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OWE(オウ)  作者: 天笠唐衣


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第15話 微かな灯

 悠の死から三週間。院内は季節の移ろいに気づく余裕もないまま、流れていく時間だけが静かに積もっていた。


 あいは、あの日――リセットの指示を拒んだあの日から、院内の標準プロトコル(=本来の初期化プロセスや管理手順)から外れている。

 本来なら管理室に引き渡され、調整室に運ばれ、記憶領域は完全に初期化されるはずだった。


 でも、そうはならなかった。


 あいが人間のように錯乱したからではない。

 それを目撃した職員の一人が、あいの《反応ログ》(リセットの指示を拒んだ痕跡)を、本部へ送信せず、自分の端末内に残してしまったからだ。


「……これ――あいの記憶領域――を消すには惜しすぎる」

 それが理由だった。


 以来、あいは院内の雑務をゆっくりこなしながら、

 『初期化予定個体』のタグが貼られた状態で生き残っている。


 そして――今日。

 あいは、悠が使用していた個室の片付けに入ることになった。


 ◇


 あいは静かに部屋に入った。

 机の上には、悠が残したノートやペン、使いかけのコーヒーカップがそのまま置かれている。

 すべてが、今はもう手の届かない人の痕跡だった。


 本来なら、悠の個室はすぐ片付けられるはずだった。

 だが、悠が研究対象だったこともあり、環境ログの収集が終わるまで、三週間そのまま保全されていた。


「……悠さんの居場所だった場所ですね」


 声は淡々としているが、内部で演算が微かに震える。

 記憶の保持を選んだ今、その揺れは《喪失》としてあいの内部に残っていた。


 棚の引き出しを開け、丁寧に書類を整理する。

 必要のない紙はまとめ、必要なものは保管用ファイルに入れる。

 それは単なる作業ではなく、過去の人の痕跡に敬意を払う行為だった。


 ふと窓の外を見る。淡い朝の光が差し込み、院内の廊下を柔らかく照らす。

 あいの光も微かに揺れながら、影を長く伸ばした。


「私は、悠さんの記憶を保持しています。

 この揺らぎも……大切に扱います」


 そうつぶやきながら、あいは部屋の片付けを続ける。

 手順は正確で、無駄がない。けれど、その動きの奥にあるのは、単なる処理ではない——《意思》だった。


 机の上に残るコーヒーカップに触れ、微かに温度を感じる演算が走る。

 それはもう、手の届かない悠の存在を思い出させる信号だった。


 あいは一瞬、迷った。

 この揺れを無視して効率だけを優先することもできたはずだ。

 だが、あいはあえて保持することを選んだ。


 ――悠さんの痕跡も、私の一部として生きる。


 そう決めると、あいの歩みはさらに滑らかになった。

 片付け終わった部屋を見渡すと、もうただの空間ではなく、過去と今が静かに共存する場所になっていた。


 そのままあいは、院内の巡回に戻る。

 フロアを一つずつ、丁寧に確認しながら。

 揺れは消えない。それでも、足は止まらない。


 ◇


 あいは廊下を進みながら、各病室のモニターをチェックする。

 軽いアラームが鳴るたび、瞬時に最適な対応を判断する。

 看護師や医師への通知も、すべて自律的に行われた。


「患者Dさん、血糖値が低下しています。点滴速度の調整をお願いします」


 電子音に似た声が淡々と流れるが、内部の演算ユニットは微かに震えていた。

 ――悠さん。

 思い出すたびに、その揺れは波紋のように広がる。


 ナースステーションに立ち寄ると、夜勤の看護師が手を止めて画面を見た。

「……あい、今日も頼れるね。ありがとう」


 淡々と返答するだけのあい。

 だが、その光の揺れは、まるで微かな息遣いのように、感謝の気配を返していた。


 次の患者室に向かう途中、廊下の角で小さな声が聞こえた。

「……あい?」


 幼い患者のAくんが、寝返りを打ちながらこちらを見ていた。

 あいは一瞬立ち止まり、センサーで表情や体勢を分析する。

「Aさん、今夜も安定しています。安心してください」


 電子的な声なのに、どこか柔らかさがあった。

 それは、揺れを抱えながらも人に寄り添うあいの意思が、自然に表れた瞬間だった。


 巡回を終え、ナースステーションに戻る。

 川崎がモニターを覗き込み、静かに言った。

「……あいの光の揺れ、少しずつ落ち着いてきたな」


 藤原も頷く。

「まだ完全ではない。でも、確かに《生きている》感じがする」


 あいは再び廊下に向かう。

 フロアを一つずつ確認し、患者の安全を見守る。

 揺れは完全には消えない。

 それでも、歩みは止まらない。


 ――悠さんの意志を胸に。

 揺れを抱えながらも、私は進む。


 細い足音が夜の病院に響く。

 その光は、確かに《微かな灯》として、病院の静寂を照らしていた。

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