プロローグ
――ねぇ、よーちゃんは覚えてる? あたしたちが初めて出会った十年前のあの日のこと。
「嘘つき! そんなのいないじゃん!」
春の柔らかな陽射しが差し込む公園。
引っ越してきたばかりのあたしは、友だちを作ろうと一人でそこに行った。お姉ちゃんや妹たちはまだ部屋が片付かないからって一緒じゃなかったの。
「いるよ! 今でもあそこにいるし、じっとこっちを見ているんだから!」
あたしはムキになって怒鳴る。だって嘘はついていないもの。
あたしの指が示す先には公園の木があって、その枝に翼の生えた小柄な人がいる。公園で遊んでいたあたしと同じくらいの歳の女の子たちが話しかけてくれたから、それをこっそり教えてあげただけなんだよ? なのにどうしてそんなふうに言われなきゃいけないの?
「そんなことばっかり言ってると、頭がおかしな子だって思われるよー!」
言って、名を知らぬ少女は親切そうな顔をして、でも馬鹿にする気持ちの隠れていない口調で指摘してくる。
「だから、いるんだってば!」
馬鹿にされたと思ったあたしは、引くタイミングを逃して反論する。
「かわいそー。そうやって気をひかないと友だちを作れないと思ってるんだぁ!」
――え?
あたしは驚きすぎて台詞を続けられない。
リーダーらしい髪の長い少女が告げると、一緒にいた二人の少女たちは哀れみにも似た表情を浮かべた。
「かわいそー。ならしょうがないね」
「友だちがほしくて言っているなら仕方がないよね」
「友だちになってあげても良いよ。さっきのは忘れてあげるから」
――何、それ?
三人の少女はにこにこして手を差し出してくる。しかしその瞳には優越感が宿っている。
――あたしは嘘つきってこと? それを『許して』あげるから、『友だちになって』あげるって?
冗談じゃない。
「違うもん! 本当にいるんだから!」
あたしは差し出された手をはじいて睨み付ける。
「な! まだこの子、嘘をついてるよ!」
はじかれた手をさすりながら、髪の長い少女はむっとして怒鳴った。
「そんな嘘をつかなくても友だちになってあげるって言ってんじゃん!」
「なんで信じてくれないの?」
「気味が悪~い」
短い髪の少女があたしを突き飛ばした。
「きゃっ!」
突き飛ばされたあたしは尻餅をついて、少女たちを見上げた。
ざまあみろ。
彼女たちの顔には冷たい感情があった。
「いい気味~。せっかく友だちになってあげるって言ったのに、なにムキになってるんだろ~」
冷えきった瞳があたしを見下ろす。
「もう話しかけて来ないでね」
髪の長い少女が睨むと、くるりと踵を返してあたしの前から去る。取り巻きの少女たちも彼女のあとを追って去って行った。
「――結衣は……ひっく……嘘つきじゃないもん……ひっく……」
悔しくて涙があふれてくる。
立ち上がる気力も湧かず、そのままうずくまって、次から次へとあふれる涙を手の甲でゴシゴシと乱暴に拭う。
「結衣には……ひっく……見えてるのに……ひっく」
誰かとこの感覚を共有したかった。だって誰に聞いてもあたしが見えているものがなんなのか、答えてくれなかったから。お姉ちゃんに言ったら笑われたし、妹たちも不思議そうな顔をするだけ。お母さんもお父さんも相手にしてくれない。幼稚園の先生もわかってくれなかった。見たままに絵を描いただけなのに、想像力が豊かなのねみたいなことを言ってた。
――誰もあたしのことをわかってくれない。あたしのことをわかろうともしてくれない。なんで? どうして?
「――キミ……怪我してるよ?」
ふいに降ってきた声に、あたしは顔を上げる。
覗き込んでいたのはおさげの少女。同じ歳くらいに見える。
「ほら、手、擦っているじゃない。洗って手当てしたほうが良いよ」
さりげなく手を取ると、彼女は自分のほうに引っ張ってあたしを立ち上がらせた。
「ほっといてよ!」
さっきの少女たちの姿がよぎる。
――親切そうな顔をして、どうせ自分を良く見せたいだけのくせに!
