第六十九話:無色の魔女、パッチの海に溶ける
「……サクサク、という概念が、私の『無』を浸食していく……。アルス、貴方は一体、何を計算(代入)したの……?」
無色の魔女ファリアは、震える手でアルスが概念実体化させた「仮想とんかつ」を口に運んでいた。 それは肉体的な摂取ではない。停滞しきった彼女の精神に、「揚げる」という激しい分子運動の記憶と、「食べる」という生命の根源的な熱量を直接流し込む、アルス独自の「熱力学的・感情上書きパッチ」だった。
「ファリアさん。君の世界は美しかったけれど、あまりに静かすぎてエントロピーが不足していた。僕の理は、君の『無』すらも一つの変数として処理し、新しい変化を生むエネルギーに変えたんだ」
アルスが指を鳴らすと、モノクロームだった極東の絶域に、爆発的な勢いで「色」が戻っていく。 それと同時に、風景の一部と化していたレイヴンとリザの時間軸が再起動した。
「……お、おい! 今、俺は五百年ほど固まってた気がするんだが……!?」 「何が起きたの? 霧が晴れて……えっ、あの魔女が泣きながらとんかつ(?)を食べてる!?」
戦線復帰した二人が見たのは、地面に座り込み、色彩豊かな世界と脂の旨味に完全に屈服したファリアの姿だった。
数日後。君主国家アルエドの「スカイリゾートホテル」の最上階。 そこには、天界のセラフィエルに続き、自室に引きこもる新たな「超常の居候」の姿があった。
「……アルス、この『Wi-Fi』という不可視の糸、素晴らしいわ。私の『無』の領域を拡張して、世界中の情報を一瞬で引き寄せられる。……あ、お代わりの『極・おにぎり』を持ってきてちょうだい」
ファリアは、かつての冷徹な無色のドレスを脱ぎ捨て、アルスが提供した「超低反発・物理学特性パーカー」に身を包み、ゲーミングチェアに深く腰掛けていた。
「シルフィ。彼女の部屋の魔力消費量、天界の特級天使たちを超えているね」 「ええ、アルス様。彼女、自分の能力を『動画配信のバッファ(遅延)をゼロにする』ために使い始めましたわ。極東を支配していた強大な力が、今や快適なネット環境の維持に費やされています」
ファリアはアルスに敗北したことで、外の世界の「情報の洪水」と「美食の多様性」に完全に魅了されてしまったのだ。彼女にとって、静止した世界を守るよりも、アルエドの最新パッチをいち早くダウンロードし、引きこも生活を謳歌する方が、遥かに合理的だった。
「アルス……次は『魔界の激辛ラーメン』という概念を演算して。私の停滞した魂に、さらなる刺激が必要よ」
「……やれやれ。デバッグしたはずが、また一人、依存度の高いユーザーを増やしてしまったかな」 アルスは苦笑しながらも、極東という最大の「バグ」を、自国の「ヘビーユーザー」へと書き換えることに成功したのである。




