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欠席(2)

 放課後。

 新入生募集期間くらい部活に顔を出してから帰ったほうが良いだろうななんて朝は思っていたのに、気付いたときにはスペクターズ・ガーデンの前も通り過ぎていた。

 ――よーちゃん、元気になったかな?

 自宅の前に着いたとき、スペクターズ・ガーデンに寄らなかったことを少しだけ後悔したが、それでもわざわざ引き返そうとは思わなかった。

 ――あとで電話してみようかな?

 そんなことを考えながら玄関のドアを開ける。

「ただいまー」

 鍵が開いていたということは、誰かが帰っているということである。まだ五時前なので、帰っているとすれば妹たちだろうか。

 ――はぁ……。顔を合わせる前に部屋に引っ込んでおこうっと。

 ため息をつきながら階段を上がろうと足をかけたとき、バタバタという盛大な足音とともに横からの衝撃を受けた。

「結衣ねぇ! おっかえりー!」

 あたしの横にがっしと抱き付いているのは末っ子の遊枝ユエだ。普段からテンションが高くてはち切れているが、今日は輪をかけて元気いっぱいだ。

 ――あたしのテンションと保存しているのか、このコは……。

 化学の授業で出てきた言葉があたしの脳裏をよぎる。周囲の重っ苦しい空気に耐えかねて授業に集中していた効果があったらしい。質量保存の法則ならぬ、姉妹間におけるテンション保存の法則。まぁ、アリかもしれない。

「ねえねえっ聞いて聞いてっ!」

 キンと響く甲高い声に憂鬱な気分になりながら、あたしは遊枝に顔を向ける。

「なんなのよ」

 さっさと離れて欲しいと思いながら返事をすると、遊枝の顔がキラキラと輝いた。

「今日ね、今日ね、なんと告白されてしまったのですぅっ! キャー!」

 恥ずかしげに頬を赤らめ、あたしの肩に顔を押し付ける。

「あ、そう」

「結衣ねぇ、テンション低すぎー!」

 一瞬だけむっとした顔をこちらに向けたが、すぐにご機嫌顔に変わる。

「ね、うらやましい?」

「そういう話題は由奈姉ちゃんかユウに振りなさいよ」

 なかなか遊枝が離れないので、力強くまとわりつく腕をなんとか外そうとするが、びくともしない。

 ――遊枝のバカ力……。

「だって、由奈ねぇはバイトで遅くなる日だしぃ、悠ねぇは明日から学力テストがあるからって構ってくれないんだもん!」

「あぁ、もうわかった。ギブアップ! だから放してって」

 あたしは不機嫌に言うが、遊枝は離れようとしない。それどころか、抱き付いたままあたしの首元に鼻先を近付けた。

「く……くすぐったいんだけど」

 遊枝の前髪かあたしのセミロングの髪かはわからないが、毛先が首筋を掠めるせいでこそばゆい。

「結衣ねぇ、香水着けてる?」

「ふぇ? 着けてないよ?」

 ――いきなり何の話だ?

