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恋愛トーク(3)

 下校時刻を知らせる校内放送が遠くから聞こえる。

 校門を出てすぐの道をあたしたちは歩いていた。すっかり空は赤く染まっている。風が少し肌寒い。

「――結衣はマスコット以外のものは作らないの?」

 隣を歩くよーちゃんが不意に訊ねてきた。

「うん。編み物は苦手だし、服を作るのもキルトを作るのも根性が続かなくって」

「いや、何もいきなり大作に取りかかることはないかと思うが」

「あぁ、でもテディベアなら作れるよ。――でもなんで?」

 小学校でのクラブ活動からずっとマスコット作り一筋のあたしだが、よーちゃんにそれを指摘されたことはなかったような気がする。

「昨日の買い物、可愛い柄の布もいっぱいあったのに、見向きもしなかったから」

 なるほど。確かにそうだ。

 手芸屋さんに行くと真っ先にフェルトのところに向かい、新しい色が出ていないかチェックするくせがしっかりついているので、あまり意識してこなかった。布や毛糸に興味がないので、そのあと回るのはボタンやビーズのならぶ棚の辺りだけだ。

「だって、使わないし。要らないモノを見ても仕方ないでしょ?」

「そう言われてみると、結衣って必要だと思うものしか見に行かないよね。ウィンドウショッピングのわりには品定めに行っているって感じだし」

「あれ? 普通じゃない?」

 用もないのに店をうろついて冷やかすのは時間と労力の無駄だと思うんだけど。買い物は商品を買う行為であって、ただ見るだけとは違うんじゃないかなぁ。

「美術館を見て回るのと同じで、いろいろなモノを見るのが好きって人もいると思うが?」

「よーちゃんはそういうタイプ?」

 よーちゃんを誘って買い物に行くときは、欲しいものの品定めか市場調査である。暇つぶしのウィンドウショッピングはしたことがない。

「ううん。私はどちらかというと合理主義者だから、結衣と同じ。連れ回されているときはそうも言ってられないけど」

 ――あ、あたし、さりげなく文句言われてる?

「……」

 あたしが黙ってしまうと、よーちゃんはこちらを見た。

「あー、別に責めているわけじゃないよ? 結衣と一緒なら楽しいから」

 言って、にっこりと笑う。口調はとても優しくて温かい。嘘をついているわけではなさそうだ。ちょっと安心する。

「――今日、クラスの友だちに休日は何しているのって訊かれて、そこから買い物の話になったのよね。そしたら、私が当たり前に思っていたことが案外と違うっぽいなって感じたからさ」

「ふーん……」

 クラスが別れて、互いに新しい友だちができた。そこから見えてくる今まで知らなかったモノはたくさんあるのだろう。あたしがコノミから新しい知識――主に恋愛話だけど――を得ているように、よーちゃんもまた新しい知識を友だちから得ているに違いない。

