第1話 ”ハート探偵”
2020年10月27日(火)
わたしのクラスメイト、アラタは切り出した。
「もしよ! 人の心を操れたら、どうするよ!?」
そんな鼻息を荒くして聞くことだろうか。もう一人の昼飯仲間であるネンも、
「いや、急に何だお前は…」
と困惑している。
「漫画とかでよく出てくるだろ。もし実際にそういうのができたら、何に使うよ」
聞かれた側の彼も、質問の意図を理解したらしい。男二人は、一緒に盛り上がりはじめる。
「何に使うか、ねぇ。まぁオレは……」
「オレはね!」
熱き議論を片耳に、弁当を食うわたし。独り言のつもりで、
「そんなありもしない話で騒ぐなんて、くだらないわ」
と呟いてみた。そこから一秒も待たずして、わたしの左腕はネンによってぐるぐるにねじられるのだった。
「いだだだだだ!! やめてよ! ちぎれるわよ!」
ネンはキレると怖いんだよね。余計なこと言ったらすぐこうされる。その割にこういう時、彼は結構楽しそうだったりする。
「やめたれ!」
アラタの突っ込みによって、わたしの左手は解放された。
ここは心路中学校の二年虹組の教室。そのスミっこ、窓側一番後ろのわたしの席。教室は今日もにぎやかだ。というか、やかましい。
飯を平らげ次第アラタとネンはどっかに出かけたので、一人になったわたしは机に突っ伏して昼寝を始める。
スミっこで突っ伏してて、おまけに暗い性格。住伏暗って名前は、わたしにぴったりである。
何分か寝てたら、隣の席のメイさんが話しかけてきた。
「なー、アン♪」
わたしそんなに面白い顔してないのに、この人は笑ってて楽しそうだ。
「なぁに? 眠たいんだけど、わたし」
「アン、この宿題やった?」
メイさんが見せてきたのは、一枚のプリント。『わたしの夢』と活字で印刷された左に、間隔を空けて縦線が何本も。
あなたの夢を書きなさいって宿題。
「やってないけど。提出今日だったかしら」
「ううん。提出は来週。けど、アンの夢って何だろうって気になってたんだよね」
「そんなことで起こさないでよ」
彼女と一緒に話してたハヤトが、
「アンは頭いいから、いい夢持ってそうだなぁ~」
と勝手な妄想を広げてる。夢なんかないわよ、わたし。
「まぁそんな興味ないけどさ」
「こら!」
悪態つくカズヤにメイさんに怒ってる。
「この悪ガキ」
わたしはため息をついた。
「お前は何て書いた?」
「え、わたし? わたしは——」
その悪ガキがメイさんに聞いてる。やんちゃボウズ二人の話し相手して、明るい人は大変なことで…。
確かこの宿題、クラスみんなの前で発表するんだよな。
その日の帰り道、メイさんに会った。
部活の用事で遅くなって外は暗くなっちゃったんだが、正門に向かってた所でばったり。
「あっ、アン」
「あぁ、あんたね」
わたしに気付いて声をかけてくれたのはいいけど、
「ね、わたしの顔ってそんな面白いのかな」
「え、どうして?」
「だってなんか、変な物見るような目してるわよ」
「そんな目ぇしてないよ!?」
やっぱり、いっつも笑ってるなこの人。楽しいのかしら、わたしなんかと話してるだけで。
しかし話が途切れると、気まずい。何も言わないんなら先に行けよ。
正門を出た所で、
「じゃあね、アン」
と。この人は笑顔を作るのが上手いのね。
「あぁ、また明日ね」
メイさんと別れて、わたしは帰ろうとした。だがそこで、
「そこのキミ」
後ろで誰かの声がした。振り返ると、メイさんが知らない男に絡まれていた。
「俺の好みのタイプの人間だ…」
身長二メートルくらいありそうな、大男だった。目つきも悪くて怖い雰囲気をしてる。
わたしはメイさんの所に駆け寄る。
「大丈夫?」
「う、うん」
「逃げようか」
彼女の手を引っ張ろうとしたら、
「待て!」
その男に腕を掴んで止められた。なんだ、このおっさん。完全に悪人の面してるし、怪しすぎるだろ。
強い力で握られてるせいで、腕を振り払えない。
「俺は心王。この子のことが気に入った」
そいつはわたしの後ろのメイさんに視線を移して、
「キミは今日から、俺のものになってもらう」
気味悪く笑ってそう言った。彼女が不安そうに、え? と声を洩らす。誘拐犯じゃねぇか!!
