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すれ違い(1)

 住宅街と駅前商店街とに分かれる交差点に来たあたしたちはそこで手を振ってサヨナラを言った。小さくなっていくコノミの後ろ姿に手を振り続けたあたしは、見えなくなったところで自分の家のほうに身体を向ける。

 ――寂しいな……。

 一人で通学路を歩くことがほとんどないあたしには、隣に誰もいないというこの状況がツラくてしょうがない。昨日は気付いたら家の前にいたので気にならなかったが、今日は途中までコノミと一緒だったせいで余分に寂しい気持ちが込み上げる。

「はぁ……」

 自然と漏れるため息。

 ――よーちゃん、早く元気にならないかな?

 そんなことを思っていると、携帯電話が軽快に震える。もしやと思ってすぐに手に取るとそれはメールで、しかし残念ながらよーちゃんからではなかった。

 ――って、典兎さんからじゃないっ。

 がっかりしたのと同時にびっくりする。そしてはたと気付いた。夕方に店にいるかどうかを訊ねるメールを送っていたのだ。おそらくその返事なのだろう。

 メールの本文に目を通す。

 ――なんだぁ、今日は店にいないんだ。

 冒頭を読んでちょっぴり凹む。作ってきたマスコットをいつ渡そうかと考えながら、まだ続く本文を読む。

「学校のそばまで来たけど、いつ終わるか――って!」

 衝撃のあまり、あたしは声を出して繰り返してしまう。

 ――ちょっとっ! なんで、典兎さんが学校に来てるわけ?

 ショックのあまり、あたしは典兎さんに電話を掛けていた。

『あ、もしもし? 結衣ちゃん?』

 コール音が数回鳴るとすぐに典兎さんの声がした。

「な、ななななんで学校の近くにいるんですかっ?」

『あ、動揺しているね?』

「からかってないで、質問に答えてくださいよっ!」

 典兎さんの指摘の通り、あたしはかなり動揺していた。その理由はあたしにも分からない。

『ちょっとした用事で近くに来たから寄ってみただけだよ。そういうのも悪くないでしょ? 彼氏が迎えに来たみたいなシチュエーション』

 ――彼氏が迎えに……。

 典兎さんの台詞にあたしは頬が火照るのを感じた。このときばかりは回りに知り合いがいないことを心底感謝した。

「――く、くだらない冗談でからかうのはやめて下さいっ!」

 返事までにやや間があったからだろう。電話の向こうで楽しそうに典兎さんが笑っているのがわかった。

 ――あぁっもうっ! なんなのよ!

『こんなことで動揺するなんて珍しいね。ひょっとして、意識してくれてる?』

「してませんっ!」

『で、今どこ? 行き違いになっちゃったかな?』

 なかなか鋭い。通りを走る車の音が聞こえたのだろうか。

「えぇ、今、駅前に向かう交差点にいて」

 気を取り直して答える。

『うわー本当に? お迎えを楽しみにしていたのになぁ』

「来なくて良いですから」

 大げさなリアクションにあたしは疲れを感じる。

 ――電話したのは間違いだったわ……。

『なんで? ミロクとは登校するのに、僕とは下校したくないの?』

 ――あ、典兎さんが拗ねた。

 本気で拗ねているのではなく、ノリで演じているだけだろう。前にも似たようなことがあったのをあたしは覚えている。

「そういうわけじゃないですけど……」

『けど、何?』

 何かを期待するかのような声。

「なんでもないですっ!」

『ところで僕に何の用事? シフトを訊ねてくるなんて初めてだよね?』

 典兎さんは歩き始めたようで、電話の向こうから聞こえてくるざわめきに変化があった。

「ポプリのお礼をしようと思って」

『別にいーよ、律儀だなぁ。あれは葉子ちゃんからのプレゼントでしょ?』

 ――典兎さんまで弥勒兄さんと同じことを言う……。

「それでも、貰いっぱなしっていうのは嫌なんです。それに、家まで送ってくれた礼もしたいんです」

『それだって、ミロクが言い出したことじゃない。僕は何にもしてないのと同じだよ』

 ――むぅ。なんでみんなあたしがあげるって言っているのに、すぐに受け取ってくれないのかなぁ。あたしからの贈り物は要らないってこと?

