第四十話:最強の後の、最高に非効率な夜
最強決定戦の熱狂が冷めやらぬ魔王城の庭園は、今や香ばしい肉の香りと甘いマシュマロの匂いに包まれていた。
「さあ、皆さんお疲れ様! 今日は優勝も準優勝も関係なし! ミーナ特製のパンを好きなだけ食べてくださいね!」
ミーナの声と共に、山盛りのクロワッサンや魔力肉のバーベキューが次々と運ばれてくる。かつては世界の終焉を語り合っていたはずの魔王城が、今では親戚の集まりのような騒がしさだ。
僕はキンキンに冷えたエールのグラスを片手に、芝生の上に腰を下ろした。隣では、優勝者のリザ姉さんが巨大なマシュマロの串を焚き火にかざしている。その焚き火を維持しているのは、なんと勇者ハレルヤだ。
「リザ閣下! 右斜め四十五度から神聖な熱流を送ります! これで外はカリッと、中はとろける究極の状態になるはずです!」
「あ、いいわねハレルヤ。あんた、勇者の頃よりいい仕事してるじゃない」
姉さんの何気ない一言に、ハレルヤは「もったいなきお言葉!」と感涙に咽んでいる。神級魔法の使い手がマシュマロの火加減に全霊を捧げる姿は、物理学者の僕から見てもエネルギーの著しい無駄遣いだが、本人が幸せそうなので何も言わないことにした。
「アルス、お疲れ様。……さっきの試合、悔しかった?」
反対側からシルフィがそっと座り、僕に冷たいおしぼりを渡してくれた。
「悔しいというか、もはや笑うしかないよ。僕がどれだけ数式で世界を定義しても、姉さんという『計算外の変数』一つで全てが上書きされてしまう。……物理学者の敗北だよ」
「ふふ、でも私は、そんな貴方の理屈っぽいところが好きよ」
シルフィが微笑んだ瞬間、横から強烈な圧力が割り込んできた。魔王リリスが当然のように僕の腕に抱きついてきたのだ。
「あら、シルフィ。敗者の分際でアルスといい雰囲気になろうなんて、百年早いですわ。アルスの隣は、このわたくし、リリス・ローベントの定位置ですもの」
「リリス様、まだ『ローベント』を名乗るのは早いって言ってるでしょ! 離れなさい!」
いつものように始まった二人の小競り合いを眺めながら、僕は焼きたてのパンを一口齧った。小麦の分子構造をミーナが最適化しただけあって、驚くほど旨みが深い。
その足元では、カイルとルナが神獣・白虎を枕にして、すやすやと寝息を立てていた。白虎はハレルヤから貰った魔力肉の骨を大事そうに抱えながら、時折「にゃーん」と喉を鳴らして、周囲の熱気を冷やしている。まさに天然の冷房装置だ。
「……アルスちゃん、いい顔してるわね」
少し離れた場所で、エレナ先生とエルミさんがワイングラスを傾けていた。
「先生……。僕がこの世界に来て、最初にやりたかったのは効率化だったはずなんです。でも、こうして非効率な宴会でみんなが笑っているのを見ると、これが一番の最適解だった気がしますね」
「そうよ。理屈じゃ説明できないからこそ、守る価値があるの。……さあ、リザちゃんが二本目のマシュマロタワーを完成させたわよ。早く行かないと全部食べられちゃうわよ?」
先生に背中を押され、僕は騒ぎの輪の中へと戻っていった。 物理学の法則が通じない姉、僕を奪い合う魔王と幼馴染、そして神の力を家事に使う勇者。 僕のノートには、またしても「計算不能な幸福」というデータが一つ、書き加えられることになった。




