第30話 先生
(一)
教室から出ていったその人を、わたしとメイさんは追いかけた。
その人は、校舎の外にいた。話しかけると、彼女は面白がるように、
「あなたたち…、みんなでお揃いの格好するなんて、仲良しですね」
と、わたしたちの制服を見て言った。
「いや、これ制服ですから! えっと…えーっと…」
何て言えばいいんだ……? わたしが困っていると、メイさんが、
「ありがとうございます、アンを助けてくれて♪」
ぺこっと頭を下げる。それに対して彼女は、
「いえいえ。大したことは、ありませんよ。強いですから。わたし」
どやって顔をした。
大きな眼鏡を掛けた、黒髪の女の人。20代くらいだろうか。
年下のわたしたちにも、敬語で丁寧だなぁ……。そう感じた。
「先程の大男。あれも、”ハート業界”の人間ですよ。確か、『装壊』とか名乗っているはず。そこそこ強いと噂ですが、わたしに比べれば……ねぇ?」
『ハート業界』。そう聞いても、わたしは驚かなかった。
その『装壊』って男は、ハートコントローラーを持っていたんだから。
自信ありげな喋り方をする彼女。その心臓付近、服の中から、大きな傷跡が覗いている。
わたしはそれに気付いたが、急いで目を逸らした。
何となく、見てはならない物を、見た気がして。
「わたしは、甘高。”ハート探偵”です。まぁ、正確には『元』、ですが」
『甘高青生』。それが後に聞いた、彼女の名前だった。そして、『元・ハート探偵』。
甘高さんは、わたしに言った。
「住伏暗さん、ですね?」
わたしは、びっくりして、
「えぇ!? なんでわたしのこと!!」
なんで知ってるの!? と、つい声に出た。
メイさんがポンと、わたしの肩を叩いて、
「そうそう。アンっていうんだよ、この子!」
もう一度、甘高さんに紹介してくれる。甘高さんが続ける。
「友達から聞きました。なんでも、”ハート探偵”を目指しているそうで……。そんなあなたに、一つ忠告を…」
忠告。初対面のわたしに、一体何を言うことがあるんだろう?
眼鏡のフレームを指でつまみながら、甘高さんは言った。
「ハート探偵に、ならない方がいいです」
これが、甘高さん……後に、わたしの先生になる人との出会いだった。
(二)
甘高さんの忠告は、わたしには戸惑う物だった。
「『ハート探偵』にならない方がいいって、どうして…?」
聞き返すと、
「実際になれば分かるでしょう。出来れば、そうならないことを願いますが…」
彼女は、そう答えた。
本気か冗談か、分からない。そんな軽い口調で。
ならない方が、いい。
『ハート探偵』になったら、何か嫌なことでも知ってしまうのだろうか。
わたしは困った。困りながらも、何か話そうとするが、
「あ、でもわたしは…。『ハート探偵』ってのが、何かは分からないけど…、えっと……。前に友達を助けてくれた人が、『ハート探偵』って呼ばれてて…。それで………」
しどろもどろだ。あぁ、こんな時にコミュ症が出てる……。
一か月前のことを、思い出す。
草子さんは、わたしの代わりにメイさんを助けてくれた。
それで……、次は何て言えばいいんだ……? 悩んでるとメイさんが、
「アンは、その人みたいに強くなって! わたしたちを守りたいんです! わたしたちのこと、好きだからね♪」
って、うれしそうに話した。わたしの顔を見ながら。
「だから、ここで止めても、アンは『ハート探偵』になると思います!」
メイさんの言葉を聞いて、甘高さんはわたしを見た。そして、
「まぁ、それはあなたの自由です。あなたの未来は、わたしが指図する物ではないですから。
気にしないなら、それでいいです。ただの忠告ですから」
少し笑いながら言った。その後、
「もし本当に、友達のために強くなりたいと思うなら……。わたしが、戦い方の手解きをしますよ」
突然の話だった。
甘高さんは、わたしに手解きをすると、言ってきたんだった。
手解きって、先生みたいなこと? 急な話で、理解が追いつかない。甘高さんが続ける。
「”ハート探偵”は、友達のためなら、どんな敵も恐れずに命を投げ打つ。そんな存在です。
その心構えと……、”ハート探偵”流・殺人術を、お教えしましょう」
”ハート探偵”流・殺人術。
後にわたしが、いっぱい使うことになる戦闘術。それを甘高さんから、わたしは教わったんだった。
(三)
心路中学校から、歩いて30分ほどの場所。畑の外れにある、小さな小屋。それを指差して甘高さんは、
「ここです。わたしのアジトです」
そこが、後に何度も通うことになる、甘高さんのアジトだった。
「ここの小屋、人が住んでたのか…」
わたしが呟くとメイさんが、
「アン、ここに来たことあるの? わたし、初めて来た……」
散歩中に何度も見てた小屋だけど、誰も住んでないと思ってた。それくらい、人の気配がしなかったんだ。
「狭いですが、中へどうぞ」
「むー?」
甘高さんに勧められて、わたしたちは窓から家の中を覗いた。