「じゃあもういいです……。今日はおとなしく帰りますから」

 無理に理由をつける必要はないのだ。しかし、何の理由もなしに贈り物をするなんてどこか恥ずかしいじゃない。ましてや手作りの品だ。何か理由をつけないとうまく渡せる気がしない。

『えー、ちょっと待ってよ。今向かっているから。――昨日はスペクターズ・ガーデンに寄ってくれなかっただろう? 少し話そうよ』

 典兎さんの焦る声。あたしがこう答えるとは思っていなかったのかもしれない。

「会う理由もなくなっちゃったんで、いいんです」

 ――また別の機会に渡せればいいや。ナマモノじゃないし。

 しょんぼりと言い、電話を切ろうかと考えたところで典兎さんの声が割り込んできた。

『――僕にはまだ理由があるけど?』

 急に真面目な声になる。

「ふぇ?」

 ――典兎さんの理由?

『僕が結衣ちゃんに会いたいんだ。それでも断る?』

「なっ……」

 鼓動が早くなる。

 ――し、真剣な声で言わないでよっ! 冗談でしょって言い返せないじゃない!

『からかって悪かったよ。結衣ちゃんからのプレゼントだったら、どんなものでも断らないからさ』

「あ……謝らないで下さいっ」

 真面目なトーンで続く台詞に、あたしの心臓は強く脈打つ。声が裏返ってしまったことに、彼は気付いただろうか。

『だから、怒らないで』

「あたしは怒ってなんかいません!」

『そう?』

 不安げな、それでいて優しい声。典兎さんは今、どんな顔をしてこちらに向かっているのだろう。

「――だから、もう切りますよ! ここで待ってますから」

 つい長話になってしまった。少し反省。

『はいはい。すぐに行く』

 典兎さんは手短に答え、向こうから電話を切った。

 あたしは画面を見て、通話時間を確認する。

 ――まずったなぁ。今月はまだ始まったばかりなのに……。

 ただでさえお小遣いがピンチであるのに、そこにさらに電話代を徴収されると来月はさらに厳しい。

 ――うぅ……そろそろバイトを考えないとなぁ。あたしでも無理なくできる仕事ってないかな?

 あたしはぼんやりと交差点で立ったまま、典兎さんが来るのを待った。

 春の柔らかな陽射しと冬の名残を感じさせる冷たい風。通りを彩るだろう街路樹は若葉をつけ始めている。道行く人々の姿もいつしか厚手のコートから薄手のジャケットに変わりつつあるようだ。

 ――会いたい、か……。

 ふと、典兎さんの台詞が繰り返される。それだけで鼓動が早まる自分に戸惑ってしまう。

 ――こんな気持ちは初めてだな……。

 携帯電話のディスプレイに目を向けると、電話を切ってから二分が過ぎただけだった。

 ――待っている時間が長く感じられる……。

 わくわく、どきどき、そわそわ――そんなオノマトペが今の気持ちにふさわしいように思う。

「……待てよ」

 あたしはすっと冷静になる。

 ――典兎さんに会えるのを楽しみにしていたみたいな態度でここに立っていたら、絶対にからかわれるよ! あたしは気持ちが全部顔に出ちゃうんだもんっ!

