第十五話:パン屋の娘は、魔力の蛇口が壊れている
免許皆伝をもらってから数日。 僕は「普通」を極めたご褒美として、一人で城下町へ行く許可をもらいました。
「ふふん、今の僕なら、町中でくしゃみをしても爆発なんて起きないぞ」
そんな低い志を胸に歩いていると、香ばしいパンの匂いに誘われました。 町の外れにある、小さなお店。 そこには、僕と同じくらいの年齢の、ふわふわした茶髪の女の子が立っていました。
「いらっしゃいませぇ! 焼きたてのパンはいかがですかぁ?」
彼女の名前はミーナちゃん。 パン屋さんの娘さんだそうです。 でも、僕が彼女を見た瞬間、物理学者としての直感が警報を鳴らしました。
(……待て。なんだ、あのエネルギー密度は)
僕の目には、彼女の体から漏れ出している魔力が、まるで「制御の効かない高圧蒸気」のように見えました。 大人の魔導師数十人がかりでも太刀打ちできないほどの膨大な魔力が、彼女の細い体の中にパンパンに詰まっているのです。 しかも、本人はそれに全く気づいていない。
「あの、ミーナちゃん。そのパン、どうやって焼いてるの?」
「え? かまどに入れて、おいしくなーれって魔法をちょっとかけるだけですよぉ」
ミーナちゃんが、かまどに向かって手をかざしました。 彼女がやろうとしているのは、火を維持するためのごく平凡な生活魔法のはず。
しかし。
ゴォォォォォォォォォッ!!
かまどの中から、ドラゴンの息吹のような猛烈な熱風が吹き出しました。 パンを焼く温度じゃありません。鉄をドロドロに溶かす、高炉の温度です。
「あわわ、また火が強すぎちゃったかなぁ?」
「かなぁ、じゃないよ! ミーナちゃん、今、一瞬で一ヶ月分の燃料を使い果たしたよ!?」
僕はあわてて、免許皆伝の技で彼女の魔力の流れを干渉し、熱源を鎮めました。 放っておいたら、パン屋どころかこの区画が火の海になるところでした。
「あ、ありがとうございます! お客様、魔法にお詳しいんですねぇ」
「詳しいっていうか……。ミーナちゃん、君、自分の魔力がどれだけあるか知ってる?」
「えへへ、お母さんには『あんたは力が余ってるから、しっかりパンをこねなさい』って言われてます。だから私、パンをこねるのだけは得意なんですよぉ」
ミーナちゃんが、台の上にあるパン生地を「えいっ」と一突きしました。
ドシュッ!!
パン生地が、凄まじい風圧とともに台に叩きつけられました。 魔力を無意識に腕力に変換してしまったようです。 生地の中のグルテンが、物理の限界を超えて一瞬で形成され、もはや「パンの形をした鋼鉄」に近い密度になっています。
「……これ、焼けるの?」
「はい! 私の火なら、すぐに焼けますよぉ!」
(そりゃあ、あの核融合一歩手前の火力なら焼けるだろうけど……!)
僕は確信しました。 この子は、僕とは別の意味で「この世界のルール」を壊している。 僕は「計算」で効率を上げたけど、彼女は「出力」の蛇口が壊れているせいで、無理やり現象を引き起こしているんだ。
「ミーナちゃん。君のパン作り、僕がちょっとだけ『最適化』を手伝ってあげてもいいかな?」
「さいてき……? よくわからないですけど、手伝ってくれるなら嬉しいですぅ!」
こうして、物理学者の少年と、無自覚な魔力モンスターの少女による、世界一危険なパン作りが始まりました。
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 僕は、自分以外に「世界を壊しかねない隣人」を見つけてしまい、変な親近感と、それ以上の危機感を抱くのでした。




