第四話:聖母のような師匠がやってきた
「アルス、今日からお前に新しい先生をつけることにした」
朝食の席で、父上が深刻な顔で切り出しました。 隣では、ポニーテールを短く切りそろえたリザ姉さんが、じーっと僕を睨んでいます。 昨日の「ウォーターカッター事件」のせいで、僕の自由時間は没収されてしまったのです。
「先生? バラムさんは辞めちゃったのに、誰が来るの?」
「おっほっほ、私ですよ、アルスちゃん」
聞き慣れない、おっとりとした声が響きました。 食堂の入り口に立っていたのは、透き通るような銀髪を揺らした、とても綺麗な女の人でした。
彼女の名は、エレナ・ミルフィ。 この国の騎士団を束ねる総帥であり、王様の相談役。 そして、この国で一番の魔導師と言われている、伝説の人です。
「エレナ様! わざわざお越しいただき、恐縮です」
父上があわてて立ち上がり、最敬礼をしました。 あの父上がこんなに震えるなんて。 この人、見た目は聖母様みたいに優しそうだけど、実は一軍隊を一人で壊滅させるほどの「歩く戦略兵器」らしいのです。
「いいのですよ、エドワード侯爵。バラムから面白い話を聞きましてね。……下級魔法で森を消し、水のしずくで石壁を断つ神童がいる、と」
エレナ先生は僕の前にしゃがみ込むと、ふわりと花の香りを漂わせました。 そして、僕のほっぺをぷにぷにと触ります。
「まあ、可愛いわねえ。この小さな頭の中に、どんな悪い数式が詰まっているのかしら?」
「あ、あの……僕はただ、効率を計算しただけで……」
「効率? うふふ、面白い言葉を使うのね。ではアルスちゃん、お外で少しだけ、私に魔法を見せてくれるかしら?」
僕たちは、まだクレーターの残る中庭に出ました。 エレナ先生はそれを見て「あらあら、いい燃焼っぷりね」と微笑んでいます。
「いいですか、アルスちゃん。この世界の魔法はね、心で祈り、魔力を大きく練り上げるのが正しい姿なの。貴方のやり方は、少し……理屈が勝っているわね」
エレナ先生が優しく手をかざすと、空中に巨大な水の塊が現れました。 それは、バラムさんの「水龍の牙」とは比べものにならないほど、重厚で巨大な魔力の塊でした。
(……すごい。魔力量だけで言えば、この世界で初めて僕に近い人を見たぞ)
「これが『王級』に近い中級魔法の真の姿よ。……さあ、アルスちゃん。今度は私の前で、その『算数』を使った魔法を見せてごらんなさい」
先生の目は優しかったけれど、奥のほうが少しだけ「もっとすごいものを見せて」と光っている気がしました。
(よし、今度こそ完璧な手加減を見せてやる……!)
僕は深呼吸をしました。 火は危ない。水も鋭すぎる。 なら、「光」はどうだろう。 光の粒子を一点に集めて、ただまぶしく光らせるだけなら、何も壊さないはずだ。
前世で学んだ「レーザー」の理論を、魔力で再現します。 光をレンズのように一点に集約し、増幅させる。
「ちょっと、明るくするだけだよ……『光球』」
僕が指先を空に向けた瞬間。
カァァァァァァァァァッ!
中庭が、夜から一気に昼間になったような、強烈な閃光に包まれました。 ただの「ライト」のはずが、光を収束しすぎて、天に向かって巨大な熱線が突き抜けていきました。
空に浮かんでいた雲が、一瞬で蒸発して消え去りました。 上空を飛んでいた鳥の羽が、光に触れてチリチリと焦げています。
「…………あら?」
エレナ先生のニコニコ顔が、初めてピキッと固まりました。 彼女が用意していた巨大な水の塊が、光線の熱だけで一瞬で干上がり、湯気になって消えてしまったのです。
「……エレナ先生? 今のは、ただの明かりだよ?」
「……。……。アルスちゃん、今のは『光』を圧縮して、熱エネルギーに変換しましたね?」
「え、あ、うん。反射率を高めて、位相を揃えただけなんだけど……」
エレナ先生はしばらく黙って空を見上げていました。 雲が消えて、真っ青になった空を。
「……エドワード侯爵」
「は、はい! エレナ様!」
「この子は、私が預かります。このまま放っておいたら、この子、うっかり太陽を二つ作っちゃいそうだわ」
聖母のような微笑みを浮かべたまま、エレナ先生の額にはうっすらと冷や汗が流れていました。 どうやら国一番の魔導師でも、物理学者の「手加減」は、常識の外側だったみたいです。
神級魔法すら一人で相手にするという最強の師匠。 そんな彼女が、僕を「危険物」としてマークした瞬間でした。