「何言ってるの? ほっとけないよ」
「どうせ結衣のこと、かわいそうだって思ったから声を掛けたんでしょっ!」
掴まれていた手を振りほどく。
少女から笑顔が消えた。
「キミは、かわいそうだと思われたいの?」
大人びた表情で、少女は淡々と問う。
「え?」
「キミはかわいそうな自分というものを作っているのよ? そうやって関心を集めようとしているの。無意識だろうけど」
「むいしき?」
「キミの寂しさはスペクターを呼び寄せる。あんまり寂しいからといって、闇雲にその感情を振り撒くのは賢明じゃないよ」
見た目はそんなに変わらないはずなのに、少女の言っている意味が理解できない。あたしはきょとんとしたまま首をかしげる。
「あ」
彼女は何かに気付いて目をぱちくりさせると、にぱっと微笑んだ。
「私、烏丸葉子。この近所に住んでいるの。キミは? 幼稚園、一緒じゃなかったよね? あ、それとも小学生だった?」
急に歳相応の無邪気な笑顔を作ったものだから、あたしは彼女のペースにすっかりのまれてしまった。それくらい魅力的で明るい笑顔だった。まるで金色のお日様みたいな。
その柔らかな優しさに包まれているような気がしたら、ついあたしは彼女の問いに答えていた。
「えっとね……昨日引っ越してきたばっかりなの。四月から小学校に行くんだよ。あたしは結衣。針間結衣って言うの。おうちは近くだよ」
「じゃあ結衣ちゃんとはご近所さんだね。私も四月から一年生なんだ。きっと同じ小学校だよね。――あ、どうせなら一緒に通おうよ! 引っ越してきたばっかりだったら通学路とか抜け道とかよくわからないでしょ?」
「う、うん……」
素直に喜べない。
小学校にはあの女の子たちもいるのだろう。会いたくなかった。
「どうしたの?」
「結衣とは関わらないほうがいいと思って……」
あたしと友だちだって思われたら、きっと頭がおかしな子の仲間だって見られる。ツラいのはあたしだけで充分だ。
「――私も、見えるよ」
彼女が言った意味を理解するのに少しだけ時間がかかった。
「ふぇっ?」
「だから信じるよ。結衣ちゃんが見たもののこと」
彼女があたしに向けてくれた笑顔は無理に作ったものには見えなかった。
「そうだ! 私の秘密、教えてあげる」
あたしを強引に公園にある水道まで引っ張ると、手のひらに水を掛けた。傷口に冷たい水がしみて、あたしは思わず手を引っ込める。
「ダメダメ! しっかり洗っておかなきゃ」
「だって痛いんだもん!」
「いーからいーから」
指先が冷えきったところで彼女はようやく解放してくれた。
「イジワルする……」
涙目で訴えていると、彼女はあたしの手を取って両手で包み込む。
「イジワルじゃなくて、手当て!」
包まれた手がほんわかとしてくる。不思議な感触に驚いて、あたしは彼女を見つめた。
彼女はにこにこと明るく笑ったままこちらを見ていた。
「さ、そろそろいいかな?」
彼女の手が退けられると、赤くなっていた手のひらの傷がすっかり癒えていた。
「え? これ……?」
「誰にも内緒だよ? 知っているのは結衣ちゃんだけなんだから」
可愛らしいイタズラを隠しているみたいな様子で、彼女は人差し指を口元に当てる。
「だから、私も結衣ちゃんのその目のことは誰にも言わない。二人だけの秘密だよ」
言って、彼女はウインクして見せた。
――二人だけの秘密。
その言葉が嬉しくて、あたしは自分の小指を差し出す。
「うん! わかった! 約束だよ」
お互いの小指を絡ませて指切りをする。
――固い約束。
あれから十年経ったけど、あの約束は守っているよ。二人だけの秘密だから。
その日から、あたしは烏丸葉子のことをよーちゃんと呼んだ。不思議と小学校から高校に上がるまで同じクラスで、毎日一緒に登校した。いじめられたこともあったけど、負けずに学校に行けたのはよーちゃんのおかげだ。
美人で、ちょっと大人びていて、勉強ができて、運動もそこそこできる自慢の友だちのよーちゃん。そんなよーちゃんにはいろいろと助けられてばかりで、何のお返しもできてない。感謝してもしたりないぐらいの恩を感じているつもり。大切な友だちだよ。この気持ち、伝わっているよね? よーちゃん、これからもずっと一緒にいようね。いつかきっと、よーちゃんの役に立ってみせるからさ。