第七十五話:純白のハッカー、あるいは「ノア」という特異点
アスタロトが岩盤を穿つ工事現場の最深部。そこから掘り出されたのは、数万年前の純粋な魔力が結晶化した「琥珀」であった。
アルスが解析パッチを走らせ、その結晶を解凍した瞬間――中から現れたのは、性別を特定させない中性的な美貌を持ち、透き通るような白銀の髪を揺らす少年……あるいは少女のような姿の生命体だった。
「……あー、やっと出られた。マジで腰がバキバキだわ。……ん? 君が今の時代の『管理者』? 案外、普通な見た目なんだね、アルス」
その存在は、結晶から出た瞬間に、極めてフランクな口調でアルスの名を呼んだ。
「……ターゲット確認。シルフィ、解析を。……いや、待て。ノア、君はなぜ僕の名前と、現代の言語を知っているんだい?」
アルスは眼鏡を指で押し上げ、警戒の演算を強めた。琥珀から出たばかりの古代生命体が、初対面の相手の名を呼び、現代語を操る。これは物理学的にあり得ないはずだった。
「え、気づかなかった? 君が僕をスキャンした瞬間、僕も君の思考を『逆スキャン』させてもらったんだ。君の脳内にあるデータベース、整理整頓されててマジで読みやすかったよ。おかげでWi-Fiの規格から、今朝食べた『とんかつ』の衣の厚さまで、一瞬で全部同期完了。便利だね、今の知識体系」
ノアはそう言うと、重力を無視して空中で寝転がった。
「……なるほど。情報を『物質』ではなく『波』として捉える魔法生命体か。僕の解析パッチを逆探知して、アルエドの全知識を瞬時にダウンロードしたわけだね。……全自動ハッキング・ウイルスのような存在というわけだ」
「ウイルスとか人聞きの悪いこと言わないでよ。僕はただ、この『最適化された世界』を気に入っただけ。ねえ、アルス。君の脳内にあった『地雷系』ってファッション、あれ最高にクールだわ。あの子、ファリアって言ったっけ? ちょっと喋りに行ってくる。あ、Wi-Fiのパスワードは勝手に解析したから、設定不要でよろしく」
ノアはパチンと指を鳴らすと、物理的な壁を透過し、一直線に魔王城の娯楽エリアへと消えていった。
「……アルス様、彼(あるいは彼女)の処理能力は、計測不能ですわ。理屈を飛び越えた『純粋な魔力知性』。アルエドの防衛パッチすら、彼にとっては無いに等しいかと……」
シルフィの懸念に、アルスは不敵な笑みを浮かべた。
「面白いじゃないか。僕の計算を上回る『バグ』こそ、進化には必要だ。……全軍にパッチ送信。ノアの行動は監視対象ではなく、『特級ゲスト』として処理して。……さて、地雷系魔女と古代の魔法生命体が出会ったら、どんな化学反応(爆発)が起きるか。楽しみだよ」
古代のロスト・コード「ノア」。 そのフランクな侵入者は、アルエドの物理学を、さらなる高次元へと引きずり込もうとしていた。




