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第二十三話:戦場のパン屋と、遅れてきた物理学者

王都近郊、第一防壁の外。 かつて平和な街道だった場所は、今や魔王軍の放つ「腐蝕ふしょくの霧」に覆われていました。


「……はぁ、はぁ……。なんて、しぶといの……!」


最前線で膝をつくのは、近衛魔導師団の指揮を執っていたエレナ先生です。 彼女の周囲には、魔力枯渇で倒れた魔導師たちが転がっています。対峙するのは、魔王軍四天王の一人、影の魔将軍。あらゆる魔法を無効化し、空間ごと切り裂く漆黒の刃を持つ怪物です。


「終わりの時だ、人間の賢者よ」


魔将軍が剣を振り上げた、その時。


「終わらせませんよぉぉぉっ!!」


霧の向こうから、凄まじい衝撃波と共に「何か」が飛んできました。 それは巨大な岩……ではなく、魔力でカチカチに硬化された「超高密度・巨大フランスパン」でした。


「ぐふっ!?」


不意を突かれた魔将軍が、数メートル吹き飛びます。


「先生! 大丈夫ですかぁ!?」


現れたのは、15歳になったミーナちゃんでした。 彼女は今や、その膨大な魔力を「身体強化」と「パンの製造」に全振りした、異色の戦闘魔導師(自称:パン屋)へと成長していました。


「ミーナ……!? 来ちゃだめって言ったのに……!」


「そんなこと言ってる場合じゃないですよぉ! はい、これ、特製の『魔力回復クロワッサン』です! 食べれば胃が爆発するくらいの勢いで魔力が戻りますからぁ!」


ミーナは、もはや魔力の蛇口が壊れているどころか、自分自身が「魔力の発電所」のようになっています。彼女が拳を握れば、周囲の空気が断熱圧縮だんねつあっしゅくで発火し、一振りで魔王軍の下級兵士たちが消し飛んでいきます。


「えいっ、えいっ、えいっ!」


彼女がパンをこねる動作で空気を叩くたびに、局所的な真空状態が発生し、魔王軍の隊列が崩壊していきます。物理学的に言えば、彼女は「慣性質量」を自在に操る、最悪の近接戦闘員でした。


しかし、相手は四天王。 ミーナの無自覚な暴力(魔法)を凌ぎ切り、魔将軍が再び闇の力を収束させます。


「……小娘が。その程度のデタラメな魔力、飲み込んでくれるわ!」


漆黒の波動が一点に集まり、周囲の光を吸い込む「特異点」が形成されました。 エレナ先生も、ミーナも、死を覚悟したその瞬間。


上空から、ひどく冷静で、少し眠そうな声が降ってきました。


「……ああ、やっぱり。その術式、効率が悪いよ。エネルギーの散逸さんいつを無視して無理やり圧縮するから、そんなに時間がかかるんだ」


空中に、魔法陣も使わずに浮いている少年が一人。 15歳になったアルス・ローベントでした。


「アルスちゃん!?」 「アルスさーん! 助けてください、パンが焼けちゃうくらいの熱気なんですぅ!」


アルスは手にした杖を軽く振ると、魔将軍が一生懸命に作り上げた「闇の特異点」を指差しました。


「ちょっと失礼。境界条件きょうかいじょうけんを書き換えるよ。そのエネルギー、今はもう『ただの水素原子』に戻ってもらったから」


パチン、と指を鳴らす音が響きました。 次の瞬間、世界を滅ぼさんばかりの闇の波動は、一瞬にして爽やかな「そよ風」に変わり、魔将軍の手の中から消え失せました。


「……な、何をした……? 私の究極魔法が、消えた……!?」


「消したんじゃないよ。再定義したんだ。……さあ、ミーナちゃん、先生。ゴミ掃除の時間だ。……掃除機の出力は、10%くらいでいいかな?」


神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 最強のパン屋と、限界の師匠を背に、物理学者は初めて「戦場」という名の実験場に降り立ったのでした。


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