 重大な事実に気付いたところで、携帯電話が震える。今度は電話だ。

「も……もしもし?」

『街頭で一人芝居なんかして、どうしたの?』

 声は典兎さん。しかも笑っている。

「ど、どこにいるんですかっ!」

 受話器越しにしか声はしない。あたしはきょろきょろと辺りを見回す。

『どこを見ているんだい? 学校から歩いてくるんだから、僕がやってくる道は自動的に絞れると思うんだけど』

 ――そりゃそうだ。

 典兎さんに当たり前のことを指摘され、ようやく視線を固定した。

 学校の前に続く通りの奥のほうから見慣れた青年の姿が見えた。あたしが身体を向けたのがわかったらしく、軽く片手を挙げている。

 ――にしても、目が良すぎじゃないか?

 セーラー服を着ているので目立つのは目立つのかも知れないが、ここで待ち合わせることにしていたとしても誰なのかとまで判別できるものなのだろうかと疑問に思う。

 あたしの髪型はセミロングのストレートでおろしっぱなしだし、色は焦茶なので、他の女のコたちとそう変わらないはずだ。唯一の所持品ともいえるスポーツバッグも安い量産型のものだから特徴にはなり得ないだろう。

 ――あの距離から分かるってスゴすぎじゃない?

『黙ってないで、何か喋ろうよ』

「いや、よくあたしだってわかるなぁと……」

 典兎さんが話を促すので素直に感想を告げると、彼は少し間を開けた。

『――目が良いのがちょっとした自慢だからね』

「なんですか? その間は」

 あたしが突っ込みを入れると、今度は早く返事がきた。

『気の利いた口説き文句はないかなと思って、脳内検索にかけた時間かな』

「……」

 返す言葉を失って、あたしは車道を挟んで向こう側に立つ典兎さんを見つめる。

 信号が赤から青へとすぐに変わり、典兎さんはあたしの前に到着した。

「はい、到着」

 通話を切って、典兎さんは携帯電話を胸ポケットにしまう。

 呆然としていたあたしは、それを見て自分も携帯電話をバッグに押し込む。

「あの……」

 見上げながら、あたしは言いにくいことを言おうと口を開く。

「ん?」

「冗談でも、会いたい、とか、言わないでくださいませんか?」

 ぼそりと呟いて、視線を外す。

「なんで?」

 典兎さんの声にはからかいの色はなく、本当に疑問に感じたようだった。

「さ……さすがにあたしでも照れます」

 カッと頬が熱くなったのがわかった。

「……本当だ」

 くすっと笑って、典兎さんはあたしの頭を撫でる。

 ますます赤くなっていくのを感じて、あたしは典兎さんの手を払って顔を上げる。口を尖らせるのは忘れない。

「だから、そういうのをやめて欲しいんですよー!」

「えー、僕なりに可愛がっているつもりなんだけど? 愛情表現ってやつ?」

 ――なんか、またあたしをからかって楽しんでいないか?

 そんな気持ちがあったので、自身の腕を組んでじっと典兎さんの顔を睨み付ける。

「あたしが言っていること、わかっていないでしょっ。言っているのにやめないなら、典兎さんがあたしに告白したって弥勒兄さんに告げ口しますからね!」

 あたしがきっぱりと宣言すると、典兎さんは目をぱちくりさせてきょとんとした。

 ――あれ? 予想外の反応。

「――ほう……」

 何か思うところがあったらしく、典兎さんは口の端を片方だけ上げた。初めて見る表情。

「うん。別に構わないよ?」

「ふぇ?」

 ――脅迫したつもりが、まさかそう返されるとは……。しかも典兎さん、何か企んでいそうなんだけど。

「ふふふ……ミロクのやつ、どんな反応をするかなぁ?」

 ――って、この人、友だちを売ったよ!

