第3話 教科書が書き換わる日
街道に出ると、そこは地獄の窯の底だった。
王家の紋章を掲げた馬車が横転し、車輪が空しく回転している。
周囲には、高価な鎧を纏った騎士たちが雑巾のように転がっていた。
血と、焦げたタンパク質の臭いが鼻をつく。
その中心で暴れているのは、悪夢を煮詰めたような巨体だった。
----------------------------------------
【敵性体】 アイアン・オーガ
【ランク】 C+
【特性】 魔法無効化
----------------------------------------
身長四メートル。その皮膚は生まれながらにして鋼鉄の硬度を持ち、生半可な刃物など通さない。
唸り声だけで大気がビリビリと震える、中ボス級モンスターだ。
「くそっ、なぜ効かん! 俺のドラゴンは最強のはずだ! 焼き払え、跡形もなく消し炭にしろ!」
聞き覚えのある、金切り声。
兄、ジュリアスだった。
戦場の端で、彼が狂ったように杖を振り回している。
その視線の先では、自慢の神聖ドラゴンが必死にブレスを吐き続けていた。
白銀の顎から放たれる、極光の炎。
岩さえも溶かす高熱の奔流が、オーガの巨体を飲み込む。
だが。
「ガアアアアアッ!」
炎の中から現れたオーガは、無傷だった。
赤熱した鉄の皮膚が、むしろエネルギーを吸収したかのように輝きを増している。
魔法耐性を持つ『鉄皮』に対し、ブレスは最悪の相性だ。
(馬鹿が。Wikiの1ページ目にも書いてあるぞ。「鉄は熱に強い」ってな)
オーガが嘲笑ったように見えた。
丸太のような腕が薙ぎ払われる。
「ギャアアッ!」
ドラゴンの悲鳴。
巨体が紙屑のように吹き飛び、街道の並木をへし折って地面に激突した。
「ひっ、うわあああ! くるな、くるなぁ!」
腰を抜かす兄。
股間が濃い色に染まっているのが、遠目にも見えた。
オーガがゆっくりと歩み寄る。その手には、ひしゃげた騎士の剣が握られている。
もはや処刑の時間だ。
(終わったな)
俺は静かに、戦場の真ん中へと歩み出た。
足音が、やけに響く。
「どいてなよ兄さん。――そいつに物理は悪手だ」
兄が目を見開く。
「アレン、か……? なぜここに……」
呆けた顔で俺を見る兄を無視し、俺はオーガを見上げた。
巨大な影が俺を覆う。
オーガが鬱陶しそうに鼻を鳴らし、棍棒代わりの鉄塊を振り上げた。
「死ねッ!」
兄が叫んだ。俺にか、オーガにか。
振り下ろされる鉄塊。重さ数トンの一撃。
風圧だけで骨が砕けそうな破壊の質量が、俺の頭蓋を粉砕する軌道を描く。
だが、その一撃は俺に届かない。
ガキンッ!!
甲高い金属音。
巨大な鉄塊が、俺の鼻先数センチで静止していた。
受け止めたのは、華奢な銀色の腕一本。
「な……」
兄が絶句し、オーガが目を白黒させている。
プリムだ。
彼女は表情一つ変えず、涼しい顔で数トンの圧力を片手で殺していた。
足元の地面が蜘蛛の巣状にひび割れるが、彼女の銀髪は揺れてすらいない。
----------------------------------------
【固有スキル発動】 絶対守護
【判定】 物理ダメージ無効
----------------------------------------
主への敵意ある攻撃を無効化する、鉄壁のスキル。
「プリム、そのまま固定」
「はい、マスター」
俺は指を鳴らす。
ショータイムの始まりだ。
「行け」
俺の足元、草むらの陰から、黒い絨毯のような影が飛び出した。
47匹のポイズン・キャタピラー。
それらが一斉に跳躍し、オーガの足元、首筋、関節に張り付く。
「なんだそれは……芋虫!? ふざけているのかアレン!」
兄が喚く。
オーガもまた、体に張り付いた虫を払おうと暴れる。
噛みつきによるダメージは、微々たるものだ。
視界の端に流れるダメージログには、「1」という数字が並んでいる。
蚊に刺された程度。Sランクのドラゴンですら傷つけられなかった鉄の皮膚には、通じるはずもない。
だが、俺には見えている。
オーガの頭上に浮かぶ、状態異常スタックという名の死の砂時計が。
[経過] 01 sec ... Damage: 1
[経過] 02 sec ... Damage: 2
[経過] 03 sec ... Damage: 4
倍々ゲーム。
指数関数の暴力。
猛毒の連鎖が、体内で爆発的な化学反応を引き起こす。
[経過] 05 sec ... Damage: 16
「な、ガ、アアアアアア……?」
オーガの絶叫が変わる。
怒りから、困惑へ。そして純粋な恐怖へ。
体内で何が起きているのか、脳筋の彼らには理解できないだろう。
猛毒が全身の細胞を瞬時に壊死させ、鋼鉄の防御力を内側から溶解させているのだ。
そして、10秒が経過した瞬間。
[経過] 10 sec ... Damage: 1024
[経過] 11 sec ... Damage: 2048
「グ、ボ……」
オーガが膝をつく。
その膝が、自重に耐えきれずに崩れた。
骨まで溶けているのだ。
巨体が、グジュリと音を立てて崩れ落ちる。
ドロドロに溶けた肉塊が地面に広がり、強烈な刺激臭を撒き散らす。
断末魔を上げる暇もなかった。
圧倒的な、死。
静寂。
風の音だけが聞こえる。
生き残った騎士たちも、兄も、口を開けたまま固まっていた。
俺は兄の足元に転がった、王家の紋章入りダガーを拾い上げた。
「な、な、何をした……魔法も使わず、あんなゴミ魔獣で……」
震える声で兄が問う。
俺は鼻で笑った。
手の中でダガーをもてあそび、放り投げる。
「ゴミ?」
俺は、溶けたオーガの残骸を顎でしゃくった。
「Sランクだか何だか知らないが、相性も読めず、ステータスだけで勝てるほど甘くないんだよ」
「あ、あぁ……」
「兄さんのドラゴン、燃費が悪すぎるんじゃないか? 一度、Wikiでも読んで勉強し直すんだな」
もっとも、お前の目には一生映らないだろうが。
俺は呆然とする兄を一瞥もしないまま、背を向けた。
「行くぞ、プリム」
「はい。マスターの完全勝利です」
銀の少女が、誇らしげに胸を張って追従する。
背後で、兄の屈辱的な叫び声が聞こえた。
だが、それはもう、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
俺たちは歩き出す。
目指すは王都の冒険者ギルド。
常識外れのFランクたちが、世界の教科書を書き換える。
その第一歩を、俺は今、踏み出したのだ。