 ――でも、なんか寂しいな……。こんなに独占欲が強いとは思ってなかったよ。

「あっ」

 あたしが寂しさを感じて俯くと、よーちゃんは急に立ち止まった。

「どうかした?」

「忘れ物」

 よーちゃんにしては珍しい発言だ。

「学校に置いてきたの?」

 あたしが顔を上げてよーちゃんを見ると、彼女はどこか遠い場所に目を向けていた。長い前髪が邪魔で、どこを見つめているのかはよくわからない。

「うん。課題で出されたプリントをね」

「でも、学校、もう閉まっちゃっているんじゃない?」

 校門を出たとき、下校を促す放送がかかっていたはずだ。

「一応行ってみるよ。結衣は先に帰っていて。追いかけるから」

 これもまた珍しい発言である。あたしは何だか不安になった。

「え? あたしも一緒に戻るよ」

「すぐに追いつくからさ。スペクターズ・ガーデンに寄るの、忘れないでね」

 よーちゃんはすでに走り出していた。

 ――そういえば、弥勒兄さんと典兎さんにポプリを頼んでいたんだったな。

 あたしはよーちゃんを引き留めようとした手を引っ込めながら、放課後の会話を思い出す。

 ――すぐ、追いつくよね。よーちゃんだもん。

 あたしは弥勒兄さんたちが待っているだろうとも思い、一人でスペクターズ・ガーデンへと歩き出した。

 歩き慣れた通学路を一人で歩いているうちにすっかり暗くなってしまった。

 ――まだ追いつかないのかな? そんなことを考えながらいつもよりゆっくりなペースで歩いていたが、遠くに明るい場所が見えてくる。

 スペクターズ・ガーデンの前は店から漏れた明かりに照らされていた。

「こんばんはー!」

 明るい色の花でいっぱいの入口を抜けると、あたしは奥に向かって声を掛けた。

「あぁ、来た来た。今日は遅かったね」

 奥から出てきたのは典兎さんだけだった。

「えぇ。部活に出ていたんで」

「そっか。今日は月曜日だっけ」

 あたしの部活の活動日を典兎さんは覚えていてくれたらしい。なんだかちょっぴり嬉しくなる。

「あれ? 葉子ちゃんと一緒じゃなかったの?」

 入口付近に視線を向けた典兎さんは不思議そうな顔をして訊ねてくる。

「えぇ。忘れ物を取りに学校に戻ってしまって」

「葉子ちゃんが?」

 典兎さんの表情が一瞬固まった。普段の穏やかな笑顔がすっと消えて、なにやら深刻そうな表情に変わる。しかしすぐにいつもの微笑みを取り戻していた。

「はい……すぐに追いつくから先にここに向かうように言われて」

 ――そう言っていたのに、遅すぎるような……。

「なら、すぐに来るんだろうね。しっかり者の葉子ちゃんなら心配ないだろう」

 あたしを安心させるように典兎さんは笑顔を作った。やはりあたしの気持ちは顔に出ているようだ。

「じゃあ結衣ちゃん、手を出して」

 言われるままに右手を出して視線を典兎さんの手に移すと、小さな袋が握られているのが目に入った。ピンク色を基調とした花柄の布で作られており、緑色のリボンで口が結ばれている。

「はい。葉子ちゃんから頼まれていたポプリ」

「ありがとうございます」

 差し出されたそれを大事に受け取る。香りを確かめると薔薇の柔らかい匂いがした。他にも数種類の香りが混じっているようだ。

「幸福な気持ちになれる香りを合わせてみたんだけど、どうかな?」

「ふわぁっ……。とても良い香りです」

 選ばれた香りから感じられた作り手の心遣いに気持ちが安らぐ。きつすぎない、角のない柔らかな印象は典兎さんの雰囲気そのものだ。

「典兎さんが作ってくれたんですか?」

「ミロクに作らせるつもりだったんだけど、生憎、蓮さんと外に配達中でね」

「ふぇ? 別にあたし、典兎さんが作ってくれたものでも嬉しいですけど?」

 ――やっぱり典兎さんが作ってくれたんだ。

 大事にしようと思いながらポケットにポプリを入れる。このサイズなら持ち歩くことができそうだ。

「――あぁ、これだからアイツは……」

 典兎さんはため息をついて遠くを見つめた。

 あたしにはその理由がわからなかったので、首をかしげるだけだ。

「そだ。――今、典兎さんはお一人なんですか?」

 弥勒兄さんは蓮さん、つまりよーちゃんのお父さんと配達に出ていると典兎さんは説明してくれた。ということは、あたしは今、典兎さんと二人きりである。

「ん? そうだけど、何?」

「弥勒兄さんって付き合っている人とか、好きな人とかっているんですかね?」

 あたしが問うと、典兎さんは微苦笑を浮かべた。

「なんでそれを僕に訊くの?」

「直接本人に訊いたら誤解するかなーなんて。それに典兎さん、弥勒兄さんとよく一緒にいるし」

 コノミに弥勒兄さんには好きな女のコがいるのかいないのか、好みのタイプはどんな人なのかを訊いてくるように頼まれたのだ。典兎さんがいうように本人に訊くのが一番早いだろうが、面と向かって訊ねるのは気恥ずかしいし、誤解されてややこしくなるのは避けたい。なので、典兎さんにこっそり訊いてみようと思っていた。よーちゃんに訊くのも悪くなかったんだけど、昨日のあの様子からだと、あんまりいい顔をしなさそうだったし。

 あたしの返事に典兎さんは小さくため息をついた。

「えっとねぇ……、ミロクにカノジョはいないよ」

 ――良かったぁ。コノミちゃん、まだチャンスはあるよ!

