第六話:最強の師匠と禁断の魔法講座
「さあアルスちゃん。今日は魔法の基礎、マナの『循環』についてお勉強しましょうね」
エレナ先生は、聖母のような微笑みを浮かべながら言いました。 場所は屋敷から少し離れた、誰もいない荒野です。 中庭だと、また何を壊すかわからないからという父上の強い要望でした。
「循環……。体の中で魔力を回して、出力を安定させる技術のこと?」
「ええ、その通りよ。でもね、普通の魔導師は自分の魔力を全部は使い切れないの。ホースから水が出るように、少しずつ漏れ出しちゃうから。それを無駄なく使うのがプロの技なのよ」
エレナ先生が指先を立てると、その周りを魔力がキラキラと、まるでリボンのように美しく回転し始めました。 無駄が一切ない、完璧なエネルギー制御。 さすがは国一番の魔導師です。
「わあ、きれいだね。……でも先生。それって『超伝導』の状態を作れば、もっと効率よく回るんじゃないかな?」
「……ちょうでんどう?」
エレナ先生が首をかしげました。 僕は前世の記憶を掘り起こします。 電気抵抗がゼロになる現象、超伝導。 もし魔力の通り道である「魔力回路」の抵抗をゼロにできれば、魔力は減衰することなく無限に加速し続けるはずです。
「ちょっと試してみるね。体の中の魔力回路を、極低温に冷やして……。抵抗をゼロにして、魔力を光速に近いスピードで回してみるよ」
「待ちなさいアルスちゃん。回路を冷やす!? そんなことをしたら体が……」
エレナ先生が止めるより先に、僕の体から「キィィィィィィィン」という、空気を切り裂くような高周波の音が漏れ出しました。
「あ、すごい。魔力がどんどん加速していく……。まるで粒子加速器みたいだ」
僕の周りの地面が、あまりのエネルギーの余波で勝手に浮き上がり始めました。 重力さえもねじ曲げるほどの、圧倒的な魔力の奔流です。
「アルスちゃん、やめなさい! そのまま放ったら、このあたり一帯が地図から消えるわよ!」
エレナ先生の顔から余裕が消えました。 彼女はあわてて僕の肩を掴み、自分の膨大な魔力で僕の暴走を抑え込もうとします。
「先生、危ないよ! 今、すごくエネルギーが溜まってて……」
「いいから私に預けなさい! 『聖母の抱擁』!」
エレナ先生が叫ぶと、僕たちの周りに何重もの魔法障壁が展開されました。 一軍隊の攻撃でもビクともしないという、国最強の防御魔法です。
その瞬間。 僕の中に溜まっていた「抵抗ゼロ」の魔力が、ほんの少しだけ指先から漏れ出しました。
ドォォォォォォォォォォォン!
爆発音ではありません。 空間そのものが「震えた」ような衝撃。 僕の指先から放たれた無色の波動は、エレナ先生の最強障壁を紙細工のように突き破り。 目の前にあった巨大な岩山を、音もなく「消滅」させました。
粉々になったのではありません。 原子レベルで分解されたのか、そこにはただ、ぽっかりと不自然な空間が空いているだけでした。
「…………」
エレナ先生は、髪を振り乱したまま、岩山があった場所をぼうぜんと見つめていました。
「……先生。ごめん、やっぱり回路が冷えすぎちゃったかな」
「アルスちゃん。……今のは、王級魔法の『分解』に近いけれど。それを下級魔法の感覚で放つのをやめてくれないかしら……。先生、寿命が縮んじゃうわ」
エレナ先生は、がっくりと膝をつきました。 国一番の魔導師が、たった五歳の子供の「実験」で、精神的な限界を迎えています。
「おほほ……。この子は『神級』どころじゃないわね。物理学っていうのは、神様が作ったルールをハッキングする禁断の知識なのかしら……」
「え? ハッキング? 僕はただ、効率を計算しただけだよ?」
首をかしげる僕を見て、エレナ先生は深いため息をつきました。 そして、僕の頭を優しく、でも少し強めに撫でました。
「いい? アルスちゃん。明日からは魔法の練習じゃなくて、まずは『世の中には壊しちゃいけないものがたくさんある』っていう道徳の授業をしましょうね」
「ええっ! 魔法の計算の方が楽しいのに!」
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 僕は師匠の「最強」という自信を、物理の法則で見事に粉砕してしまったのでした。