 典兎さんの黒い部分を見たような気がした。

 ――典兎さんに反撃できる日は当分来そうにないな……。

「とーにーかーく!」

 あたしは気を取り直して会話を再開する。

「あたしをからかうのはやめてくださいね!」

 言い切って、ぷいと横を向く。

 ――しかし……。

 今のやり取りで気になった点が二つ。

 一つは典兎さんがあたしに告白したことをバラすと言ったのに、その事実を認めていること。あの日、典兎さんは冗談だと言ってごまかしていたはずだ。――まぁ、この話さえも弥勒兄さんをからかう材料にしてしまった可能性は大きいけれど。

 もう一つは、この話を伝えることで、典兎さんが期待するような反応を弥勒兄さんが返すと予想していること。典兎さんは他人を、とりわけ弥勒兄さんとあたしをからかうことを楽しんでいるところがある。なら、典兎さんが喜びそうな反応を弥勒兄さんがすることになるのだが、あたしはどうして典兎さんがそう考えるのかイメージできない。反対に弥勒兄さんに冷やかされるのではないだろうか。恥ずかしいって典兎さん自身が言っていたはずなので、弥勒兄さんがここぞとばかりに反撃してくると感じていたのだと思うんだけど。

「で、どうする? 放課後デートは」

「――って、あたしが言ったこと、聞いていたんですかっ!」

 視線だけ典兎さんに向ける。

「いやぁ、前よりも良い反応するなぁなんて考えていたら、つい」

 にこやかな表情で典兎さんはしれっと答える。

 ――なんだかなぁっ! もうっ!

「むぅっ」

「駅前商店街に行って、何か食べる? おごるよ?」

「食べ物には釣られませんから」

 むっとしたままあたしが答えると、典兎さんは楽しそうに笑う。

「おや、まだヘソを曲げているのかい?」

「当然ですっ」

「じゃあ、何なら釣られてくれる?」

 ――何なら……?

 典兎さんの台詞に、思わず真剣に悩んでしまう。

 ――うーん、よーちゃんの誘いならなんでも乗るんだけど。

 自分の行動の基準がよーちゃんにあることを再確認すると、あたしは典兎さんに向き直る。

「残念ながら、今日は寄り道する気分じゃないんです。――なので、また家まで送ってくれません?」

「面白くないなー。せっかく二人っきりなのに――」

 そこで典兎さんは話すのを止め、何かを思いついたらしく目を輝かせた。腕時計を見て時間を確認している。

「――今ならミロク、店にいるかもしれないな」

 この通りを歩いて行くとスペクターズ・ガーデンの脇を抜けることになる。あたしの家もこの通りを行かなければ、かなり遠回りになってしまう。

「そうですねぇ……」

 典兎さんの思惑がなんとなくわかり、つい顔をひきつらせてしまう。

 ――なんでだろう。今日は一段と絡んでくるなぁ。

「よし、わかった。家まで送ろう。始めっからそのつもりだったし」

「ふぇ?」

 ――それはどういう意味?

 喋り方から感じられたのは、そのままの意味だった。寄り道しようと誘ったのが冗談だったということではなく、寄り道しようがしまいが家まであたしを送るつもりだったのだと言っているように聞こえたのだ。

 ――でもなんかそれって、ボディガードみたいじゃない?

 心配されるほどおてんばな女のコではないつもりだ。だから不思議な気分。

「――ところで、勿体無いなんて思わない? 独り占めするチャンスなのに」

 家に向かって歩き出した典兎さんがさりげなく訊ねてくる。

「典兎さんって、実は自惚れ屋さんだったんですか?」

 その台詞には乗せられまいとあたしは返す。歩くペースはいつもよりずっと遅い。

「ここは世辞で返すところじゃない?」

 がっかりした様子で声が返ってくる。

「からかわれることがわかっていて、無謀に突き進んだりはしませんよ」

 ――さすがに少しは学んだってこと。

「だけど、少しは興味を持っているんじゃない?」

「……」

 すぐに何か言ってやらねばならない場面であったが、うまく言葉にならなくて黙る。

「自分で鈍感だって言っていたけど、こうあからさまにアピールされりゃ、満更でもないでしょ?」

 どんな顔をしてそんな台詞を言っているのかと隣を盗み見ると、店で働いているときと同じ人畜無害な微笑みを浮かべていた。

「――肯定しておきますよ」

 否定しても結果は変わらない。あたしは典兎さんの指摘に頷いておいた。

「でも、典兎さん、あたしのどこがいいんですか? からかう対象としてってだけでもないんでしょ?」

 この際だから確認しておこうと思った。典兎さんが冗談ではなくあたしを好いているのなら、こちらとしてもきちんとした態度で接したい。うやむやなままはすっきりしなくて嫌だった。