「じゃあ、好きな女のコは?」

 ほっとしてあたしは念のため繰り返し訊ねる。

「それ、言わないといけない?」

 典兎さんは困ったような顔をする。

 ――あれ? 典兎さんがそういう反応をするってことは、好きな女のコはいるってことかな?

 無理に訊くのは困っている典兎さんに悪いと思ったので、質問を切り替えることにする。

「うんと……だったら、どんなタイプの女のコが好きなのかわかりませんか?」

「そういうことなら、結衣ちゃんのほうが僕よりミロクとの付き合いが長いんだから、詳しいんじゃないの?」

 ――それがわかっていたら、苦労しないよっ!

 そう叫んでしまいたい気持ちを抑えて黙る。

 確かに、出会って十年近いあたしと、高校からの付き合いである典兎さんと比べたら、あたしのほうが詳しくてもおかしくはない。だけど一緒に過ごしている時間を比較したら大差ないと思うんだけど。

 あたしが膨れてじっと見つめていると、典兎さんはくすっと小さく笑った。

「俺にはアイツの趣味はわからないよ。ただ、自分に似ている身近な存在が気になって仕方がないみたいだけどね」

「ふぅん……」

 ――弥勒兄さんに似た身近な人ねぇ……。それって誰だろ?

 根負けしたのか、先の質問の返事も合わせたような回答にあたしは頷く。弥勒兄さんの友だちという典兎さんの立場上、これ以上具体的なことは言えないだろう。

 あたしは典兎さんを必要以上に困らせたくなかったので、弥勒兄さんに関した質問はここまでにしようと決める。

「じゃあ、典兎さんにはカノジョ、いるんですか?」

「へ? 今度は僕?」

 あたしの質問が自分にも向けられるとは思っていなかったようだ。目を真ん丸くして驚いている。

「はい。参考までに」

 真面目な顔を意識して、あたしはこくりと頷く。

「ついでみたいに訊かれるの、なんか好きじゃないんだけど」

 苦笑されてしまう。

 ――うーん、その意見は納得できるなぁ。

「あ、すみません。今の、忘れてください」

 典兎さんの気持ちも理解できたので、あたしは素直に謝ることにする。

 すると、典兎さんは何かに気付いたみたいに表情を変えた。

「あ、本当についでだったんだ」

「だから、参考までにって……」

 にっこりと笑んで、典兎さんはあたしに顔を近付けた。

「僕自身にちょっとでも興味があるなら、教えてあげるよ」

「ふぇっ??」

 ――ど……どうしよっ? 興味がないわけじゃないけど、でも、うんと、そうじゃなくって……あー、でもでも気になるっ!

「えっと、あたしは……」

「コラッ! テント、顔が近いぞっ!」

 両肩をいきなり掴まれるとぐいっと後ろに引かれた。

「ふぇぇぇ?」

 バランスを崩してあたしは後ろにいた人物に体重を預ける。頭を動かしてその人物の顔を見上げると、弥勒兄さんがあたしを見ていた。

「はははっ。ちょっとからかっていただけだよー」

 典兎さんは楽しげに笑って弥勒兄さんとあたしを見た。

 ――って、からかわれてたのっ!

「で、いつまでそうしているつもりかな? お二人さん」

 笑いながら典兎さんが指摘する。

 ――いつまでって……。

 あたしは弥勒兄さんに寄りかかったままであることを思い出し、慌てて離れる。弥勒兄さんがあたしの肩から手を離すのとぴったりと合った。

「て……テントっ! 謀りやがったなっ!」

 弥勒兄さんは顔を真っ赤にして典兎さんを睨み付ける。

「ミロクが自分でやったことだろ? 僕は何もしちゃいないよ。ね? 結衣ちゃん?」

 ――それをあたしに振らないでよ。

 あたしは無言で典兎さんを見つめる。からかわれたことに対してのせめてもの抗議のつもり。

「あれ? かばってくれないの?」

 典兎さんはそれでも構わなかったらしく、上機嫌で笑っていた。

「――で、何の話をしていたんだ?」

 むっとした口調で弥勒兄さんは問う。

 あたしは咄嗟に人差し指を自分の口元に当てて典兎さんを見た。さすがに弥勒兄さんの好きな人についてを話していたとは言えない。ってか、ここで喋っちゃったら、典兎さんに訊いた意味がない。

