表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

古本屋の老店主

 僕の自宅であるアパートの近くに、一軒の古本屋がある。僕の趣味のひとつに読書があるために、その古本屋にもよく足を運んでいる。小さくて、狭い店構えだが、結構、珍しい掘り出し物もあったりして、楽しませてくれる。

 そして、店の奥にちんまりと座っている店主の老人もまた、面白い人物なのである。あの、古本屋にある独特の古本の匂いはもちろんのこと、この店主もまた独特なのである。穏和である。とても地味な印象で、物静かな老人なのだ。そして、いつもニコニコとして微笑んでいる。何で、あんなに笑っていられるのか、というくらい笑顔である。その老人が奥の席に小さくなって座っていると、実に絵になる光景なのだ。そして、彼は、どんな客にも、嫌な顔ひとつせずに、優しく応対する。見ていて爽やかである。そんな老店主のいる古本屋での、ある日の事であった。

 僕は、その日、趣味のレザークラフトに関する解説書はないものかと、あちこちの本棚に顔を近づけて、捜していた。珍しく、その日は、先客がいた。それは、若い女性であった。店先で、雑誌の山を物色している様子だ。歳は、25、6歳であろうか?派手な身なりで、まるで水商売でもやっているのかという出で立ちである。髪は、ロングの茶髪をカールさせて、ハート型の紅いピアスをしている。胸元を大きく開いて、ほとんど乳房が露出しそうな勢いの真っ赤なタンクトップと黒のミニスカートに、黒のミニタイツを、履いている。そんな好色な衣装で、パラパラと適当に雑誌のページを繰って、写真を眺めているようだ。その様子を、奥の店主は、相変わらず、愛想のいい様子で眺めるともなく座っていた。僕は、この女性をX嬢と呼ぶことにした。僕は、目当ての本が見つからずに、多少、苛立ってきていた。それで、大半の本の背表紙に目を通した所で、自然と関心は、奥の店主とX嬢に移っていた。そして、である。僕が何気なく見て見ぬふりをしていると、ある時、突然に、そのX嬢が、手にした小型の雑誌を、素早く片腕に下げたバッグの中に、黙って隠してしまったのだ。僕は驚いた。所謂、万引き行為である。僕は、反射的に、奥の老主人を見た。しかし、彼は、X嬢の行為に気づかなかったのだろうか、何一つ言わずに、黙って座り、プカプカと煙管を吸っている様子だ。僕は、店主の反応に、また驚いてしまった。そこで、僕は、いっそのこと、X嬢のことを店主に告げ口しようかとも思ったが、元来、気の弱い僕にそんな真似は出来なかった。そうこうしているうちに、そのX嬢は、さっさと雑誌を盗んだまま、店から姿を消してしまった。店にひとり、残された僕は、何だか居辛くなって、早々に適当な本を選んで、店の奥に行った。そして、選んだ本を主人に差し出すと、相変わらずに、ニコニコと愛想よく、笑って、僕の本を受け取り、丁寧な手つきで、紙のカバーをつけて、

「どうも、どうも、お買い上げありがとうございます」

と言って、僕から、代金を受け取り、お釣りを渡すと、丁重に本を差し出した。僕は本を受け取りながら、気が抜けてしまった。まったく、あのX嬢のことを気づいていなかったらしい。あれだけ、堂々と盗んでいるにも関わらずだ。僕には不思議でならなかったが、その事は何も言えずに、やがて、店をあとにした。

 それから、数日後に、僕は、また、その店に来た。そして、いつものように、僕のお気に入りで、珍しい本を求めて、本棚を彷徨った。そうしているうちに、僕は、主人のことが気になって、チラリと彼を覗き見た。すると、いつものように、煙管をプカリプカリと吹かしながら、呑気な様子で、ニコニコして、奥の席に陣取っている。変わんないなあ、と僕は、改めて感じた。そうしていると、驚いたことに、この店先に、例のX嬢がまた姿を見せた。今度は、紫色のハーフトップに、チェック柄のプリーツスカートというスタイルで、肩から、大きなショルダーバッグを下げている。彼女は、店に入り、文庫本の棚を眺めている。僕は、正直、彼女が気になった。あんな真似をした女性だ。また、何をするか知れたものじゃない。それで、僕は、本棚を見ている振りをして、こっそりと彼女を観察していた。すると、どうだろう。彼女は、一冊の文庫本を抜き出して、パラパラとページを繰り、気のない様子をしながら、肩から掛けたショルダーバッグのなかに素早く、その文庫本をいれてしまった。また、万引きだ。僕は、何度か、彼女に注意しようかと思ったが、その勇気がでない。で、僕が躊躇しているうちに、また、さっさと、X嬢は店を出ていってしまった。

僕は、ついに限界に来た。これは、黙っていられない。こんなバカな話なんてない。それで、僕は、意を決して、奥の老主人のところへ行った。主人は、僕が本も持たずに来たので、驚いたらしい。目を丸くして、僕を見ている。それで、僕は、言った。

「あの、すみません。今居た女性、文庫本を万引きしていきましたよ?」

 すると、老主人は、顔色ひとつ変えずに、

「ええ、知ってますよ。前にも、持っていったみたいですね?」

と、平然と答えるではないか。僕は、呆れて、

「あの、注意しないんですか?」

 すると、老主人は、低い声で、ぐふふと笑って、黙っている。それで、聞こえなかったのかと思い、もう一度、僕は、同じことを言った。それでも、老主人は、やはり、低く、ぐふふっと笑い声を忍ばせて、黙っている。僕には、訳が分からなかった。それで、仕方なく、僕は、奥の主人から離れて、しばらく悩んでいたが、しようがないことかと、自分に言い聞かせて、その事を僕は頭から追い出すように、お気に入りの本を見つけることに、集中した。そのうちに、本棚の高いところで、僕の探していた趣味のクラフトの本があったので、喜んで、抜き出し、中を確かめてから、値段を見た。それほど高くない。僕は、その本と財布を持って、奥に行った。すると、老主人は嬉しそうに、

「おや、お目当ての本がありましたか?これは、これは。毎度、どうも、ありがとうございます」

と、代金と引き換えに、綺麗に紙のカバーをつけて手渡してくれた。

 店からの帰り際に、僕は、再び、奥の老主人を見た。

 いつものように、煙管をプカプカと穏やかに吸い、ニコニコと愛想よく、ちんまりと座っていた。

 僕は、ちょっと首をかしげて、不思議な気持ちで、その古本屋をあとにしたのだった...............。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
老店主の真意がどういったものなのか気になります。 地味で物静かな印象と裏腹にとんでもない強者なのではないか、と想像してしまいました。 読ませていただきありがとうございました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