「うーん、ここで訊かれてもなぁ」

 典兎さんは否定しなかった。

「すっごく興味あるんですけど」

 強調して促す。

 顔を覗き込むと典兎さんは困ったような顔をしていた。

「あんまり期待しないでくれる?」

 そう言われても、やめられるものでもない。

 典兎さんは根負けしたようで、ため息をついた。

「どこと言われても、よくわからないんだよねー。自覚したのは一昨日だし」

「お……一昨日?」

 ――遊枝、あんたよくわかったわね?

 あたしがびっくりしていると、典兎さんは続ける。

「結衣ちゃんが変な質問をするから、つい意識しちゃったじゃないか」

「あたしのせいにしないでくださいよ」

 ――はて、何を聞いたっけ?

「それまではミロクと結衣ちゃんがくっつけばいいのにって思っていたのにさぁ」

「へ?」

 ――そうだったの?

 あたしは目をしばたたかせる。

「――ミロクがどんな女のコが好きかって聞いてきたときにはなんてことなかったんだ。これは面白い展開になるかなーなんて思ったくらいで」

 そのやり取りには覚えがある。コノミが弥勒兄さんの好みのタイプを聞いてほしいと言ったので、典兎さんに探りを入れたあの日の話だ。

「――なのに、訊いたのはミロクが好きだからというわけじゃないときた。その振りのあとに僕のことを訊いてきたら、どきっとくらいするだろ?」

「……そ、それだけ?」

 ついでに訊いてみた、それだけのことで好きになられても悲しい。

「――ううん、それはただのきっかけだよ」

「?」

 典兎さんはあたしを見て、優しく微笑んだ。

「僕はずっと、君を見ていたんだ。自覚していなかったのは、君がミロクと仲良しだったからだ。幼なじみで付き合いの長い君たちの関係を見ていたら、僕はそこに入っていけないように思えたから。無意識に遠慮していたんだろうね」

