣きながら、遥に背を向けて、語った。
「……本当、ですか?」
嘘だ。
きっと、なにかの言い訳だ。
「嘘…ですよね?」
「嘘なんかじゃない」
頭が真っ白になる。
「だから、ありえないって、好きにならない。好きなら、それは姉弟だから。遥の好きもきっとそう…」
「それは違っ…」
「違うならなに?」
これは、本当なのだろうか。
「じゃあ……じゃあどうして、俺を雇ったんですか?そんな、隠すくらいなら、雇わなければよかったのに…っ」
わけもわからず、梨乃の家から飛び出して、太陽が照りつける街に出ていった。
「…………、私なんてこと言ったんだろう…」
家の中、崩れ落ちながらも、言えた爽快感を味わっていた。
そんな自分への、憎しみも入り交ざりながら。
「カタヒラさん、俺、辞めます」
そう告げたのは、3日休んだ挙げ句、遅刻してきたその次の日だった。
「お前、急に何様のつもりだ」
確かにそうだ、分かっている。
だけど…。
「お世話になりました」
地面に頭をつけて、深々と謝った。
土下座ぐらいしか、今の俺にはできない。
「どうゆうことだ、おい!」
カタヒラの、怒鳴り声が部屋に鳴り響く。
「カタヒラさんも、よく分かることですよ!」
そう言うなり、部屋から出た。
熱気がまだ残っているアスファルトの道を、走った。
イライラした、悲しかった、ムカムカした、死にたくなった、走りたくなった、分からなくなった。
ひたすら走りながら、泣きながら叫んで。
転んで皮膚が擦れて、血が出てきて、痛かった。
無い右腕が、痛んだ。
僕に居場所はもうないんだ。
こんなことになるなら、戦争してる方がましだ。
まだ荒れている公園で、寝そべった。
どこかで煙があがっている、火事がおきてるようだ。
遠くからの熱風が、ここまで伝わってくる。
今、人が死んでるのかな。
もし巻き込まれて、今死んで、悲しんでくれるのは何人いる?
いないかもしれない。
…………梨乃さん?
だったら、嬉しい。
悲しませたくはない、だけど今まで愛されなかった人生に、射した光り。
焼けながら、飛ぶ鳥。
火事が、近くに迫ってる。
「−…遥!」
遠くから、呼ぶ声がする。
泣き疲れ、眠くなりながら一生懸命、その声を聞こうとした。
「……………、死なないでよ…」
そのまま、意識がなくなった。
ありがとう。
梨乃さん。
…………姉さん。
淡い光が、いつの間にか周りを包んでいた。
さっきまでは、銃声が鳴り響き、血と叫びが飛びかう暗闇だったのに。
遥!!
少しずつ開けた目の中に、メイクも輝いた衣裳もない、少女がいた。大粒の涙を流し、かぶる薄い布に当たる。
「ばか、あんたって奴は何してるの」
いつものように、すました梨乃はそこにいなかった。
弱々しく、あどけない16歳の少女だった。
「………」
全身に走る痛みより、夢が叶った喜びが強く脳を打った。
誰かに心配される幸せ、自分に泣いてくれる人間をみつけた希望。
「なにを…、ばかみたいに、そんなに火傷してるのに笑ってさぁ…」
「いや、嬉しいだけです」
またばかと怒鳴られてしまった。光るようなアナタは、なによりも綺麗です。よかった、傍にいてくれる人がいてくれて。
駆け抜けた戦争や、飛び込んだネオン街、金と欲に塗れた世界に絶望しかなかったのに……、笑顔ってすごいなぁ。一瞬で、すばらしい世界に見えるのだから。
「……ありがとうございます、梨乃さん」
あなたの笑顔が、最後の世界でよかったです。
さよなら、