06
そんなことを思い出したのは、次の朝早くに我が家をファブレス商会の従業員の一人が飛び込んできたからだ。
その従業員、ずいぶん慌てた様子で、我が家に駆け込んできた。店からここまでずっと駆けどおしだったようで、息も絶え絶えの様子。
「た、大変です。番頭さん、大変です!」
「どうした? こんなに朝早くから、そんなに慌てて。まあ、まずは水を一杯飲んで息を落ち着けなさい」
「そ、そんな場合じゃないんです! 旦那様が、旦那様が!」
「ん? 旦那様がどうした? なにかあったのか?」
「し、死んでおしまいになられました!」
「…… なんだって?」
「殺されていたのです!」
「……!?」
その駆け込んできた従業員の話によると、今朝、店の裏手を流れる運河の下流で死体が浮いているのを通りがかった船が引き揚げたという。
さっそく近くの衛士詰め所に届けられ、検死されることになった。
その死体は、溺死ではなく、心臓を鋭い刃物でひと突きにされたものだった。凶器の刃物はなかった。
さっそく殺人事件として捜査がはじめられた。
だが、検死を担当していた衛士長サムにはその被害者の顔に見覚えがあった。良くも悪くもミ・ラーイでは有名人だったのだから当然だ。
念のため、所持品を調べると、どれも一級品のモノばかり、それらに印されている紋章はミ・ラーイを代表する商会のもの。間違いなく、その遺体はファブレス商会会長のリチャード・ファブレスその人だった。
大慌てで各所に連絡が飛び、先ほど本店にリチャードが死んだという連絡が届いたという。
「とるものもとりあえず、番頭さんにお知らせしなきゃと思いまして」
「そうか、ありがとう。そうか……」
だれが旦那様を……心当たりがあり過ぎる。ミ・ラーイの町の半分の人たちは機会があれば、喜んで旦那様を殺しただろう。
それもあって、普段から腕の立つ護衛が旦那様の警護についていたはずなのだが。
なんてこった!?
大急ぎで、仕度を整え、私はファブレス商会本店へ向かう。
知らせを聞いた従業員の多くがすでに集まってきており、みな沈鬱な表情を浮かべて、不安そうな顔で私を出迎えた。
「みな、聞いての通りだ。今日は仕事にはならないだろうから、どうしても今日中に終わらせなければいけない業務以外は一旦作業を中断しておいてくれ。葬儀の手配だとか、いろいろ用事が入るはずなので、そのまま待機しておいてくれ。女中たちは、みなに温かいものの用意を頼む」
一通り指示を出し終え、私は事務所の三階の奥へとむかった。
奥向きの女中頭ガムバに声をかける。
「トムさまには、このことは?」
「いえ、まだお部屋でお休みになられておられますので」
「はぁ? なんて、のんきな!」
「ご存じのように、トムさまは、その、寝起きが、その、あまりよろしくは、ございませんので。女たちは怖がって近寄りたがりませんのです」
「ああ、そうだったな。でも、そうも言ってられないだろう」
「はい、それはそうなんですが……」
ガムバのその目は、そこまで言うならお前が言ってこいと告げている目だ。
「わかった。私が行ってくる」
「おねがいします」
旦那様、リチャードの息子のトム・ファブレス。その人柄を表現するなら、たった一言で間に合うだろう。
ごろつき
と。
子どものころから、周囲に散々悪さをし、その尻拭いを父であるリチャードにさせ続けてきた。それでも、リチャードにとっては、たった一人の子供。目に入れても可愛いようで、金に糸目をつけず、尻拭いをし続けたわけだ。そのせいで、さらにトムは調子に乗り、もっとひどい悪さをするように、それもリチャードが金で尻拭いし……
子どものころから周囲の大人からまともに叱られたことのない、悪ガキがそのまま大きくなった。性格も矯正されることなく、我がままし放題、我慢なんてしたこともない。そんな人間だった。
正直、トムのことを知っている者たちは、みな内心ではトムを軽蔑し、あなどっていたが、それでもウェスト王国一の商家ファブレス商会の跡取り息子。その影響力や支配力をおもんばかって、内心を隠し、だれもがこびへつらうばかりだった。ところが、トムはそのことにすら気が付いていないようだ。
まわりの人間たちが自分にペコペコ頭を下げるのは、自分に特別な才能があるからで、自分がとても優れた人間だからだと。彼らはトムにではなくファブレス商会という金看板に頭を下げているだけだという事実をまったく理解していなかった。
トムはますます頭に上った。そして、したい放題をしつづけた。
だが、さすがに、我が子が可愛いとはいえ、リチャードにだって、限度ってものがある。とくに、自分たちの商売や財産を守るためとはいえ、まったく無関係な若者をいけにえにして焼き殺してしまったのだ。あれ以来、リチャードも考えるところがあったようだ。さすがに、そこまで極悪人には徹しきれなかったのだろう。
だというのに、息子のトムの方はあの若者への追悼の想いを表すこともなく、まったく気にもとめている様子すらない。
そんなトムにリチャードのいらだちがつのり、しだいに関係が悪くなっていった。
最近では、よく二人が口喧嘩をしている場面を目撃したものだ。
そして、リチャードがこうつぶやいている場面も
『ヤツにはもう我慢ならん。いっそ勘当して、親戚の誰かを跡取りに――』