第二十五話:引きこもり物理学者の「リモート・デバッギング」
「……というわけで。先生に怒られちゃったから、僕はここから動かないことにしたよ」
ローベント家の地下研究室。 僕は大量の魔導モニターを浮かべ、複数の数式を同時並行で処理しながら、通信用の魔道具に向かって話しかけていました。
『……正解よ、アルスちゃん。現場は心臓に悪いわ』
モニター越しに映るエレナ先生は、王都の司令部で胃薬を飲みながら、げっそりとした顔で頷いています。
『でも、前線の状況は最悪なの。魔王軍が放った「魔導汚染物質」のせいで、味方の魔導師たちの術式がことごとく不発に終わっているわ。これじゃあ戦いにならない……』
「ああ、それね。エントロピーを強制的に増大させて、魔力の指向性をバラバラにしてるんだよ。ノイズを混ぜて計算を狂わせる、嫌なジャミングだ」
僕は空中に浮かぶキーボード(魔力製)を高速で叩き、解析データをエレナ先生の端末へ転送しました。
「今、そっちの魔導師たちの杖に、パッチを当てるための『逆位相波形』を送ったよ。それを杖の魔石に共鳴させるだけでいい。ノイズを相殺して、魔法の効率が120%まで跳ね上がるはずだ」
『えっ……? ちょっと、一瞬で解決しちゃったじゃない』
現場では、魔王軍のジャミングに苦しんでいたシルフィやミーナが、突然自分の杖が黄金色に輝き出したことに驚いています。
『アルスさん! なんだかよく分かりませんけど、パンがいつもより三倍速でこねられますぅ!』
モニターの端で、ミーナが空気を叩くたびに衝撃波で魔王軍が消し飛んでいくのが見えます。……うん、物理的な「仕事量」が確実に増えていますね。
『アルス! 貴方、今度は何をしたの!? 魔法の威力が上がったっていうより、世界の抵抗がなくなったみたいなんだけど!』
シルフィの放つ火球が、空気抵抗を無視してレーザーのように一直線に魔王軍の本陣を貫きました。
「ただの最適化だよ、シルフィちゃん。君たちはいつもエネルギーの半分を空気との摩擦で損してたから、そこを『滑らか』にしてあげただけさ」
僕は椅子に深く腰掛け、コーヒーを一口すすりました。 現場へ行って重力をいじれば一瞬ですが、それでは先生がまた泣いてしまいます。 ならば、僕は「OSのアップデート」に徹すればいい。 現場の魔導師たちが使う魔法の「効率」を裏から書き換え、戦場の物理法則を味方にだけ有利な設定に変える。
「これなら僕が直接何かをしたわけじゃない。あくまで戦っているのは現場の皆さん……『僕は何もしていない』という契約の範囲内だよね、王様?」
僕は、モニターの隅に映り込んでいる、真っ青な顔でこちらを見ている国王陛下(通信傍受中)にニッコリと微笑みかけました。
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 物理学者は、ついに一歩も動かずに「世界の設定」を弄ることで戦況を支配する、究極の「引きこもりサポート」を確立したのでした。




