第一話:意識の覚醒と、おかしな魔法理論
「……あ、れ?」
それが、俺の二度目の人生の第一声でした。
自分の手を見ると、もみじのような小さくて丸い手。 体も重く、視界も低い。 ついさっきまで物理学の研究室で、新型リアクターの計算をしていたはずなのに。
「まあ! アルス様、今お目覚めになられましたか?」
部屋に飛び込んできたのは、メイド服を着た若い女性でした。 彼女は俺を抱き上げると、頬ずりせんばかりの勢いで喜びます。
「……ここ、どこ?」
「まあまあ、まだ寝ぼけていらっしゃるのですね。ここはローベント侯爵家、貴方様のお屋敷ですよ」
侯爵家。 その言葉を聞いて、俺はようやく理解しました。 どうやら俺は、異世界というやつに転生してしまったらしい。
数日後、俺は教育係だという老人、バラムさんと対面していました。
「いいですか、アルス様。今日から魔法の基礎を教えます。魔法とは神から授かりし奇跡。そして、その位階は絶対なのです」
バラムさんは、古びた本を広げながら得意げに言いました。
「ランク、ですか?」
「左様です。下級、中級、上級、王級……そして伝説の神級。わが国で中級を扱える者はエリート。上級ともなれば国家の至宝です。神級など、世界に数人しかおりませぬ」
俺はバラムさんが広げた本をのぞき込みました。 そこには、魔法を発動させるための「術式」とやらが書かれていました。
「……ねえ、バラムさん。この火を出す魔法、どうしてこんなに無駄な線が多いの?」
「む、無駄とはなんですかな! これは先人たちが千年もかけて磨き上げた、下級魔法『火球』の完成形ですよ」
バラムさんはむっとしたように髭を震わせました。
「でも、これだとエネルギーの半分以上が熱じゃなくて光として逃げちゃうよ。あと、魔力の流れが渦を巻いてるから、摩擦で効率が落ちてる」
「ま、まさつ……? アルス様、何をわけのわからないことを。いいですか、魔法はイメージと詠唱。理屈をこねるものではありません」
バラムさんは「見ていなさい」と言うと、杖を構えました。
「大気なるマナよ、我が呼びかけに応じ、赤き炎となれ……『火球』!」
バラムさんが十秒ほどかけて呪文を唱えると、彼の先にソフトボールくらいの火の玉が浮かびました。 それはゆっくりと飛び、庭の木製の的に当たって、ボフッ、と小さな音を立てて燃え上がりました。
「いかがですか! これが完璧な下級魔法です!」
ドヤ顔のバラムさんを見て、俺は正直、言葉を失いました。
(……いや、今の魔力量なら、もっとすごいことができるだろ)
俺の目には、バラムさんが放った魔力が、設計ミスのボイラーみたいにスカスカに見えたのです。 もっと分子を圧縮して、燃焼サイクルを最適化すれば……。
「バラムさん、僕もやってみていい?」
「ほっほっほ、いいですよ。まずは魔力を感じるところから……」
俺はバラムさんの言葉を待たずに、指先を的に向けました。
イメージするのは「火の玉」じゃない。 「極小サイズの核融合反応」に近い、超高密度の熱源だ。 魔力を無理やり一点に押し固め、酸素を一気に供給する。
(詠唱なんていらない。数式を頭の中で完成させればいいだけだ)
「……火球」
俺が小さくつぶやいた瞬間。
キィィィィィィィィィィィン!
空気が悲鳴を上げるような高い音が鳴り響きました。 指先に出現したのは、バラムさんの赤色の火とは違う、直視できないほどまぶしい「青白い光の粒」でした。
「な、なんですかな、その光は……!?」
バラムさんが目を見開いたのと同時。 その光の粒が、音速を超えて放たれました。
ズドォォォォォォォォォォン!
中庭に、火山の噴火のような爆音が響き渡りました。
「ひぎゃあああああ!?」
バラムさんが腰を抜かしてひっくり返りました。 まぶしさが収まったあと、そこにあったのは。
的どころか、中庭の石壁も、その背後にある林もすべて消滅し、扇状に真っ黒に焦げたクレーターでした。 地面は真っ赤に溶け、ドロドロのマグマみたいになっています。
「…………え?」
俺は自分の指先を見て、固まりました。 今のは、俺の体の中にある魔力の、一万分の一も使っていません。 水道の蛇口をほんの少しひねっただけ、そんな感覚だったのに。
「アルス様……いま、今のは……」
「えっと……火球、だけど?」
「そんなバカな! 下級魔法で森が消えるはずがない! 今のはどう見ても上級……いえ、王級魔法の威力ですぞ!?」
バラムさんは泡を吹きながら叫びました。
「いや、でもバラムさん。魔力の量は下級の分しか使ってないよ? ただ、ちょっと効率を直しただけで……」
「効率!? 魔法に効率などという概念はありません! 貴方は、貴方は何てことを……!」
この時、俺は確信しました。 この世界の魔法理論は、原始人が火を起こそうと頑張っているレベルなんだ、と。
物理学者の知識を持って「最適化」してしまった俺の魔法は。 この世界では「神の領域」に片足を突っ込んでしまっていたようです。
「……あ、これ、父さんに怒られるやつかな」
溶けた地面を見つめながら、俺は冷や汗を流しました。




