1話:追放
「魔獣容量は測定不能です。」
神官の声は乾いていた。
まるで廃棄品につける札を読み上げるような、事務的な響きだ。
大聖堂の床石が冷たい。
七色の光を落とすステンドグラスの下で、俺の足元にだけ重い影が落ちている。
周囲を埋め尽くす貴族たちの視線。
嘲笑、侮蔑、そして憐憫。
無数の視線が肌を刺す。
針のむしろとはよく言ったものだ。呼吸をするたびに、埃っぽい空気と一緒に針を飲み込んでいる気分になる。
「ゼロ、か」
「グレイロード家の恥さらしめ」
「兄のジュリアス様は神聖ドラゴンを従えたというのに」
「屑が。空気も読めず産まれてきおって」
ひそひそとした囁き声が、波のように押し寄せてくる。
俺は唇を噛んだ。
血の味がした。
鉄の味だ。
祭壇の奥、一段高い場所に設えられた玉座から、衣擦れの音が聞こえる。
父だ。
顔を上げなくてもわかる。
かつて俺に向けられていた厳格な期待は、とうの昔に消え失せた。今、あの人の瞳にあるのは、路傍の汚物を見るような生理的な嫌悪だけだ。
「アレン」
父の声が、重く響く。
「貴様を当家から追放する。今日この瞬間をもって、グレイロードの名を捨てよ。二度と王都の土を踏むことは許さん」
氷のような宣告。
反論は許されない。弁明も意味を成さない。
俺の隣には、黄金の鎧に身を包んだ兄、ジュリアスが立っている。
彼は口元を扇子で隠し、肩を小刻みに震わせていた。
隠しきれない優越感。
背後には、彼が従える伝説の魔獣、神聖ドラゴンが巨体を丸めている。白銀の鱗が、聖堂の光を反射して眩しい。
片や、伝説の竜を従える英雄。
片や、ネズミ一匹飼えない出来損ない。
世界は残酷なほどに、結果が全てだ。
俺はゆっくりと顔を上げた。
父の目を見る。
そこには親としての情愛など、欠片も残っていない。ただ不良品を処理する冷徹さがあるだけだ。
「……承知、いたしました」
声が震えないようにするのが精一杯だった。
一礼し、踵を返す。
重い扉へと向かう俺の背中に、兄の高笑いが突き刺さる。
それは勝者の凱歌であり、敗者への鎮魂歌だった。
***
王都を追い出され、魔獣が徘徊する荒野へと足を踏み入れた頃には、太陽は西の空へと落ちかけていた。
空は赤と紫が混じり合う毒々しい色に染まり、長く伸びた俺の影だけが、痩せ細った幽霊のように地面を這っている。
手切れ金代わりに渡されたのは、刃こぼれした錆びたナイフと、わずかな水だけ。
死ねと言っているに等しい。
魔獣使いとしての才能がない人間が、この荒野で生き延びられる確率はゼロに近いからだ。
乾いた風が吹き抜け、砂埃が頬を叩く。
喉が焼けるように渇いていた。
足が重い。一歩進むたびに、絶望が鉛のように足首にまとわりつく。
なぜ、俺だったんだ。
なぜ、俺だけが何も持たずに生まれてきたんだ。
理不尽への怒りと、どうしようもない無力感が、胸の中で黒い澱となって沈殿していく。
ふと、視界の端で何かが動いた気がした。
本能的に足を止め、錆びたナイフを構える。
草むらがかさりと音を立て、緑色の物体が這い出してきた。
芋虫だ。
大人の腕ほどもある太さと、毒々しい紫色の斑点を持つ魔獣。
ポイズン・キャタピラー。
冒険者ギルドの教本には、最弱のFランク魔獣として記されている。攻撃性は低く、踏み潰せば終わる程度の存在。経験値にも素材にもならない、生きるゴミ。
(今の俺とお似合いだ)
自嘲気味に口元を歪めた、その時だった。
ズキリ、とこめかみに鋭い痛みが走った。
視界が明滅する。世界がぐにゃりと歪み、まるで悪い夢を見ているかのような感覚に襲われる。
(クソゲーだな、相変わらず)
自分の思考とは思えない、奇妙な言葉が脳裏をよぎった。
クソゲー?
