第十八話:森から来た「神級」のお客さん
僕が地下の研究室で、重力制御装置の改良に没頭していた、ある日の午後。 コンコン、とドアがノックされました。 こんな時間に訪ねてくるのは、エレナ先生か、暴走したミーナを連れたシルフィちゃんくらいのはず。
「アルスちゃん、お客様がいらしているわよ。……しかも、とっても珍しいお客さんよ」
お母様の声が、いつもより少しだけ上ずっていました。 僕は研究を中断し、地上へと上がりました。
リビングのソファに座っていたのは、見慣れない女性でした。 長く流れる銀色の髪、透き通るような緑色の瞳。 そして、何よりも目を引くのは、その尖った耳。
「……エルフ?」
この大陸では、エルフは森深くに住み、人里には滅多に姿を現さない「幻の種族」です。 彼女は二十歳くらいに見えますが、エルフの寿命は人間よりはるかに長いため、実年齢はもっと上かもしれません。
「初めまして、アルス・ローベント殿。わたくしはエルミ・シルヴァリス。流浪の魔女を名乗る者です」
エルミさんは、優雅な仕草で挨拶しました。 その瞬間、僕の物理学者としての直感が警報を鳴らしました。 彼女の体から漏れ出ている魔力は、お母様の「王級」とはまた違う、静かで、しかし無限の深さを感じさせるもの。 まるで、宇宙そのものを内包しているかのような、途方もないスケールです。
(……神級魔法の使い手だ。しかも、あのエレナ先生とは、種類の違う「神級」だ)
エレナ先生の神級は、あくまでこの世界の魔法の法則の「最大出力」。 しかし、このエルミさんの魔力は、まるで魔法という概念そのものを作り出した存在のような、根源的な力を感じさせました。
「魔女様、お飲み物はいかがですか?」
お母様が、紅茶を運んできました。 エルミさんはそれを受け取ると、ふわりと微笑みました。
「ありがとうございます。……ローベント家には、まさかこのような高密度な魔力を持つお子様がいらっしゃるとは。噂には聞いておりましたが、これは驚きです」
彼女の緑色の瞳が、僕の体から漏れ出す微量の魔力を正確に捉えていました。 僕が「普通」を極めてからは、滅多に気づかれることはありません。
「あの、エルミさん。何か御用ですか?」
父上が、少し緊張した面持ちで尋ねました。 エルフがわざわざ貴族の屋敷を訪ねてくるなど、前代未聞の出来事です。
「ええ。最近、この地のマナの流れが非常に不自然だと感じまして。森の奥からでも、まるで何かの『座標』が狂わされているような、奇妙な振動が伝わってくるのです」
エルミさんは、ティーカップを傾けながら言いました。
「……座標の狂い? それって、もしかして僕が地下でやってる重力制御実験のことかな?」
僕が不用意に口を滑らせた瞬間、リビングの空気がピキッと凍りつきました。 父上と母上が「アルス!」と僕を睨みつけます。
「なるほど。やはり貴方でしたか」
エルミさんは、変わらない柔らかな笑みを浮かべたまま、僕の目を見つめました。 その瞳の奥には、好奇心と、そしてほんのわずかな「警戒心」が宿っているように見えました。
「もしよろしければ、貴方の『実験』とやらを、わたくしにも見せていただけませんか? ひょっとすると、貴方はこの世界の『理』を書き換えようとしているのかもしれません」
神級魔法の使い手であるエルフの魔女エルミ。 彼女は、僕の「物理学」がこの世界にもたらす影響に、いち早く気づいた存在でした。
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 僕は、ついに自分の研究が「世界の根源」に関わる事態になってしまったことを、肌で感じるのでした。




