act.6 戦慄 (3)
いきなり零印は、食器洗浄機からアンティークのグラスをとって僕に投げつけた。もちろん、それは絶対領域で止められる。僕の目の前で停止したグラスは、一歩さがると床に落ちて二つに割れた。
「どうして……どうして零印が? 誰に聞いたの」
「あたしが訊いてるのよ。あんたが質問するんじゃない! 言いなさい、レヴニールについてあんたが知ったこと! 全部白状なさい!」
少しずつ、追い詰められて僕はベランダに近づいていた。なぜか開けっ放しになっていて、このまま下がるとベランダに出てしまう。でも、横へ逃がれようとすると零印はその逃げ道をふさいだ。融和させる意思がないときは、互いの絶対領域が反発して押し合うので、見えない壁に阻まれて逃げることができない。
すっかり髪の崩れた零印の顔が、老婆みたいにくしゃくしゃになり、血が上って真っ赤に充血している。そしてその鳶色の両眼は瞳孔が小さく絞り込まれて、憎悪の色が宿っていた。
「あんたを育てれば、あんたがいれば、あの人はあたしを愛してくれると思ったのに――あんたなんか、ただのお荷物だったわ。そうよ、ルカだってそうよ。あんたもルカも、あたしの子じゃない。あたし知ってるのよ、あんたたちはみんなレヴニールから生まれる、死体の子どもたちなのよ!」
「違う!」
僕は思い切り絶叫していた。
「違う、僕は死体の子どもじゃない! レヴナントなんかじゃない! 僕は、僕は……」
ベランダの柵が、背中に当たった。
「――僕は、真印が生きていたときの子だ! 瑠果もそう、僕らは真印の体から生まれてきたんだ!」
僕が叫ぶと、零印はカッと眼を見開いた。僕の言ったことは、まったくの当てずっぽうだった。
「……真印の子、ですって?」
放心した顔で零印はつぶやいた。
それから、いきなり狂ったように笑い出した。
空を切り裂くような、ものすごい声。
僕は両手で耳を塞いだ。
「そう――そうなのね! 真印は次のレヴニールになるのね――」
耳を塞いでいるのに、その言葉は鮮烈な響きで、はっきりと耳に届いた。
次のレヴニール。
次のレヴニール。
次のレヴニール。
耳の奥で、その声だけがこだました。
力が抜け、僕は柵に背中をもたれた。
零印は、ベランダに出て一歩ずつ近づいてくる。
「あたし、あたしじゃ、なんでダメなの……」
空を仰いでつぶやいた零印の目尻から、光の筋が引いた。
ふと、首筋に冷たいものが当たった。
零印の手だった。
頭の芯が痺れて、うまくものを考えられない。
もしかして零印はアンチコードを持っているのかな、とだけ思った。
でも、彼女は僕をみていない。
なぜかずっと、上のほうばかり見ていた。
何をみつめているのだろう?
僕は、零印と同じように上を見あげた。
夜間はその回転をとめ、停止している巨大なソーラーパネル。
その裏側は、幾何学的に並んだ柱や梁で支えられている。
森閑とした複雑な支柱構造の梁に、何か黒い塊が、数珠繋ぎに並んでいた。
鴉だ。
パネルの裏に隠れたカラスの群れが、じっと僕らを見下ろしている。
真っ黒な喪服を着て、葬儀に並ぶ人々のように。
零印の冷たくて細い指先が、そっと、僕の首にかかった。
仰向けになった僕は、これが初めての絶対領域の融合かもしれない、と痺れた頭で考えていた。
一羽の鴉が、まっすぐ僕をみつめていることに気がついた。
どこか、悲しげな目つきの鴉。
僕に似ている。
黒い瞳、黒い髪をした子ども。 まわりの子どもたちと違う。
背中のうしろにある柵が、だんだん、移動してゆく。
ああ。
零印、僕を絞め殺すつもり?




