第四十九話:物理学者と聖女とシェフの、騒がしすぎる日常
魔王領に平和が訪れ、三ツ星シェフのカロルが加わったことで、魔王城の朝はさらに「騒がしく」アップデートされていた。
「アルス様! 大変です! カロルさんの『超伝導オーブン』が、リーズちゃんの清浄魔法と共鳴して、クロワッサンが発光しています!」
ミーナの悲鳴が厨房から響き渡る。アルスは朝のコーヒー(抽出温度88.5度固定)を置くと、手元の端末で城内の魔力推移を確認した。
「……ああ、リーズさんの魔力がパンの酵母を分子レベルで活性化させすぎたんだね。大丈夫、爆発はしないよ。ただ、食べると一晩中体が光るかもしれないけど」
「それ、大丈夫じゃないですよぉ!」
そんなやり取りを横目に、中庭ではリザとレイヴンの親子が、黄金の神剣を背負ったジークを相手に早朝の「軽い」組手を繰り広げていた。
「ガハハハ! ジーク殿、有給休暇中に鈍ったんじゃないか? ほら、気合を入れろ!」 「……レイヴン、貴殿の言う『軽い』が、地割れを三つ作ることを指すなら、俺は今、人生で一番気合が入っているよ」
ドォォォォォン!! という衝撃波が城を揺らすが、これはもはや魔王城の目覚まし代わりだ。アルスが設置した「振動相殺パッチ」のおかげで、城内の花瓶一つ倒れることはない。
朝食の時間になれば、カイルとルナが運営するギルドの報告書がアルスの元に届く。 「お兄ちゃん、見て! 昨日導入した『全自動・魔石選別機』のおかげで、冒険者の待機時間が40%カットされたよ!」 「それにね、カロルさんのまかない弁当を報酬にしたら、みんなの移動速度が1.2倍に上がったの。食欲のエネルギー変換効率ってすごいね」
双子は誇らしげに報告するが、その横でカロルは「料理をドーピング代わりに使うな」と苦笑いしながら、最高級のオムレツを配り歩いている。
「さあ、聖女様。今日はアシュタリアの教皇から『洗濯機の調子が悪い』って魔導メールが来てたぞ。食後に行ってやったらどうだい?」
「はい、カロルさん! 最近、私の『清浄の力』も、汚れを落とすのが楽しくて仕方がなくて……。あ、お義父様、そのお肉の焼き加減、リザ様の筋肉量には少し足りない気がします!」
リーズはすっかり魔王城の家族の一員として、リザの筋力トレーニングと家事の最適化を両立させていた。かつての厳格な聖女の面影は、今や「頼りになる家事のスペシャリスト」へと完全に昇華されている。
午後は、リリスとシルフィがアルスの新発明のテストに付き合うのが恒例だ。 「アルス、この『全自動・肩揉み魔導具』……いいけれど、もう少しわたくしの魔力波形に寄り添ってくださらない?」 「アルス様、私の計算では、ここの回転数をあと5%上げれば、魔導師特有の眼精疲労に効くはずですわ。……さあ、リリス様、そこをどいてください」
二人の静かな火花を、勇者ハレルヤが「まあまあ、神の御前……ではなくアルス閣下の御前ですよ」と、銀色のポリッシャーで廊下を磨きながら宥める。彼もまた、勇者の力を「城の光沢」を保つために捧げることに至上の喜びを感じ始めていた。
夕暮れ時。城のテラスで、アルスはカロルと並んで沈みゆく月を眺めていた。 「……アルス。この世界は、計算通りにいかないことばかりだな」 「そうだね、カロル。でも、計算できない変数が多ければ多いほど、この世界は退屈しない。……君の料理みたいにね」
「……にゃーん」 足元で白虎が、カロルから貰った最高級の干し肉を噛み締めながら、幸せそうに喉を鳴らす。
神級魔法の使い手も、最強の冒険者も、聖女も、そして物理学者も。 ここでは誰もが「最強」であることを休み、ただの「家族」として、美味しい飯と快適な風呂を分かち合っている。
「さて、明日は『全自動・自動追尾型マッサージチェア』の試作機が完成する。姉さんの気合をエネルギー源にするから、多分世界一強力な椅子になるはずだよ」
「……それ、座った瞬間に空まで飛んでいかないか?」
「その確率は、今のところ15%だね」
二人の転生者は笑い合い、賑やかな灯りが灯る魔王城へと戻っていく。 物理法則が気合で書き換えられ、奇跡が洗濯物に使われる。 そんな非効率で、愛おしい魔王領の日常は、今日もまた穏やかに更けていくのだった。