ごちゃーっと、開きっぱなしの傘とか、いろんな物が散乱した部屋。
わたしもメイさんも、無言になった。なんていうか、コメントしづらい……。
メイさんが口を開いた。
「す、すごく生活感のある家ですね…。うん!」
そう言えばそうだけど、普通に散らかしてて汚い……。
「あ、ドアはないです。設計上のミスで、窓からしか入れないんです」
甘高さんが解説してくれるけど、
「なんでそんな空き巣みたいな入り方しなきゃいけないんですか…。ここでいいです」
わたしは、入るのを断った。甘高さんはいい人に見えるけど、知らん人の家に入るのは気が引けるし。
とはいえ気になる……。
もう一度、窓から中を見てみる。椅子とかハンモックとか、どの家具も二人分置かれてるのに気付いた。誰か、一緒に住んでる人がいるのだろうか。
そんなことを考えていると、家の中から、
「さ、ジュースでも召し上がってください」
甘高さんが、わたしたち用にグラスを持ってきてくれた。中にはジュースが入ってる。
しかしここで彼女は、クラッとバランスを崩してしまった。
「わっ!!」
空中に二本のグラスを投げて、転んだ甘高さんは、
「ふぬぬぬ…!」
床をゴロゴロと転がり、
「とぅっ!!」
華麗に立ち上がって、落ちてきたグラスをキャッチしてみせた。
その曲芸のような様子に思わず、
「わっ、すごく個性的な転び方…」
声を出したわたし。メイさんは、パチパチと拍手をしてる。
グラスを持った両手を広げて、ポーズを決めてる彼女。ジュースは全くこぼれてない。
すごい、絶対こぼす流れだと思ったのに……。
「すみません。この眼鏡、レンズがわたしの目に合ってなくて…。よく転んじゃうんです、今みたいに」
そう説明しながら、甘高さんはわたしたちにジュースをくれた。
「すっごくお得ですね!!」
「どこが…?」
変なことを言うメイさんを不思議に思いながら、ジュースを飲む。
レンズの合ってない眼鏡なんて、どうして掛けてるんだろう……。
気になったけど、この時のわたしは、その理由を聞かなかった。
そのジュースが実は、理科室の味がするお酒だったことは、秘密の話だ。
言われてすぐに返したとはいえ、怒られそうだから。
(四)
修行場所として案内されたのは、崖の下の浜辺だった。
見渡すと、大きな岩がいっぱいある場所だ。
「ではまずは、基礎的なパワートレーニングから行きましょうか」
甘高さんが教えてくれるという、『ハート探偵』流・殺人術。
それを身に着ければ、『そこいらの雑魚なら一ひねり』とのことだった。そして、『装壊とかにも勝てるかも』とも。
よく分からないけど、そんなに強くなれる戦闘術なら……。そう考えてわたしは、彼女の手解きを受けることにしたんだ。
直径二メートルはあろうか。そんな大岩を甘高先生は、
「よっ」
と左足で、高く蹴り上げた。その様子にわたしたちは、
「えっ……!!」
と驚いた。片足で、あんな軽々と……。そして、
「今からあなたには、これをやってもらいます」
落ちてきた岩を甘高さんは、右手の小指だけでキャッチした。一本の指で安々と、少しもブレずに岩を支えてる。
メイさんが感動している。
「す…、すごいすごい!! あんな大きな岩、片手で…!」
確かに、すごいパワーだ……。こんなこと、本当にできるのか……? そう考えていると、いきなり、
「じゃ、お願いします」
甘高さんは、その岩をわたしに投げつけてきた。
あまりにも唐突すぎて、
「え」
と、間抜けな声しか出ない。
見上げる岩は、どんどんこっちに迫ってくる。そしてついには、わたしの視界を覆いつくしてしまった。
「あ——…」
これは、ダメだぁ。
ドスゥン!!
岩が地面に叩きつけられた。わたしは、ぺしゃんこになってしまった。
「・・・・・・・・・アン、大丈夫…?」
メイさんも心配している。
二人に岩をどけてもらい、外に出る。
「あれ。あんた、急に背ぇ伸びた…?」
「アンが縮んだんだよ! 大丈夫…生きてる!?」
メイさんによると、わたしの体が潰されて、少し縮んだままになってるらしい。
いつもよりメイさんが背ぇ高く見えると思ったら、そういうことか…。
だけど、メイさんが心配してるほど、わたしにダメージはなかった。
「なんか…全く痛くない。昔から、打たれても効かない体質なんだけど、そのせいかしら……」
痛くないって言っても、メイさんは全然信じてくれない。
重い物に潰されたのは、初めて。だけど、これも平気だなんて……。不思議なものだな、わたしの体は。
甘高先生も、びっくりしてるみたいだった。
「普通の人間なら、致命傷は免れません」
わたしとメイさんにそう話した後、
「あなたも、あの人たちと同じ体質を……? …いえ。何でもありません」
彼女は、何かを言いかけたようだった。
しかし、言わなかった。一体、何の話を……。
その後、休む間もなく、次の修行は始まるんだった。