「どけ。男。お前に用はねぇよ」
「嫌だ。帰って。大きい声出すよ」
わたしが断ると、そいつは不機嫌な表情になった。
「そうか。なら……」
と少し考えるような素振りをした後、
「それができない心にしてやろう」
と、わたしを睨んだ。
次の瞬間、わたしはその場に崩れ落ちた。
どうしてだろう。急にその男が怖くなって、立っていられなくなった。何だかすごい殺気を感じたんだ。威圧されたようだった。
「アン? どうしたの? …大丈夫?」
メイさんが心配している。
「キミも逃がさんぞ、娘よ」
そいつは服の中から何かを取り出した。それはスマホのような物だった。先端をメイさんに向けた後、何か文章を打ち込むように指でトントンと叩いた。
すると突然、逃げようとしていたはずのメイさんが奴のそばに歩み寄った。何も言わずに、自分から。奴の右手が肩を捕らえるが、彼女は無表情をしている。
どうして? わたしは驚いた。それを見透かしたようにそいつが、
「なぜこの子が俺の元に来たのか。気になっているようだな。説明してやる」
両手を広げて、高らかに叫んだ。
「ハートコントローラ―――—!!」
よぉく見ろと、わたしの目の前にそれを持った手を近付けて、
「ハートコントローラーは相手の心臓にセンサーを当てることで、その人の心を操れる道具だ。この子の心を、俺について来るようにプログラムした」
ハートコントローラー。それはスマホのような見た目をした、心を操る道具だった……。チャットのような画面の真ん中に吹き出しで、『心王についていく』とある。
「自分からついて来たものを、どうして誘拐と言える? ハートコントローラーは世間にその存在が知られていない、裏社会の道具だ。つまり法に裁かれる心配のない、完全犯罪ツールってわけさ……」
どうやらメイさんは、このハートコントローラーという物で操られてるらしかった。信じられないけど、確かに彼女は今洗脳でもされてるように見える。何も言わないし、この男に従ってる。
そいつが続ける。
「このハートコントローラーを使って、俺は人を操り、奴隷を増やし、力を増し! 俺の望む世界を作る………。この子には、俺の作った世界の見届け人になってもらおう」
「……」
メイさん、何か言ってよ。黙った彼女の肩に手を置いて、奴が歩きはじめた。わたしは恐怖で体が動かないまま。
「じゃあな。男」
わたしの前を通り過ぎて、そいつはメイさんを連れていった。
せめて大声が出せたら、助けが呼べるのに!
なんでこんな時に何もできないんだよ。弱虫。馬鹿野郎。動けよ!! こうやってびびってる間にも、メイさんは怖い思いしてるのに。
だけどそこで、
「アン」
メイさんの呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、彼女は笑っていた。泣いてるのに。いつもの明るい話し方で。
「わたしなら、平気だよ。なんとかするから…。この人に連れてかれても、わたしはちゃんと笑ってられるから……! だから大丈夫だよ…!」
わたしは分からなかった。この人、なんで笑ってるんだろう。泣いてるのに。怖いのに。なんでバレバレの嘘なんか…。
「馬鹿な……。ハートコントローラーに心を操られてる人間が、他人を気遣えるわけが………」
誘拐犯も驚いていた。その時だった。
風が吹いてきた。ぼーっとしてたら吹き飛ばされそうな、嵐のような風が。
「…!! 何……?」
「こ、この風はまさか……、うわっ!!」
メイさんを抑えてたその男が、風に押されて倒れた。動揺した様子で、わたしの後ろを見ている。後ろに誰か、いるの……?
