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俺様:トム・ファブレス――ファブレス商会のオーナー。ファブレス家当主。
親父が死んで、俺様トム・ファブレスが商会のトップになったのを機に、前任の大番頭ラウレ・ワッズを退任させて、マリナスをその後釜に据えた。だが、直後に例のミ・ラーイの市長の更迭劇があって、俺様のファブレスは創業の地のミ・ラーイから去らなくてはいけなくなった。
まあ、ミ・ラーイには思い出したくもない思い出がいっぱいあって、俺様にとっては、もっけの幸いってところだったのだが。
王都へ拠点を移したファブレス商会は組織の再編を図り、ついでに、組織内での各役職名の変更も行った。
たとえば、まず、それまで『大番頭』と呼ばれていたナンバー2のマナリスは『総支配人』というよりあか抜けた呼び名に代わったわけだ。俺様としては本当のところ『下僕総代』とかの方がよかったのだが、マリナスには例の借りがあるから、その当時はまだ俺様の意志を貫き通すことはできなかった。
そうこうするうちに、俺様は王都で開かれたある会合に出席することになった。
オーシャン・ホエール商会やフリューゲルス商会の当主などなど王都に名だたる名士たちが一堂に会したその会合の後、会場から引き揚げようとする俺様は妙な男に声をかけられたのだ。
スミス商会の当主ロジャー・スミスの代わりに会合へ出席していた男だ。たしか、名をターレとかいったか。
「おお、これは、ファブレス商会のトム・ファブレスどの。かねがねお噂は耳にしておりましたが、初めてお目にかかります」
「えっと? お前はだれだ?」
「ああ、これはこれは、申し遅れました。私、スミス商会のターレと申します。今日はあいにく当主ロジャー・スミスはどうしても外せない急用があり、欠席せざるをえませんでした。申し訳ございませんでした」
「ああ、そうか。うん。まあ、他にどうしても外せない用があったなら仕方ないんじゃないか?」
本当なら俺自身、こんなつまらない会合なんぞすっぽかして、花街へ繰り出したかったところだ。理由をつけてすっぽかそうとするその気持ち、よくわかるぞ。
「本当に、みなさまには申し訳ありませんでしたね」
俺様に詫びられても、正直困るのだが。この会合は俺様の主催ってわけではない。謝るなら主催者にだろう。
「当主ロジャーもみなさまにお会いできることを楽しみにしていたのです。とくに、ファブレスのトム様に」
妙なことを言い出しやがった。なんで、俺様に会いたがるんだ? ロジャー・スミスなんて人間、俺様は知らないぞ?
もっとも、とても偽名っぽい名前だから、本名は別かもしれない。でも、だれだ? 俺様に会いたがるなんて、だれなんだ?
「俺様に? なんで?」
「なんでも、ロジャーも子供のころにミ・ラーイに住んでいたとかで、昔大変お世話になったとか。そのあたりの詳しい話はお聞きしておりませんが」
「そっか。そうか。ロジャー…… スミス…… だが、こちらにはそんな奴に覚えはないが……?」
「まあ、そういうわけで、お近づきのしるしに、これから趣向を凝らした面白いところへご案内いたしましょう。きっとあなた様も大いにお楽しみになられますよ」
「そうか。うむ。なら、たのむ」
「はい、お任せを!」
だが、ターレに連れられて行った先は、中央神殿だった。辛気臭い、抹香くさい場所。陰気くさい。
「さあ、つきました。どうぞこちらへ」
「中央神殿? 面白いところがここか?」
「ええ、そうですよ。まさにここ中央神殿」
思わず怒鳴ってしまう。
「お前、俺様をバカにしてるのか? こんな辛気臭い場所のどこがおもしろいっていうんだ! 帰る! くだらん、時間の無駄だった!」
「まあ、そういわず。私にだまされたと思って、ご一緒ください。大丈夫です。今日は私どもの貸し切りで、あなた様も、十分に楽しめるはずですから」
「はぁ? バカも休み休み言え! 俺様はこう見えても忙しんだぞ! こんな茶番に付き合ってられるか!」
神殿前で散々抵抗したのだが、直後に神殿の大扉が開き、わらわらと屈強な体格の神官たちが飛び出してきて俺様の両脇をつかんで、無理やり連れ込みやがった。
「はなせ! はなせ! バカ者! 俺様を誰だと思っていやがる! 俺様はファブレス商会のトム・ファブレス様だぞ!」
気が付いた時には、俺様は席に座らせられていた。そして、すぐに目の前に運ばれてきたのはハンバーグだった。
その香ばしくもかぐわしい匂い。ジュージューいううまそうな肉汁が焦げる音。思わず、口の中によだれがあふれる。
手が自然と添えられていたナイフとフォークに伸びる。その肉の塊にナイフをいれようとする寸前、その手は横に座るターレによって止められた。
「そのハンバーグをお口になさる前に、すこしだけお時間をください」
「はぁ? なんで? なんで俺様が食い物を前に待たされなきゃいかん! 犬じゃあるまいし」
俺様が抗議している中で、ターレの目配せを受けて、奥から若い女がひとり静々と登場してきた。聖女の服をきた女だ。
最近、王都では聖女の代替わりが行われ、前任の聖女のミレッタ王女殿下は離宮へ病気療養に入られ、新しい聖女が中央神殿で活動し始めたと聞く。とすると、この聖女姿の女がその新しい聖女か。
その聖女、俺様の前に立つと、俺様にむかって微笑んできた。見るものをとろけさせるような美しい笑顔だ。まあ、この程度の美女なら、王都の花街へ行けば五万といるが。
聖女は、俺様に向かって、ひとつウィンクしてきた。
「それでは、これよりみなさまのハンバーグにおいしさ五倍マシマシの魔法をおかけします。私に続いて、ご唱和ください。いきますわよ」
かわいらしい振り付けとともに、胸の前で両手でハートを形作る。そのハートをハンバーグへ向けて押し出しながら、
「おいしくなーれ♪ おいしくなーれ♪ 萌え萌え、キュン♪ さ、ご一緒に!」
隣にいたターレも、
「おいしくなーれ♪ おいしくなーれ♪ 萌え萌え、キュン♪」
「お、おい……」
気付いたら、俺様までも、
「おいしくなーれ♪ おいしくなーれ♪ 萌え萌え、キュン♪」
う…… なんだこれ? 結構、楽しいじゃないか!
そうして、聖女はニコリとしてから、告げた。
「さあ、どうぞ、おいしくなったハンバーグを召し上がれ♪」
そうして、口に含んだハンバーグという料理、最高だった。これまで食べたどの料理よりもうまく、そして、どんな料理とも違っていた。
もう夢中で俺様は食べていた。口の中でその肉の塊を咀嚼していた。
あっという間に、俺様の前のプレート皿はからになっていた。
「おかわり!」
「うふ。はい、どうぞ。おいしくなーれ♪ おいしくなーれ♪ 萌え萌え、キュン♪」
腹いっぱいになるまで、俺様はハンバーグを食べていた。食べるたび、目の前でかいがいしく給仕してくれている聖女様が、とても美しく、かわいらしく見えて来た。
とてもとても神々しく、だれよりもうつくしく。気品があり。輝いて見えて……
もう、王都の他の女なんか目に入らなくなっていた。
四六時中、その聖女のことしか考えられなくなっていた。
俺様にはもうアイリちゃんしかいなかった。アイリちゃん以外の女なんて無価値だった。
ターレ:カッワ・サキーの魔王に仕える人間の有能な文官。フロンの父親。




