第三十二話:元幹部の異議申し立て(物理的な説得)
「……これ以上、黙って見てはおれん!」
魔王城の謁見の間。かつてリリスと共に世界を恐怖に陥れたはずの、屈強な魔族の元幹部たちが三人、僕の前に並び立ちました。 彼らは僕が導入した「自動洗浄トイレ」や「魔導エレベーター」には目もくれず、怒りに震えています。
「アルス・ローベント! 貴様が来てからというもの、魔王城はパンの匂いと床暖房のぬくもりに満ち、我ら魔族の牙は抜かれ、爪は研がれることもなくなった!」
リーダー格の『剛角将軍』バルトスが、巨大な斧を床に叩きつけました。
「魔族は恐怖によって統治されるべきだ! 効率などという軟弱な思想、我ら武人が認めるわけにはいかん! 先代様をたぶらかし、城をリゾート地のように変えた貴様を、我ら三将軍が『物理的』に排除させてもらう!」
「……え、物理的に? 僕に対してその言葉を使うのは、あんまりお勧めしないけど……」
僕は手元のタブレット(魔導演算器)から目を離さずに答えました。今、魔王領全体の熱効率を1.2%向上させるための計算で忙しいんです。
「問答無用! 死ねいっ!」
バルトスが斧を振り上げ、空間ごと僕を叩き潰そうとした、その瞬間。
「あら、掃除の邪魔よ」
背後から聞こえたのは、雑巾とバケツを持ったリザ姉さんの冷ややかな声でした。 姉さんはバルトスの斧を、素手の「指先」だけで受け止めました。
「な……!? 我が全力の一撃を、指一本で……!?」
「あんたたち、さっきからうるさいわね。せっかくアルスが廊下のワックスがけを自動化してくれたのに、土足で暴れないでくれる? ……物理だかなんだか知らないけど、気合が足りないのよ」
リザ姉さんが、もう片方の手でバルトスの額を「デコピン」しました。 ドォォォォォン!! 物理学の法則に従えば、指先の運動エネルギーが数トンの巨体を吹き飛ばすはずはありませんが、姉さんの「気持ち」が乗った一撃は、将軍を城の壁の向こうまで弾き飛ばしました。
「……バ、バルトス!? 貴様、魔王の義姉だな! ならば俺が——」
『させないよ。……おじさん、足元の「摩擦係数」がゼロになってるよ?』
十歳のカイルが、廊下の角からひょっこり顔を出しました。 斬りかかろうとした二人目の幹部の足元から、あらゆる摩擦が消失しました。彼は氷の上どころではない滑らかさで、そのまま「慣性の法則」に従って廊下の突き当たりまで滑っていき、自作のゴミ収集ダストシューターへと吸い込まれていきました。
『ルナも手伝うね。……「質量増加」!』
ルナが指をさすと、三人目の幹部の体重が突如として「一万倍」になりました。 「ぐ……え……!? じ、重力が……!!」 彼は自らの重みに耐えきれず、大理石の床に人間(魔族)の形をした深い穴を掘って埋まりました。
「…………」
数分後。 謁見の間には、静寂が戻りました。
「……ねえ、リリスさん。彼ら、また来るかな?」
「……いいえ、アルス。彼らもようやく理解したはずですわ。貴方の『効率』に逆らうことは、この世の物理法則に喧嘩を売るのと同じくらい無意味だということを」
リリスは僕の肩に頭を乗せ、幸せそうに笑いました。
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 新魔王(物理学者)に挑んだ武闘派たちは、暴力よりも恐ろしい「絶対的な理」によって、再起不能なまでの敗北を喫したのでした。
翌日、彼ら三人は大人しく「魔王城・清掃局」の局員として、僕が開発したルンバ(魔導式)のメンテナンスを担当することになりました。