 典兎さんはそれを見てますます愉快そうに笑む。

 ――嫌な予感。

「せっかく二人っきりだったんで、内緒話をねー」

 ――うっ……典兎さんひどいっ! それじゃあ意味ないじゃんっ!

 弥勒兄さんの様子をちらりと窺うと、非常に不機嫌そうな顔をしていた。典兎さんとは正反対の心持ちのようだ。

「うらやましい?」

「べ、別にうらやましくなんか……」

「ミロクは素直じゃないなー。そんなんだから、進展しないんじゃん」

 言い澱む弥勒兄さんに典兎さんは追撃する。

 弥勒兄さんはぷいっと横を向いて、ちっ、と小さく舌打ちをした。

 どうやら典兎さんはわざと弥勒兄さんを刺激して、話をうやむやにする作戦を使ったようだ。

 ――典兎さん……もっと穏便に済ますことのできる方法を使ってくださいよぉ……。

「――そういえば、葉子は?」

 よーちゃんがいないことに気付いたらしい。弥勒兄さんは辺りを見回しながらあたしに問い掛けた。

「忘れ物を取りに学校に戻ったきり、まだここに来てないんですよ」

「葉子が?」

 弥勒兄さんも典兎さんと同じような反応をした。表情が凍り付き、すぐに外を覗きに行く。

「下校時刻はとっくに過ぎているよな?」

 その焦り度合いは尋常じゃない。

 帰宅時間が遅いというだけのことなのにここまで焦ることないだろうって他の人は思うかもしれない。だけどよーちゃんは、今まで忘れ物をしたと言って学校に戻ったことはないし、寄り道をして帰ったこともない女のコなのだ。完璧な人間はいないだろうけど、今日のよーちゃんは何か変だったから余計に心配になる。

「うん。校門を出たとき、校内放送が流れていたから」

「――ったく、葉子は何やってるんだ?」

 弥勒兄さんは携帯電話を取り戻して電話を掛ける。しかし繋がらなかったのか、パチンと画面を閉じてこちらを向く。

「学校まで迎えに行ってくる」

「あ、だったらあたしも行くっ!」

 あたしが片手を挙げて言うと、弥勒兄さんはこちらを一度睨み、典兎さんを見た。

「テント、今日のバイトはこれで終わりにしていいから、結衣を家まで送ってやってくれ」

「え? ミロクが結衣ちゃんを送ったら? 僕が葉子ちゃんを捜しに行くから」

 ――いや、あたしはまだ帰るつもりはないんだけど。

 あたしの意見を完璧に無視して話は続く。

「ポプリ、結衣にやったんだろ? だから、お前がついていけ」

 ――ポプリと何が関係してるのよ?

 ポプリは確かに典兎さんから受け取ったが、今の弥勒兄さんの台詞は意味不明だ。

 ――って、あたしもよーちゃんを迎えに行くんだってばっ!

「だけど、ミロク――」

 典兎さんは戸惑っているようだ。困ったような声で何かを告げようとするのを、しかし弥勒兄さんは遮った。

「送ってやれよ。でないと――」

「ちょっとぉ! あたしもよーちゃんの迎えに行くって言ってるでしょ!」

「しょうがないなぁ」

 あたしの抗議の声は虚しく、典兎さんは肩を叩いて帰宅を促した。

「あんまり遅くなるといけないから、ね? ここはミロクに任せて帰ろう」

 ――なんでなんで? あたしだってよーちゃんを捜しに行きたいよ!

「でもっ!」

「結衣」

 弥勒兄さんの静かな低い声。

 あたしは黙って弥勒兄さんに視線を向ける。

「心配ごとを増やさないでくれよ。わかったな?」

 つらそうな表情。

 ――やっぱり、よーちゃんの身に何かあったのかな?

