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私:ニーサン・マリナス――ファブレス商会総支配人
ウェスト王国王都にあるファブレス商会のオフィス。私ニーサン・マリナスは支配人室の革張りのチェアに腰掛け、考え事をしていた。
――さて、今、危機にあるこのファブレス商会をどう立て直すべきか。
これまでウェスト王国内外で手広く商売をしてきた。表向きのきれいな商売も、裏の汚いものも含めて。
長年、ウェスト王国のナンバーワン商会として、王国内の経済を掌握し、思うままに動かしてきたのだ。
だが、それは、いまや過去の栄光といっていいだろう。
去年発覚したミ・ラーイ市長の不正疑惑とその失脚にともなって、我々ファブレス商会も大きな損害をこうむったからだ。
かつて、宰相が港町ミ・ラーイを舞台にした不正を調査したことがあった。その時は、港近辺で怪しい動きをしている者に気づいた市長は、それが宰相の配下だとも知らずに秘密調査員を殺してしまった。だが、すぐに、そいつの正体が判明し、なんとかごまかす必要に迫られた。そこで、その尻ぬぐいのために、ファブレス商会のトップ、リチャード・ファブレスと市長は、息子トムとかつてからの因縁のあった男(今はもう名前すら思い出せないが)に罪をかぶせて事件をもみ消したのだ。
その事件の後、宰相は再度新たな調査員を任命しなおし、ミ・ラーイを調べようとしたが、事前にその動きを察知していたリチャードは、調査員を買収することに成功し、事なきを得たはずだった。
だが、おそらくは宰相はその調査結果に満足しなかったのだろう。結果からすると、さらに巧妙に、狡猾に、こちらの目を盗んで、ミ・ラーイの不正を徹底的に調べていたようだ。そして、長い時間をかけて、市長と我々ファブレス商会をはじめとするミ・ラーイの各商会や各業界ギルドとの癒着の証拠を集め、ある日、唐突に、それを我々に突き付けてきたのだ。
まったく言い逃れできないほどに完璧な内容の証拠がそろっていた。なにしろ、どうやって入手したのかわからないが、リチャード・ファブレスしか開け方を知らないはずの隠し金庫の中で、厳重に保管されていたはずの密輸や人身売買、麻薬取引などの隠し帳簿までその証拠の中にそろっていたのだから。
即座に市長は失職し、今やコーナン監獄に収容されて、処刑を待っている状態。そのうちに、ミ・ラーイの広場で火あぶりの刑に処せられるだろう。あのかわいそうな男のように。
一方で、ミ・ラーイの各商会も不正への関与具合に応じて罰を受ける羽目になった。とくに市長との関係が深い我らのファブレス商会が大打撃を受けたのは言うまでもない。
ミ・ラーイの港を拠点に外国との交易に用いていた船舶はすべて取り上げられ、ミ・ラーイやほかの町で得ていた各種特権も反故にされた。創業の地であり、地域に深く根付いていたミ・ラーイにある関係する全拠点・店舗の閉鎖が命じられた。仕方なく、こうして今は王都へ本部を移すこととなったのだ。
まあ、もっともミ・ラーイでの不正への関与具合から言って、処分がその程度ですんだのは、むしろ幸運だったといえるだろう。
なにしろ、密輸、人身売買、麻薬取引だけでなく、高利貸しだとか、闇ギルドへの仲介だとか、資金洗浄だとか、ありとあらゆることをしてきたのだ。問答無用で資産没収の上、廃業させられ、ファブレス家ばかりでなく私を含む主だった従業員が奴隷の身分へおとされていたとしても、おかしくはなかった。
そうはならなかったのは、市長が失脚したまさにその直前に、ファブレス家の当主が代替わりしていたからだった。
あの日、我がマリナス家の他に創業時からのファブレス商会につとめるもう一つの一族の人間と酒を酌み交わしていた。
ファブレス商会の創業は、今から二百年ほど前のことになる。没落した地方貴族の出だった初代ティム・ファブレスが十人のもと従者だった従業員とともにミ・ラーイで貿易商を始めたのだ。
その十人の従業員を祖とする家族は『オリジナル10』と呼ばれ、創業からの五十年間ほどは、ファブレス商会の中で大きな影響力を持っていたものだが、代を重ねるごとに、ある者はライバル商会へ移籍し、ある者は独立して自分たちの店をもちするうちに、ずっと変わらず、ファブレス商会に勤めている家族は私の一族の他、アントラ家の二家だけになってしまっていた。もっとも、他に四家、移籍したライバル商会になじめなかったり、独立したはいいものの商売がうまくいかなかったりで、出戻っている家もあるにはある。
その日、私は家族ぐるみの古くからの付き合いで気心の知れたアントラ家の友人と外へ飲みに出かけていた。私は、いつものように大いに愚痴っていたものだ。
「先代様は、人格者で、たとえ金儲けのためとはいえ、今みたいな汚い商売はなされていなかったのに……」
いつもの愚痴。当主のリチャード・ファブレスはたしかにやり手であり、もともと国内一大きかったファブレス商会をさらに大きくした人物ではあるが、金儲けのためなら手段を選ばない人物だった。
闇ギルドと組んだり、まったく関係のない人間をいけにえにしたり。やりたい放題。それが嫌で、辞めていった従業員も多い。
「人々から恨みを買いすぎだ。このままじゃ、いつかどうしようもなくなってしまう! ロクな死に方をせんぞ!」
「ほら、めったなことを言うもんじゃない。そんなことが旦那様のお耳にはいったりしたらひどいことになるぞ」
「そんなことになったら、私も店を出ていってやるぜ! なにが、オリジナル10だ! そんなもん、知ったこっちゃねぇ!」
「相当酔ってるな。もうその辺にしておけよ。明日も仕事だろうが」
「けっ、これが飲まずにいられるかっての!」
散々、飲みあかし、私たちは肩を組み明かりの少ない運河沿いの夜道を千鳥足であるいていた。
と、
バシャン――
すこし離れた場所から大きな水音が立った。
「なんだ? だれか足でも滑らせて運河に落ちたか?」
「いや、あれは人が踏み外して落ちたっていうよりも、もっと大きな音だったぞ。人よりも大きななにかが運河に放り込まれたみたいな」
水音はそれっきりで、その後は、まったく静かなものだった。運河を洗う波音がリズムよく聞こえて来るぐらい。
この時間、私たちのように運河沿いを歩く人は他におらず、だれも連れが落ちたと騒いでいる人もいない。
「人が落ちたなら、水を掻く音なり、悲鳴をあげたりするもんだよな」
「ああ、そういうのは全然聞こえてこないな」
「ってことは、人が落ちたってわけではないのか」
「だろうな」
暗い水面を見透かすようにして、私たちはしばらくの間、運河の様子をうかがったが、とくになにも発見することはなかった。
そうしてから、私たちは再び帰り道をたどった。
「あ、ちょっともよおしてきた」
「おう、私もだ」
運河の方から軽い水音が二つ重なって聞こえてきた。