 ――典兎さん、ずっとそんな気持ちであたしたちを見ていたの? 気が付かなかったよ……。

「そ……そんなの関係ないよ」

「関係あるよ、結衣ちゃん。――ミロクから君を奪ったら、きっと彼は僕を恨む。それは僕もツラい。だからフェアでありたい――」

 言って、典兎さんは苦笑する。

「――そんなつもりだったのに、つい二人っきりになるとチャンス到来とばかりにあれこれしたくなっちゃうんだよなー。ダメだね」

 大げさに肩を竦めてみせると声を立てて笑う。

「あーあ。こりゃもう告白したのと同じだね。ミロクもせっついて、スタート位置をそろえるか」

 スペクターズ・ガーデンの看板が見えてきた。店の名の入ったワンボックスカーが店先に停車している。

「――って、弥勒兄さんは関係ないじゃん。みんなして弥勒兄さんがあたしのことを好きみたいな言い方するけど、まだ本人がそうだと認めたわけじゃないんだからね!」

 車の中で動いている大きな人影が目に入る。弥勒兄さんと蓮さんのどちらかが車内にいるのだろう。

「なんでそういう言い方するかなぁ。ミロクがなんで名前で呼んでほしいって言っているのか、まだわからないのかい?」

「そう言われても……」

 本気でよくわからないのだ。何度問われようとも。

 車に向いていた注意が自然と自分の足元に移動する。

 ――あれ? 影が……。

「だから、ミロクはね――ふがっ!」

「なんで、お前ら仲良く下校しているのかな?」

 あたしたちが車の脇を通り過ぎると同時に降りてきた弥勒兄さんが、典兎さんの背後を捕らえていた。

「あ、ただいまー! 弥勒兄さん」

 振り向いて、声を掛けてきた弥勒兄さんに笑顔を向ける。

 弥勒兄さんはややひきつった笑顔であたしを見ていた。

「うぐぐっ」

 弥勒兄さんの太い腕で口元を塞がれた典兎さんは苦しそうにバタバタもがいている。

 ――あれ? また続きを聞きそびれたんだけど。

「お帰り、結衣」

「くはっ!」

 典兎さんは腕を払って自由を取り戻すと、ぜぇはぁと大きく息を吸って吐いた。

「み、ミロク……今のは殺意を感じたぞ」

「あぁ、本気だったからな」

「本気ってなぁ!」

 カチンときたらしく、典兎さんはキッと弥勒兄さんを睨み、大きなため息をつく。

「――ミロク、君もその気があるなら、回りくどいことしてないでストレートに攻めたらどうだ?」

「何のことだ?」

 話の流れが掴めなかったらしく、弥勒兄さんは首をかしげる。

「僕は、君とはフェアな関係でいたいんだ」

「は?」

「だが、もう遠慮しないよ」

「――つーか、落ち着け、テント。そう強く絞めたつもりはなかったが、酸欠でどっかイカれたか?」

「そうやってごまかしていないで、結衣ちゃんに――」

 そこで大音量の着信音が鳴り響いた。

 聞き慣れない着信音はあたしに掛かってきたものではない。

 台詞の邪魔をされた典兎さん宛てでもないらしく、悔しそうな顔をして弥勒兄さんを見て、音源に視線を向ける。

 すでに弥勒兄さんは携帯電話を手に取っていた。

「……はい?」

 話の途中だったにも関わらず、弥勒兄さんは平然と出た。

「……」

 ほとんど黙ったまま、神妙そうな顔つきで「えぇ」とか「はい」とか言っている。

 ――誰からだろう?

「――わかりました。今から行きます」

 そう告げると、弥勒兄さんはポケットに携帯電話を押し込み、車のキーを取り出した。

「……今の電話って――」

「わりぃな、テント。話の続きはあとでちゃんと聞いてやるから」

 典兎さんが訊こうとした台詞を遮り、弥勒兄さんは車に向かう。表情がどこか暗い。

「仕事だろ? 僕も付き合うよ」

「いや、お前は結衣を家に送り届けてくれ」

 運転席に乗り込むとすぐにエンジンをかける。急ぎの用事のようだ。

「だけど……」

「でないと、心配で集中できん。大体、お前は非番だろうが」

「そういう問題じゃないだろ? ミロク、君にも休養は必要なはずだ!」

 典兎さんの指摘の通り、弥勒兄さんは顔色が悪く、明らかに疲れが出ていた。

 ――今朝より、体調が悪そうなんだけど……。

「馬鹿。俺はお前ほどヤワじゃねぇつーの」

 そう答えて笑うと、弥勒兄さんは店の名が入ったワンボックスカーを出して行ってしまった。

「まったく! 無茶しやがって!」

 心配げな表情で典兎さんが吐き捨てる。

「弥勒兄さん、なんか疲れていませんでした?」

「アイツ、ろくに寝ていないんだよ」

 苛々した口調であたしの問いに答える。

「寝てない?」

「ちょっとした野暮用で……まぁいいや。僕は結衣ちゃんを家に送り届けるという重要な任務があるわけだし」

「野暮用ってなんですか?」

 あたしは訊ねる。

 話題を変えたのは、きっと喋り過ぎたと典兎さんが感じたからだ。あたしに知られたくない何らかの事情がそこにある。

「必死に軌道修正したのに、あえてそこを訊く?」

「えぇ、典兎さんにしてはわざとらしすぎる流れの変え方でしたから」

「――知らなくてもいいことだよ」

 表情を隠すように、典兎さんは顔を背けて呟いた。

「あたしを除け者にするんですか?」

 口を尖らせてあたしは睨む。

 ――なんだろう。このモヤモヤした感じは……。

「話したら、ミロクに怒られるし……」

「あたしに嫌われるのとどっちが良いんです?」

 ついと前に出て、典兎さんの間近で見上げる。

 ――さぁ典兎さん、どうする?