「お花の匂いがする」

「花? ――あ」

 遊枝の説明に、あたしは何のことを言っているのかに気付いた。ポケットの中からポプリの入った匂い袋を取り出す。

「きっとこれの香りだよ」

「何? それ」

 興味が匂い袋に移ったのか、遊枝はようやくあたしから離れ、手を出した。

「典兎さんに作ってもらったの」

 差し出された手のひらにあたしは匂い袋を載せる。

 遊枝はまじまじと袋を観察すると、鼻先に近付けて香りを確かめた。

「あ、この匂いだっ! ――すっごく良い匂いだね!」

 にこにこしながら、遊枝は匂い袋をあたしに返した。

「うん」

 返してもらった袋を自分の顔に近付ける。少しは元気になれるだろうか。

「――そういえば、結衣ねぇはミロク兄ちゃんやノリト兄ちゃんたちと進展はないのー?」

「進展って、何の?」

「やだなぁ、好きとか付き合ってみようとか、そういうことだよ!」

 ――好きとか、付き合ってみようとか……。

 あたしは昨日のことを思い出す。典兎さんのあれは本当にジョークだったのだろうか、なんてことを今さら考える。

「昨日だって、ノリト兄ちゃんに送ってもらったんでしょー? 知ってるんだぞっ!」

 遊枝の部屋は通りに面している。あのとき部屋にいたならあたしたちのやり取りを知っていてもおかしくはない。

「あれは弥勒兄さんが指示したの」

 照れる様子もなくあたしが答えたものだから、遊枝は頬を膨らます。

「ユエ、つまんなーい!」

「つまらなくて結構」

 邪険に扱いつつ、あたしは階段を上り始める。

 遊枝は玄関前に立ったまま、また話し掛けてきた。

「ユエ、お兄ちゃんになるのは、ミロク兄ちゃんでもノリト兄ちゃんでもどっちでもいいよ? 二人とも格好いいしっ! 今のところノリト兄ちゃんが一歩リードかぁ。ミロク兄ちゃんってどちらかというとヘタレだからなぁ。こうも押しが弱くちゃ、付き合いの短いノリト兄ちゃんもチャンスありありだね!」

「はいはい」

 遊枝に付き合っていると埒が明かない。適当に相槌をうって退散しよう。そうするに限る。

「――結衣ねぇ?」

 急に落ち着いた遊枝の声。

 滅多に聞かないそんな声に反応して、あたしは階下の遊枝に視線を向ける。

 遊枝の真面目な、少し苛立っているような顔が目に入った。

「ミロク兄ちゃんもノリト兄ちゃんも、結衣ねぇのことが好きなんだと思うよ? そんな態度じゃ、二人に悪いよ」

「まさかぁ」

 ――あの台詞が本気だったのだとしたら。

「姉をからかわないの!」

 あたしはぷいと向き直りさっさと階段を上ると部屋に入った。

 スポーツバッグを机の隣に置くと二段ベッドの下側に寝転ぶ。

「……まさか、ねぇ」

 典兎さんの台詞が響く。

『じゃあさ――僕の好きなコが君だって言ったら、付き合おうって気持ちになれる?』

 ――あたしは付き合おうという気持ちになれるだろうか。

 胸がドキドキする。こんなことは初めてだ。

 ポプリを顔に近付けて大きく吸い込む。典兎さんの雰囲気そのもののような優しくて穏やかな香りが鼻孔を掠める。

 ――だ、だめだっ! 思い出しちゃったら、落ち着けないよ!

 むくっと起き上がり、ポプリを枕元に置く。

 典兎さんが本気で言っていたのだとしたら、あたしはなんてひどいことを言ったのだろう。

「典兎さん……」

 ――どさくさに紛れて言うほうがいけないんだからねっ!

 呟いて、抱き上げた枕に顔を埋める。

 ――だけど……。

 引っ掛かることがある。思い返すと、典兎さんはあたしと弥勒兄さんをくっつけたがっていたような気がするのだ。それなのに昨日の告白。あたしには理解できない。

 ――ま、好かれているなら嬉しいし、ドキドキしたけど。でも……。

 典兎さんのことは好きだけど、果たしてそれは恋人になりたいとか恋人にしたいとか、そういう気持ちと同じなのだろうか。

 ――遊枝は弥勒兄さんもあたしのことが好きなんじゃないかと疑っていたけど、どうなのかな?