 あたしは渋々頷く。

「わかりましたよぉ……」

「よし、なら帰ろうか」

 いつの間にか身支度を整え、デイバッグを背負った典兎さんがあたしの背中を押す。

 あたしはスポーツバッグを握ると、弥勒兄さんに見送られながらスペクターズ・ガーデンを後にした。

 街灯で照らされた住宅街をもたもたと歩く。思いがけず、また典兎さんと二人きりになってしまった。

 気まずい空気のせいか、並んで歩いているはずなのに微妙に離れている。

「――そう暗い顔をするなよ」

 沈黙を破ったのは典兎さんだった。

「心配する気持ちはわかるけど、ミロクに任せりゃ大丈夫だって」

 典兎さんの声は優しい。

「……言葉では理解できるんです。でも、気持ちに折り合いをつけられなくて」

 ――あのとき、無理矢理でもついて行くべきだったのかな?

 不安になる心を落ち着かせることができない。

「そうだ。さっきのポプリ、嗅いでみたら? 少しは落ち着くんじゃないかな?」

 言われて、あたしはポプリをポケットから取り出すと、両手でそっと包み顔に近付けた。

「――うん……少しだけ、気が紛れたかもしれません」

「ローズの香りは人を幸福な気持ちにさせるんだよ。嫌なことがあっても、前向きな気持ちになれるようにってね」

 典兎さんはいつも以上に明るい声で言う。あたしを励ますためかと思うと申し訳なくなる。それでもなかなか回復できなかった。

 ――あたし、ダメなコだなぁ。無理をして笑うこともできないなんて。

「――そういえば、さっきの話の続きだけど」

「続き?」

 ――さっきの話って、なんだっけ?

 あたしが典兎さんを見ると、彼はにっこりと笑んだ。

「僕にカノジョはいないけど、気になるコならいるよ」

「……え?」

 その話のことだとは思わなかった。てっきりはぐらかされておしまいだと思っていたのに。あの時ああいう言い方をしたのは、単に戻ってきた弥勒兄さんを見つけたのでからかってみただけだろうとすっかり思い込んでいた。

「ただ、ライバルが多いみたいだから、諦めようかなーなんて考え中」

 ライバルが多いとなると、典兎さんの好きな人ってよーちゃんみたいな人だろうか。典兎さんなら他のライバルを余裕で蹴散らせそうな気がするんだけど。少なくとも、誰かのために自分の想いをしまいこんでしまうのは、良くないと思う。

「諦めるなんてもったいないですよー。典兎さん、格好いいのに」

 あたしは正面を向いて言う。素直な気持ちだ。

 顔は悪くないし、背はそれなりにある。男にしては華奢な感じだが、比較対象がどちらかといえばゴツイ感じの弥勒兄さんなので、標準よりやや痩せているというところなのだろう。服装はいつもきちんとしていて好印象。なにより、その優しげな笑顔が魅力的である。喋り方も優しいし。まぁ、人をからかうことをこよなく愛している節があるのが減点要素になりそうだけど。

「……お世辞でも嬉しいよ」

 詰まらせたような間の後に典兎さんの台詞。

 ――あれ? 照れている?

「お世辞じゃないですよー?」

 本当にお世辞ではないのでそう伝えると、典兎さんの足音が途絶えた。あたしは立ち止まって振り向く。

「じゃあさ――僕の好きなコが君だって言ったら、付き合おうって気持ちになれる?」

「え……?」

 言っている意味がわからない。

 しばらく状況が理解できなくて呆然としていた。

「……や、やだなぁ。あたしの気を紛らわせるための冗談ですか?」

 ――そうだよね、冗談に決まっているよね?

 そう思っているはずなのに、すごくドキドキする。

「あ、やっぱりそう思う?」

 絶妙な距離が典兎さんの表情を隠す。

「だって今の、何かのついでみたいな言い方だったじゃないですか」

「……だよね」

 典兎さんは何か呟くと、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「あ、でも、ドキドキはしましたよ?」

 今でも鼓動は少し早めだ。

「ふーん。なら、少しはからかいがいがあったかな? もうちょっと照れるとか恥じらうとかの反応があるかと思ったんだけど」

 典兎さんの口調はいつもならもっと軽いだろうに、今は少し沈んでいるように感じた。

 ――気のせいだよね? あたしの勝手な脳内補整だよね?

