プロローグ
近くの物影の中から異様な気配が漂ってきている。といっても、決して不快でもないし、不安を感じるものではない。むしろ、俺にとっては日々身近に感じている気配だ。
「どうだった? 見つかったか?」
影に声をかけると、落ち着いた声で返事がきた。
「はい。陛下(仮)のお探しの人物が見つかりました」
「そっか。誰だった?」
「第二王子の護衛の者です。名をターズと申し、この国の宰相の妹の孫にあたります」
「持っている魔法のスキルはどうだった?」
「はい、『複写』のスキルのようです。見たものを自身の手帳へそのままコピーする魔法のようです」
「了解。他には?」
「はい、その者は王女に仕える人間の侍女と恋仲のようでございます」
「ほう。だれ?」
「ベイスというものです」
「ベイス。ベイス…… そばかす、眼鏡の子かな?」
「はい、その通りです」
「立体刺繍の特技をもっている子だったな」
「よくご存じで」
影の中の気配にかすかに笑いが含まれていた。ともあれ、
「そっか、分かった。ありがとう」
「い、いえ。陛下(仮)のお役に立てたなら、この上ない喜びでございます」
「ああ、すごく助かったよ、ディアナ」
俺がカッワ・サキーからディアナを呼び寄せて、ユリウス王子の身辺調査をしたのは、かすかな違和感を感じたからだ。
先日、ミレッタ姫の命でメッセージを届けにユリウス王子の居室を訪ねた。あいにく、ユリウス王子は所用で出かけており、俺が運んできたメッセージカードは目立つように王子の執務机の上に置いてきた。
それからしばらくして、あのおバカ魔王、気が変わったと言い出した。
『かわいらしくて可憐でけなげな妹風の文面よりも、もっと大胆で情熱的な文面の方がお兄様の気を引けるかしら?』
そして、メッセージカードの差し替えを俺に命じたのだ。
王子はまだ外出先から戻ってきてはおらず、このまま極秘にメッセージを差し替えたとしても、だれも気が付かないだろう。
早速、影渡りをつかって、王子の居室へ忍び込み、執務机のメッセージカードを差し替えようとした。だが、かすかな違和感を感じる。
――なんだ? なんに違和感を感じているんだ?
戸惑いはすぐに晴れた。
――さっき置いた場所から数ミリずれている!
部屋の窓は閉じられたままだから、風が入り込んで移動させたとは考えにくい。だとすると……
影渡りで王子付きの護衛官が詰める控室をのぞいてみると、今は主がいないからか、数人の護衛官がのんびりとした様子で待機しているだけ。王子の居室への入口は控室側のドアだけ。いくらなんでも彼らの目を盗んで、だれかが王子の居室の中へ侵入するなんてできはしないだろう。影渡りが使える黒魔術師や魔族でもない限りは。
なのに、あきらかにメッセージカードの位置が動いている。だれかが俺の置いたメッセージに目を通している。外出中の王子でないのは確かだ。では、一体、だれが?
おバカ魔王に相談するのは論外だ。
ユリウス王子の身の周りにスパイがいるなんて知ったら、ただちにその者を惨殺してしまうだろう。なにしろ、魔王なのだから。でも、わざわざそんなことをして、スパイをつかっている相手に警戒心を抱かせることはない。むしろ、逆にこちらが利用する手だてを考える方が賢明だろう。
というわけで、カッワ・サキーからディアナを呼び寄せて、ユリウス王子の周辺を探ってもらったのだ。
「複写の魔法スキルか。さて、どう利用してやるかな……」