 弥勒兄さんがあたしに優しくしてくれるのは、よーちゃんの友だちで、幼なじみみたいな関係で、妹みたいに想ってくれているからだと思っていた。それにあたしも本当の兄のように慕っていたのだから、てっきり向こうも同じだと思い、考えることもなかった。

「うーん……」

 ――しかし、だ。

 あたしは枕をベッドに起き、思考を切り替える。

 ――遊枝の勘違いだということも充分あり得るのよね。

 ほぼ毎日のようにスペクターズ・ガーデンに行くあたしのほうが典兎さんとも弥勒兄さんとも顔を合わせているのだ。出掛けついでに覗きに行く遊枝がどれほど彼らを知っているのだろう。

 ――となれば。

 あたしはベッドを出て、机の引き出しを開ける。そこには裁縫セットとフェルトを含めたマスコット作成に必要な材料が入っていた。

 ――よーちゃんにはお見舞い用を、弥勒兄さんにはこの前車で送ってくれたお礼を、典兎さんにはポプリのお礼を作ろうっと。それで、よーちゃんのお見舞いついでに二人に渡して、それとなく探ってみるしかないよね。

 引き出しの中からカラフルなフェルトを引っ張り出し、何を作ろうかと考えながら早速作業に取り掛かった。



 あたしの部屋は由奈姉ちゃんと共有している。夕食を終えた今も由奈姉ちゃんは帰ってきていないので、一人で黙々とマスコット作りに精を出していた。完成まであとわずかだ。

 そんなとき、コノミから電話が掛かってきた。

「も……もしもし?」

 昼休みにあんなことがあったので、どこか気まずい。あのあと病院に行ってしまったコノミとはあれから顔を合わせていない。最初は無視しようかと思ったのだが、長いこと携帯電話が震えていたので、留守電に切り替わる前に取ったのだった。

「もしもし? 結衣?」

 コノミの不安げな声が返ってくる。

「うん……」

 何を話したら良いのかわからなくて、返事をしたっきり黙る。

 謝るならあたしからすべきなのだろう。しかし、電話はコノミから掛けてきたのだ。なんと切り出すべきか思い浮かばない。

「きょ……今日の昼休みはゴメンね。わたし……ついかぁっとなっちゃって」

「ううん。あたしも悪かったし」

 電話では見えないとわかっているのに、つい首を振ってしまう。

「結衣は悪くないよ! それに、わたし、みんなに弁解しなかったし。結衣を悪者にしちゃった。明日、みんなにちゃんと説明するから!」

「――怪我は大丈夫?」

 あたしは気になっていたことを訊ねる。窓ガラスにひびが入るほど強く打ち付けたのだ。ひょっとしたら、骨折とか骨にひびが入っているとかあるかもしれない。

「あぁ、うん。大丈夫だよ! 打撲だって。今は青くなっていて触ると痛いけど、何の問題もないよ。心配してくれてありがと」

 コノミの明るい声を聞いて、あたしはとてもほっとした。コノミを突き飛ばしたわけではないが、自分にも原因があるような気がして罪悪感を覚えていたのだ。

「あぁ、良かったぁ」

「……だからさ、わたしのこと、無視したりしないでね? また一緒にお弁当食べよう?」

 一転、コノミは不安そうな声で確認してくる。それで彼女があたしとの友だち関係を心配して電話を掛けてきたのだとわかった。

「うん、コノミ。無視したりなんてしないし、もちろんお弁当も一緒に食べるよ。――こっちこそゴメンね。コノミがせっかく話してくれるのに上の空でさ、怒る気持ちもわかるよ。明日からは気をつけるから」

「ありがとう! わたし、結衣が大好きだよ! ――じゃあ、また明日ね!」

「また明日」

 あたしが答えると、電話は切れた。しばらく携帯電話の画面を眺めていたが、待ち受け画面に戻ったのを合図にあたしは携帯電話を机の上に置く。

 ――これで仲直りできたのかな?

 ちゃんとゴメンと言えたことに安堵した。このままでは謝るきっかけを作れないまま、友だちを失うかもしれなかった。

 ――明日、会ったらもう一度謝ろうっと。

 そこであたしはふと気付き、机の上の作りかけのマスコットを見る。

 ――そうだ。コノミちゃんにもマスコットをあげよう! どんなのが好きかな?

 コノミをイメージしながら、手に取った本をあたしは捲った。


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