振り返ったら、そこには一人の女の人が立っていた。
「ガキ相手に物かましてんじゃねぇよ。マネキン野郎」
誰だろう。その人を見て、奴は言った。
「風使いのペテン師……。”ハート探偵”、草子愛亜だな」
ハート、探偵…? 聞き慣れない言葉が、妙に耳に残った。
「なぜお前がこいつらを助けようとする! 理由などないはずだぞ!!」
奴に対してその人は、
「文句あるなら相手になるが」
と脅した。すると、
「……ふん。まだお前と決着を付ける時ではないわ」
そいつは立ち上がって、わたしは指差した。
「そこのお前、名をアンって言ったな」
わたしの名前を呼んで面白がるように、
「今日の所は難を逃れたようだな。だが俺の計画が実った時、それでもお前たちは人間味を保てるかな?
止めたいようなら、”ハート業界”に来な」
不意に、視界が真っ白になった。これって、煙…。どこからか、煙が立ち込めてきた。前が、見えない……。
目の前が見えるようになった時、あの男はどこかに消えていた。
「消えた……」
自分を落ち着かせたくて、声に出して呟いた。あの男は、逃げたんだろうか。その場に残ってるのは、メイさんとあの女の人だけだった。
「アン!」
メイさんが駆け寄ってきて、
「ごめん、わたし……」
彼女、もう操られてないみたいだ。よかった。何言おうとしてるか分かったから、
「あぁ、大丈夫だよ。それよりあんた、」
あの人にお礼言ってきなさい。そう言おうとした所に、
「平気?」
その人がわたしたちにの前に立って聞いてきた。
「あっ、はい! ありがとうございます。助けてくれて……」
「いやいや気にしなさんな。あんなおっさんに目ぇ付けられるたぁ、災難だったな二人とも」
メイさんと話してるのを見るに、大学生くらいの年だろうか。若い女の人だった。髪の毛を金色のメッシュに染めてて、ギラギラしている。服の中から大きな傷跡が伸びているのに気付いたけど、見ちゃいけないものなのかな。知らないふりをしておく。
「まぁお前の強がりは胸に来たよ。あのおっさんもびびってたし、やるじゃないか。桜あたまちゃん」
その人がメイさんの頭をぽんぽんとなでて褒める。桜あたまっていうのは多分、桜の花びらみたいな髪型をしてるメイさんのこと。彼女がびっくりしながら、強がり…? って聞き返してる。
わたしはその女の人に聞いた。
「あの、”ハート業界”って何ですか」
さっきあの心王って男が去り際にわたしに言っていた。”ハート業界”に来いって。わたしの質問にその人は、
「ハートコントローラーってのは分かるかい」
と聞き返してきた。
「あの、さっきの……」
「そっ。まぁ何つーか、」
考えるように両手の爪でバリバリとほっぺたをかいた後、
「この桜あたまちゃんがされてたような、ああいう事ができちゃう道具。人の心を操って、服従させちゃうの。そのハートコントローラーを使って色々やばいことが行われてる。それが”ハート業界”。って感じかな」
「じゃあ、”ハート探偵”ってのは……」
わたしが聞くと、
「あぁ、わたしのこと」
思ってもなかった答えで、返事に困ったわたし。話が続かなくなってその人も「?」って顔してる。そしたらメイさんが、
「あっ、そういうことじゃなくて。アンは”ハート探偵”って何? って聞いてるんだと思います……!」
代わりに聞き直してくれる。やっぱりこの人、コミュ力高いんだ。
あーそれなら、とその人も納得して、
「わたしみたいなのが、業界には何人かいるよってこと。あのおっさんみたいな質の悪い奴もね」