なんだそれは。
だが、その単語を認識した瞬間、頭の中のダムが決壊したように、膨大な記憶が雪崩れ込んできた。
白い病室。点滴の音。動かない体。
そして、モニターの中に広がる、この世界と瓜二つのゲーム画面。
そうだ。俺は知っている。
この世界は、前世の俺が死ぬ間際まで熱中し、そして呪ったあのゲームの世界そのものだ。
ステータス至上主義。廃課金必須のバランス崩壊ゲー。
持たざる者は搾取され、持つ者だけが愉悦に浸る、最悪で最高の世界。
記憶の奔流にめまいを覚え、俺はその場に膝をついた。
地面に手をついた拍子に、目の前の芋虫と目が合う。
威嚇するように小さな牙を剥く芋虫。
その瞬間、世界が変わった。
キィン、という耳鳴りと共に、視界全体にノイズが走る。風景の上に、半透明の青い光が走り、文字を形成していく。
『――攻略Wiki、同期完了』
『システムチェック……ユーザーID認証:アレン・グレイロード』
『魔獣容量の再計算を実行します』
無機質な女性のような声が、鼓膜ではなく、脳髄に直接響いた。
なんだ、これは。
俺の幻聴か。それとも狂ったか。
だが、文字の羅列は止まらない。
[エラー検出] 神託の儀による測定ミス
[修正] ユーザーのキャパシティ形式は通常規格ではありません
[解析結果] 固定コスト1以下のFランク対象に限り、保有可能数……無限
無限。
その二文字が、網膜に焼き付くように点滅した。
俺の容量はゼロじゃない。
1だ。だが、その1という小さな枠が、無限に存在している?
呆気にとられる俺の目の前で、今度は芋虫の頭上に新たなウィンドウがポップアップした。
まるで、ゲームの攻略サイトを現実世界に重ね合わせたかのような、詳細なデータ群。
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【ターゲット名】ポイズン・キャタピラー
【レアリティ】F
【成長限界】Lv.100
【潜在評価】SS
【隠し特性】猛毒の連鎖
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※解説:毒状態の対象に対し、スタック数に応じてダメージ計算式を乗算に変更する。Lv10で習得。理論上、ダメージ上限なし。
心臓が早鐘を打った。
ドクン、ドクンと血流が加速し、全身が熱くなるのを感じる。
(知っている……この特性を知っている!)
ゲーム終盤、理不尽な防御力を持つ隠しボスを倒すために発見された、通称「毒殺ハメ」。そのキーとなるのが、この芋虫だ。
だが、通常のプレイヤーは気付かない。この芋虫がレベル10になる前に捨ててしまうからだ。誰も育てようとしないゴミだからだ。
喉が鳴った。
目の前の、紫色の斑点を持つ醜い芋虫が、今は眩い宝石のように見える。
Sランクのドラゴン?
なんだそれは。
そんな燃費の悪い観賞用ペットなど、この論理的バグの前では紙くず同然だ。
俺は震える手で、錆びたナイフを地面に放り投げた。
もう、こんなものは必要ない。
ゆっくりと手を伸ばす。芋虫が警戒して身を縮め、毒の粉を撒き散らす。指先が痺れるが、構わない。
「……おい、お前」
声が上ずった。笑いが込み上げてくるのを抑えきれない。
「俺と一緒に来い。お前を、世界最強の『毒』にしてやる」
俺の指が、芋虫の湿った皮膚に触れる。
瞬間、青い光の粒子が俺の腕を駆け上がり、胸の中へと吸い込まれていった。
魂が繋がる感覚。
空っぽだった俺の器の中に、確かな熱が宿る。
俺は立ち上がった。
先ほどまでの重力が嘘のように、体が軽い。
王都の方角を振り返る。
遠く霞む城壁の向こうで、俺を捨てた父や兄たちが、今ものうのうと晩餐を楽しんでいる姿が目に浮かぶ。
(待っていろ)
常識という名のクソゲーを、蹂躙してやる。
俺の冒険は、このゴミ捨て場から始まるのだ。