「そ……それは確かに嫌だけど……」

 はっきりしない。口隠り悩んでいる。

「――君を巻き込むと、葉子ちゃんまで敵に回すことになるからなぁ……」

「よーちゃんが?」

 それはよーちゃんがあたしを心配するという意味なのだろうか。

 ――ということは、よーちゃんは弥勒兄さんの野暮用が何なのか知っているってこと?

「そう。葉子ちゃんと約束しているからさ、どうしても話せない」

 よーちゃんの名前が出た途端にあたしの態度が変わったからだろう。典兎さんはもう一度彼女の名を出し、説得に入る。

 ――う……あたしがよーちゃんに弱いことを知って使うなんて……。

 典兎さんの戦略には卑怯だと感じたものの、ここはおとなしく引いておこうかどうしようかと迷う。

 ――だけど……。

 漠然とした不安な気持ち。この胸のざわめきは、とても嫌な気配を孕んでいる。

「――ねぇ、典兎さん?」

 充分な間のあとに、あたしは問う。

「ん?」

「一つだけ、答えて下さい」

 はぐらかされてしまうかもしれない。だけど、ここで訊かねばずっと訊けないままのような気がして、あたしは言う。

「――わかった」

 典兎さんは真面目な顔をして頷く。

「仕事って言っていましたけど、それは花屋の仕事じゃないでしょう?」

 ――この問いにはどう答える?

 あたしはじっと典兎さんを見つめて答えを待つ。

「全く違うってことはないけどね」

「……そうですか」

 質問は一つだけと決めてしまったので、いろいろ気になることはあったがそれ以上は問えない。だからこれで納得しよう。

 あたしは頷いて笑顔を作る。

「帰りましょうか。ここに立っていたら、弥勒兄さんが心配するんですよね?」

「あ……あぁ、うん」

 つられたように典兎さんは微笑んだが、どこかいつもより寂しげだった。

「ごめんね、結衣ちゃん」

「謝るくらいなら、話してしまえばいいのに」

 あたしが言ってやると、典兎さんはくすっと笑った。

「その手には乗らないよ?」

「むぅ」

 そんなやり取りをしながら歩き出す。

 家の前に着くまで特に話はしなかった。

「そだ」

 家の敷地に入る前にあたしは思い出し、スポーツバッグの中から紙袋を取り出す。典兎さんのために作った携帯電話のストラップだ。

「お礼ですよ。受け取ってください」

 差し出した紙袋を典兎さんはすんなりと受け取ってくれた。

「これかい? 電話で言っていたのは」

 開けても良いかと訊ねるジェスチャーをしたので、あたしはこくりと頷く。

 リボンを解いて紙袋の口を開けると、典兎さんは中身を取り出した。

「前から思っていたけど、本当に器用だよね、結衣ちゃんは」

 紙袋から出てきたのはウサギの形をしたマスコットがついたストラップだ。可愛らしいというよりも本物志向のデザインである。

「マスコット作りは唯一のあたしの特技であり趣味ですから」

 自慢げに胸を反らして言う。

 フェルトは布の向きを気にする必要がほとんどないので、大雑把なあたしでも扱い易い。それが理由で、マスコットばかり量産してしまうのだ。

「ストラップに加工する工夫もなかなか良いと思うよ」

 言いながら、典兎さんは携帯電話を取り出して早速取り付け始めた。

 ――そういえば、弥勒兄さんは着けてくれたのだろうか?