あ、あとペテン師なのはあのおっさんもだから。わたし限定じゃないから。と、独り言のように付け加える。その後、
「まぁハート寝癖くん、あいつに喧嘩売られてたしなー。もし”ハート業界”に興味あるんなら、」
と何か書かれた紙きれを渡してきた。これって、誰かの電話番号? 『0810ー810ー810』。
「これ、”ハート業界”のホストの番号だから。これに電話したら業界入れるよ。結構やばい所だから、ちゃんと鍛えてから入んな」
業界のホストって何だろう。不思議に思いながらも、受け取ったメモを鞄の中のクリアファイルに入れる。そうしてる間にその人は、
「じゃ、わたしもう行くんで」
「え、もう行っちゃうの!? …ですか?」
メイさんがその人のことを寂しそうに引き止めてる。もう仲良くなったのか。その人も少し笑って、
「言ったろ? お前助けたのはあの強がりが好きだと思ったからだ。生涯かけて守り抜くのは、わたしの仕事じゃあねぇよ。
じゃあな。もう捕まるんじゃねぇぞ」
そしてわたしに言った。
「寝癖くんも。がんばれよ」
「あっ……、はい!」
急に自分に話しかけられたから、あわてて返事する。業界のホストって何? それを聞こうとしたけど、次の瞬間。
びゅうっと強い風が吹いてきた。また………。思わず目を閉じて、開いたらもうその人はいなくなってた。
「あれ……?」
この一瞬でどこかに消えてしまった。周りを見渡しても、もう姿は見えなかった。
「いない……」
メイさんもわたしと同じように驚いてた。
なんか、嵐みたいな人だったな。
「アン。わたし、なんか強がりしたっけ…?」
メイさんが聞いてきたけど、わたしは気付かないふりした。気まずくて、顔合わせたくなかったから。
わたし、何もできてないな。この人が怖い目に遭ってたのに、びびってばっかで。
このままじゃ………、駄目だ…。どうしようか、わたしは悩んだ。
11月4日(水)
あの日から一週間経った。あれ以来特に変わったことは起きてない。前までと同じ日々が続いている。だけどあの人からもらった電話番号の紙は、ちゃんと持ってる。夢じゃない。
中学校の発表の時間、わたしはクラスみんなの前に立った。プリントに書いた内容を読み上げる。
「この前友達が困ってる時に、わたしは怖くて助けることができませんでした。それはすごく嫌なことでした。もうあんな気持ちにはなりたくないです。
だから……。友達が怖い思いしてる時に、ちゃんと助けれる奴にわたしはなります」
メイさんはそんなわたしを見て笑ってた。わたしの話、何かおかしかっただろうか。
その後の昼休み、弁当持ってわたしの席に来たアラタに肩を叩かれた。
「ようがんばった!」
って言ってばしばしと。
「叩くな。暑苦しいな…」
わたしは彼の手を払った。
メイさんを助けてくれたあの人みたいに強くなったら、きっと悪い奴らから友達のこと守れる。だから………。
「”ハート探偵”になるわ。あんたが困ってる時、助けれるようにさ」
わたしはメイさんに言った。”ハート探偵”っていうのが何なのかは、分からないけど。ありがとうって言われて彼女の顔を見たら、すっごく優しい笑顔をしてた。
「待ってるから。アンが助けに来るの」
やっぱりこの人優しい。
「うん」
ダメだ、声掠れないで。涙出ないで。わたしは泣かない。怖いけど泣かない。
「なるわ」
”ハート探偵”に。友達のこと守れるくらい強く。わたしは絶対なるわ。
あんたが泣いてたのに、助けれなくてごめんね。そう思っていたけど、わたしはずっと言えないままだった。
次回は11月10日(日)更新予定です。