「どうも恋愛の経験値が低すぎて、反応が鈍いようなのです」

 あたしはドキドキの気持ちが穏やかになっていくのを感じながら、コノミに指摘されたことを思い出す。

 恋愛話をするコノミに対してあたしの反応は鈍いらしい。もっとリアクションがあってもいいところなのに乗ってこないので、盛り上がりに欠けるのだと言っていたっけ。

 あたしの台詞に典兎さんはくすくすと笑い出す。

「それ、年頃の女のコの台詞とは思えないよ」

「でも、彼氏にしたいって思える人に出会ったことがないんですよ。唯一感じたのはよーちゃんだけでして」

 あのとき、心底残念に思ったのだ。自分の理想を挙げてみて、ぴたりとはまったのがよーちゃんだけだったという事実に気付いたときに。

「葉子ちゃんは女のコのはずだけど?」

 歩きながら、典兎さんはあたしの顔を覗き込むように頭を動かした。

「えぇ。わかっているつもりです。そんで、あたしが末期であるってことも」

 それでも、理想はよーちゃんなのだ。これはどうにも譲れない。

「末期かどうかはおいておくとして、同性相手に憧れることはあると思うよ。僕だって、ミロクや蓮さんを格好いいと思うことはあるし。それに葉子ちゃんは確かに魅力的だからね」

「ですよねー!」

 ――良かった。典兎さんも同意見なんだ。

 それが嬉しくて、ついテンションが上がる。

「だけど」

「ふぇ?」

 典兎さんは続ける。

「いつか、君の前にも葉子ちゃんと同じくらい大切にしたいと思える人が現れると思うなぁ」

 ――よーちゃんと同じくらい大切な人……?

 そんな人が現れる日が本当に来るのだろうか。あたしには実感が湧かなかった。

「えっと……結衣ちゃんの家ってここだっけ?」

 いつの間にか、あたしの家の前にたどり着いていた。いつもよりもずっとのんびり歩いていたので時間が掛かったはずだが、それでもあっという間に思えた。

「はい。ここです」

 自宅に花束を届けてもらったことがあるので、典兎さんもあたしの家を知っている。この辺りでは一般的な二階建ての一軒家だ。猫の額ほどの庭にはお母さんの趣味で始めたハーブが適当に植えてあり、最近の暖かな気候に合わせて新芽が出始めている。妹たちが帰っているのか、二階の部屋の電気が点いていた。

「もう着いちゃいましたね」

「そうだね」

 あたしは敷地を仕切る鉄格子の扉に手をかける。

「じゃあ、これで」

「あ」

 扉を開けたあたしに、典兎さんは声を掛けた。

「なんですか?」

 なんでこのタイミングで声を掛けられたのかわからなかったあたしは、典兎さんの顔を見た。

「さっきの告白もどき、ミロクには内緒にしておいてね。恥ずかしいから」

「えー、どうしようかなー」

 いつもからかわれているし、などと悩む振りをしていると、典兎さんにしては珍しく不安げな顔をした。

「って、本気で心配しないでくださいよ。ちゃんと内緒にしますから」

 ――そんなにあたしが信用できないのかな? あたしって、そういうコに見える?

 すると、典兎さんは大げさにふうと息を吐いて笑った。

「はははっ。わかってるって。結衣ちゃんは優しいコだもんね」

「あっ! またからかったんでしょっ! ひどーいっ!」

「結衣ちゃんもミロクもからかいやすいからねー」

 言って、典兎さんはあたしに手を振った。あたしが振り返すとくるりと身体の向きを変えて駅のほうへと歩いて行ってしまう。小さくなっていく後ろ姿を見送ると、あたしは玄関のドアを開けた。



 家に着いてすぐにあたしはよーちゃんにメールを送った。だけどその返事はあたしがベッドに潜り込むまでに届くことはなかった。


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