 さっき弥勒兄さんが携帯電話を取ったとき、よく見ておかなかったことを後悔する。全く覚えていなかった。

 ――弥勒兄さんはあんまり着けてくれそうにないからなぁ……。

 記憶している限りでは、弥勒兄さんの携帯電話には落下防止のためのクリップと、よーちゃんが修学旅行の土産で買ってきたストラップがついていたはずだ。

 ――そうそう。あたしも土産にストラップを買って渡したのに、こういうものはじゃらじゃら着けるものじゃないだろうって言って、着けてくれなかったのよ。使ってくれなきゃ意味ないのに。

「これでよしっと」

 無事につけ終えたらしく、携帯電話からぶら下がるストラップをこちらに見せてくれた。ちなみに典兎さんの携帯電話には今あげたストラップの他に、弥勒兄さんと同じ落下防止のクリップと、画面を拭くためのクリーナーを兼ねたストラップが伸びている。実用的なそれらに紛れるあたしのウサギは、なかなか肩身が狭そうだ。

「――何か、似合いませんね……」

 前にあげたのはやたらファンシーなもので、つけるにはちょっと抵抗があるからと御蔵入り――いや、前向きに考えて――箱入り娘となっている。その反省を活かしたつもりだったのだが、今ひとつのようだ。

 ――すぐにつけてくれただけでも、悪くはなかったけど。

「そう? 僕は結構気に入ったけど?」

「うん。なら、良かった」

 にっこりと笑む。そう言ってもらえたら嬉しいものだ。

「これも大事にするよ」

「これも……?」

 あたしは首をかしげる。

「前にくれたやつも、部屋に飾ってあるからね。よく見える場所に」

「はわわわっ!」

 ――な……!

 それは本当なのだろうか。しかし、ウソでも嬉しい。前にあげたストラップのことを覚えていてくれた事実がとにかく嬉しい。

「おや? 照れてる?」

「からかわないでくださいっ!」

 ――ううーん。ほっぺたが熱いよぉっ。

「あれー? そんなところで何してるの?」

 遠くから聞こえてくる女性の声。 あたしが視線を向けると、自転車でこちらに向かってくる由奈姉ちゃんの姿が目に入った。

「お帰りー、由奈姉ちゃん!」

「どうも」

 駐車場に自転車を乗り入れて颯爽と降りた由奈姉ちゃんは、こちらを不思議そうな目で見ている。

 典兎さんは由奈姉ちゃんに会釈をした。前に花を届けてもらったときに紹介したはずなので、互いを知っていると思う。

「ただいま。――なんでそんなところで立ち話してるの? 家に上がってもらったら?」

「いえ、お構いなく。ここまで送っただけですから」

 店でしているような穏やかな微笑みを浮かべて、典兎さんは丁寧に断る。

「わたしのことなら気にしないで。これからすぐにカテキョーだから」

 由奈姉ちゃんは家庭教師のバイトをしている。将来は学校の先生になりたいらしく、国立大学の教育学部に所属し、勉強を兼ねて家庭教師を始めたのだった。

「バイトですか? 忙しいんですね」

「好きでしていることですからね。楽しいですよ」

 典兎さんに答えると、由奈姉ちゃんはあたしを見る。

「じゃ、お邪魔虫は退散しましょうか」

 言ってウインクすると、軽い足取りで玄関を抜けてしまう。突っ込みを入れる隙は全くなかった。

「――なんか、誤解された気がする……」

「僕は別に構わないよ?」

「……」

 ――ここにも厄介なのがいた……。

 あたしは心の中でため息をつくと気を取り直す。

「――ストラップも渡せたことですし、もう家に入りますね。送ってくださってありがとうございました」

「……うん。そうだね。僕も帰るよ」

 携帯電話を胸ポケットにしまって、少しだけ名残惜しそうに間を開けて典兎さんは言った。

「気をつけて帰ってくださいね」

「了解。――じゃあ、また」

 典兎さんが手を振ったのを合図に、あたしたちは別々の方向に一歩を踏み出したのだった。


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