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今日は愛人のところ? じゃあ夕飯いらないね  作者: 谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】受賞
溺愛編(妻視点メイン)

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溺愛⑥

「映画?」

「ああ。気晴らしにどうだ? 明里の好きな監督の新作をやってるだろう」


 霧崎からの誘いに、明里は二つ返事で頷いた。こうして自分の好みを覚えていてくれることがとても嬉しい。それは普通のことなのだと霧崎に言われて、いかに自分が忠の洗脳に染まっていたのかを思い知る。


 普段よりおしゃれをして、霧崎と二人で街を歩く。手を繋ぐことすらしないが、隣にいるだけで明里は十分に幸せを感じていた。


「あのね、今回の撮影は――」


 明里が嬉々として映画の話をしていた時、急に霧崎の雰囲気が張り詰めた。

 一歩前に出て明里を庇うように動いた霧崎にどうしたのだろうと思っていると、ふらふらとこちらに向かってくる一人の男がいた。


 ――忠。


 さすがに夫を見間違えたりはしない。幾分かやつれているし、目はぎらぎらと怪しく光っているが、あれは忠だ。家から離れた場所なのに、何故こんなところにいるのか。

 明里は怯えて、霧崎の背に隠れるように身を引いた。


「なんだ。お前、人に不倫だのなんだのと言っておきながら、自分だって男といんじゃん。とんだクソビッチだな」


 言い返そうと口を開きかけた明里を、霧崎が制する。


「会話する必要はない」

「ってかそいつ、あれじゃん。家に来た弁護士じゃん。あー、そっかそっか。お前らグルか。これだから女はさぁ」


 嘲るような忠の言葉に、不快感から顔が歪む。

 これは、自分は微塵も悪くないと思っている。反省どころか、明里を逆恨みしているようだ。


「おんなじことしてんのに、俺ばっか、離婚とか、慰謝料とか、不公平じゃん? だからさぁ……お前もちょっとは、痛い目見ろよ」


 明里に向かって真っ直ぐ走ってきた忠の手元が、キラリと光った。

 それが刃物だとわかった明里は、全身の血の気が引いた。しかし、足は動かない。

 恐怖に立ち竦んでいると、迫ってきた忠の体が、宙を舞った。


「いってぇ!! 放せ、放せよぉ!!」


 わあわあと喚く忠の声にはっと正気を取り戻すと、霧崎が忠を取り押さえているところだった。


「つくづくクズだな、お前は。だがちょうどいい」


 霧崎は膝で忠を押さえつけたまま、離婚届を取り出した。


「書け」

「っはぁ!? この状況で脅迫とか、ふざけんな」

「この状況だからだ。片や刃物を持って襲いかかってきた暴漢。片や通りすがりの一般人。肩の一つくらい砕いても……正当防衛で通るだろうな」


 霧崎が忠の腕を捻りあげると、忠が悲鳴を上げた。温度のない瞳に、本気を感じ取ったのだろう。忠は慌てて離婚届に記入をした。


「か、書いた、書いたよ! これでいいんだろ! 放せよ!」

「いいぞ。警察も来たようだしな」


 通行人が通報していたようで、制服を着た警官が走ってくるのが見えた。彼らに忠を引き渡すと、警官の一人が霧崎に敬礼をした。


「霧崎さん! お久しぶりです!」

「敬礼はやめろ」

「はっ、すみません。ついくせで」


 苦笑した警官は、霧崎よりいくらか若かった。弁護士だから関わりがあるのだろうか、と首を傾げながら、明里はそれを見ていた。


「お休みのところ申し訳ありませんが、事情聴取にお時間いただいても構いませんでしょうか」

「ああ」

「そちらの彼女さんも」

「えっ? あ、はい! もちろん」


 ここで彼女ではない、と否定するのも変な気がして、明里はとりあえず肯定を返した。

 警官が離れてから、そっと霧崎に話しかける。


「庇ってくれてありがとう。危ない目に遭わせてしまって、ごめんなさい」

「明里が謝ることじゃない。怪我がなくて良かった」

「それにしても、凄かったわね。武道か何かやってたの?」

「ああ……まぁ、元警察官なんだ。俺は」


 ばつが悪そうに頭をかいた霧崎に、明里は目を丸くした。


「警察官!?」

「さっきの奴も、その頃の知り合いで」

「そう……なの……」


 いくら弁護士だといっても、企業弁護士である霧崎が刑事事件に多数関わっているとも思えず、不思議に感じていた。まさかそういうことだとは。


「離婚届、無理やり書かせちゃって大丈夫だったの?」

「むしろあのタイミングしかない。拘置所に入ってからじゃ、まず書かせるのが難しくなる。このままだと明里が犯罪者の妻になるしな。事情聴取が終わったら、そのまま離婚届を出しに行こう」

「……ありがとう」


 そこまで考えて、あの状況で行動に移してくれたのか。いくら元警察官とはいえ、丸腰で刃物を持った男など、何をするかわからないのに。


「しかしあっさり脅しに屈する小物で助かった」

「え?」

「元警察官、だからな。本当に肩を砕いたら正当防衛にはならない」


 明里はぽかんと口を開けた。つまり、あれははったりだったのだ。意外に大胆なことをする。

 新たな一面が見られたと、明里はこっそり微笑むのだった。

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