第十三話:もしものときは、僕が「掃除」してもいいのかな?
王様と「一生なにもしない」という、夢のような、あるいはひどい契約を結んだ帰り道。 僕は豪華な馬車に揺られながら、窓の外を眺めていました。
隣には、見届け人として同乗しているエレナ先生がいます。 先生は、まるで重い荷物を下ろしたような、晴れやかな顔で紅茶を飲んでいました。
「アルスちゃん、よかったわね。これであなたは、一生好きな計算だけして生きていけるわ。平和が一番よ」
「うん、そうだね。……でも先生、ちょっと聞いてもいい?」
僕は、ずっと気になっていたことを口にしました。
「もし、この国に自分たちではどうしようもない『悪いもの』が攻めてきたら、どうするの? 王様との約束があるから、僕は見てるだけでいいのかな?」
エレナ先生の手が、ぴたっと止まりました。 彼女は少し困ったように眉を下げて、僕を見つめました。
「……それは、私たち騎士団や、国中の魔導師が命をかけて防ぐわ。あなたが手を出すまでもないように、みんなで頑張るのよ」
「でもさ。僕なら、指先をちょっと動かすだけで終わるかもしれないよ? みんなが怪我をする前に、僕が『消去』したほうが効率がいいんじゃないかな」
「消去……」
エレナ先生の顔が、わずかに引きつりました。 僕にとっては、汚れた部屋を掃除機で吸い取るのと同じくらいの「効率化」の提案なのですが。 先生にとっては、それが一番恐ろしい言葉に聞こえたみたいです。
「アルスちゃん、いい? あなたの魔法は、相手を倒すためのものじゃなくて、存在そのものを『無』に書き換えてしまうものなの。それは、この世界のルールを無視した力よ」
「ルール……。でも、物理の法則もルールだよね? 僕はそれに従ってるだけだよ」
「その解釈が怖いのよ……」
先生は深いため息をつきました。
屋敷に帰ると、シルフィちゃんが門の前で待っていました。 彼女は僕の顔を見るなり、バサッと扇子を広げました。
「聞いたわよ、アルス! 貴方、王様と『一生遊んで暮らす』なんて契約を結んだんですってね! 本当に、とんでもない怠け者家来だわ!」
「あ、シルフィちゃん。お城まで噂が届くのが早いね。うん、王様に『何もしないで』って頼まれちゃった」
「ふん、情けないわね。私が将来、立派な魔導師になって国を支えている間、貴方はお部屋で算数ばかりしているつもり?」
シルフィちゃんは、わざと意地悪そうな顔をして言いました。 でも、その目は少しだけ不安そうに見えました。 僕が遠いところへ行ってしまうんじゃないか、と心配してくれているのかもしれません。
「シルフィちゃん。もし、国にすごく強い魔物とかが出てきて、君がピンチになったら教えてね」
「な、なによ急に。私を誰だと思っているの? 私がやっつけるに決まっているじゃない!」
「ううん、契約は守らなきゃいけないけど。……『掃除』のついでなら、王様も怒らないと思うんだ」
僕は中庭の隅に落ちていた石ころを見つめました。 もしこれが「国を滅ぼす魔王」だとしたら、僕はどうするだろう。
僕は、石ころにかかっている「重力」だけを、ほんの一瞬だけ、逆方向に設定し直しました。 石ころは音もなく浮かび上がり、そのまま空の彼方、宇宙の果てまで、猛烈なスピードで飛んでいきました。
「……。……。……今、石が消えたわよね?」
シルフィちゃんが、扇子を持ったまま固まりました。
「うん。ちょっと遠くに移動してもらっただけだよ。……これなら、誰の邪魔にもならないでしょ?」
「アルスちゃん……。今の、座標変換を魔法でやったのね……」
馬車から降りてきたエレナ先生が、頭を押さえてよろめきました。
神級魔法を使える人が数人しかいないこの世界で。 僕は「何もしない」という約束を守りつつ。 いざとなったら「ポイ捨て」の感覚で世界を救ってしまう未来を、ぼんやりと考えていたのでした。




