第三十三話:神級の勇者、あるいは「理不尽」への挑戦者
魔王領の近代化が始まって数ヶ月。 平和にボイラーの点検をしていた僕の耳に、魔王城の正門が「原子レベルで消滅した」という異常な警報が届きました。
「……計算が合わない。誰かがこの空間のエネルギー保存則を無視して、外部から膨大な『光』を流し込んでいる?」
僕がモニターを切り替えると、そこには一人の青年が立っていました。 純白の鎧に、瞳には黄金の紋章。人類側が隠し持っていた最後にして最強の切り札、神級魔法の使い手——勇者ハレルヤです。
「魔王を名乗る邪悪な者よ! その歪んだ理ごと、神の光で浄化してくれる!」
ハレルヤが聖剣を振るうたびに、僕が設置した最強の防御隔壁が、まるでお湯に溶ける砂糖のように消えていきます。 それは魔法というより、世界を「あるべき姿(神の望む形)」に書き換える、因果律の操作に近いものでした。
「……ちょっと、アルス。あいつ、私の掃除したばかりの廊下をボロボロにしてくれたわね」
現れたのは、不機嫌そうに木剣を担いだリザ姉さんでした。 いつもの「おいしくなーれ」のノリではありません。彼女の周囲の空気が、あまりの気合に高熱を帯びて陽炎のように揺れています。
「僕魔王を任命されたんだけどなぁ、王様に。リザ姉さん、気をつけて。あの男の剣は、物理的な干渉を無視して『結果』を確定させてくる。……僕の数式すら通用しないかもしれない」
「関係ないわ。あんなスカした顔、一発殴らないと気が済まないもの」
姉さんが一歩踏み出した瞬間、廊下の石畳が衝撃波で砕け散りました。 勇者ハレルヤの聖剣と、リザ姉さんの木剣が激突します。
カアァァァァァンッ!!!
目も開けられないほどの閃光が弾けました。 本来なら、神の加護を受けた聖剣が木剣など一瞬で消滅させるはず。 しかし、姉さんの木剣は折れるどころか、勇者の「奇跡」を真っ向から押し返していました。
「……何だと!? 神の裁きを、ただの木切れで防ぐというのか!?」
「神様だか何だか知らないけど、私の家族の邪魔をするなら、その奇跡ごと叩き折ってあげるわよ!」
二人の戦いは、もはや僕の理解を超えていました。 ハレルヤが「光速」の剣を振るえば、姉さんは「予感」だけでそれを弾き返す。 ハレルヤが「必中の加護」を付与すれば、姉さんは「絶対に当たらないという根性」でそれを無効化する。
物理学を無視する勇者と、論理を置き去りにした姉。 戦場は、神級魔法の激突による次元の歪みで、景色が万華鏡のように歪み始めていました。
『……アルス兄様、これ以上はまずいよ。二人のエネルギーがぶつかりすぎて、魔王城の座標がこの世界から剥離しちゃう!』
モニター越しにカイルが叫びます。
「わかってる! ……エルミさん、エレナ先生! 僕の演算に合わせて、二人の周囲の『因果律』を一時的にロックして! 物理も奇跡も通用しない『零領域』を作る!」
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 物理学者は、初めて現れた「互角の敵」を前に、姉の勝利を信じて、世界で最も緻密な「戦場(檻)」の構築を開始するのでした。




