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その袖の下にちょっとした額を忍ばせつつ、エスパル神官の接待を終えた。
中央神殿側とコネができた。つぎにするのは、そのコネをつかって、神殿内部にこちらの息のかかった人物を送り込むこと。つまりスパイだ。
さっそく、人選に入る。
その役目は、中央神殿の内情に目を光らせ、ハンバーグを調理した料理人を見つけ出し、そのレシピを訊きだすこと。その上で、可能ならば、その料理人ごとこちらに引っ張りこむことだ。
そのためには、それなりに人当たりがよくて、抜け目がなく、すべてに目を配ることができて、なおかつ、料理への造詣がある人物がいいだろう。
何人かの候補の中から、私が選んだのはスリーフ・レッチェルだった。
――コンコン
「どうぞ」
「失礼します。総支配人」
「ああ、来たね。レッチェル」
「はい。なにか、私に御用とか? あ、ですが、ちょっと申し訳ないですが、あまり時間がありません。このあと、今日の昼のまかないの件で料理長と打ち合わせする予定があるので?」
――世間一般では、それは普通につまみ食いしてくるというのだがね。
心の中だけでつぶやきつつ、
「いそがしいところ、すまないね。時間はとらせないよ」
「はい、よろしくお願いします」
「実は、君に折り入って頼みたいことがあってね」
「えっ? 私にですか?」
そうして、中央神殿へスパイとして潜り込むことを提案したのだが、
「それは私じゃなきゃ、だめなことですか? 他の者じゃいけないのですか?」
「ああ、ぜひ、君にやってもらいたい」
「ですが……」
まったく乗り気じゃない様子。
「神殿の抹香くさい料理なんて、いまさら……」
「君、ハンバーグって料理を知ってるか?」
「え? なんですか、それは? 人の名前ですか?」
「いや、料理名だ」
私が料理名だと告げた途端、目の奥がキラリと光った。好奇心が刺激された目だ。
「ハンバーグですか…… 不思議な響きですね。どこの料理でしょうか?」
興味津々という様子で、質問してくる。知らない料理名に出会い、ワクワクしているのが伝わってくる。
「なんでも、今度新しく就任された聖女様たちの故郷の肉料理らしい」
「ほお。それは珍しい」
「私も一度食べてみたが、この世のものとは思えないほど、美味だった」
「なんと!」
「でだ。君に頼みたいのは、そのハンバーグとやらのレシピを手に入れてきてもらいたい」
「わかりました。私に任せてください。レシピを手に入れて見せます」
「ああ、頼む。君にしかできないことだ」
そうして、私から資料を受け取り、腹回りについた大量のぜい肉を揺らしながらレッチェルは総支配人室を後にした。
「うむ。あのデブの食いしん坊ならうまくやってくれるだろう。厨房で盗み食いしてるよりかは、何倍も役に立つだろう」
その後も何度かレッチェルと打ち合わせしつつ、一度多額の寄付金をもたせて中央神殿へ向かわせてみた。
もちろん、神殿に潜入させるためではなく、例のハンバーグを味あわせるためだ。
返ってきたレッチェルは、どこか上の空だった。放心している。
だが、間もなく、
「なんですか、あの味は!」
とびきり瞳を輝かせ、息せき切らして話しだす。
「今まで食べたことがない味です。究極の美味です。なるほど。なるほど。総支配人がハンバーグのレシピを欲しがるわけです。あの料理を再現できたなら、王都中、いや、ヨックォ・ハルマ中のあらゆる国で評判をとることは間違いないでしょう! なんなんだ、あのハンバーグという料理は? どうやったらあのような味が生まれるのだ? 分からん! まったくわけが分からん!」
それからは、中央神殿へ潜入する準備に本腰をいれるようになった。
もともとオリジナル10出身で子供のころからそろばんや帳簿のつけ方などを一通り身につけてきたレッチェルだったが、ファブレス商会に入ってからは仕事へかける情熱そのものは今一つだった。
ほどほどにこなせはするが、決してそれ以上ではなかった。当然、人材が豊富なファブレス商会にあっては、目立たず埋もれる存在でしかなかった。
ただ、レッチェルが情熱をむけるモノがひとつだけあった。食べることである。
休日などに町に繰り出しては、町中のレストランを食べ歩いていた。そして、その時に自分の舌で感じた情報を自分なりにまとめ、自宅にファイルしていた。その情報は自分だけで秘匿するわけではなく、周囲にも拡散していた。デートや接待などに仕えるおいしい料理を探す同僚たちに、どこに雰囲気の良いおいしいレストランがあるかアドバイスを送ったりしていた。
いつしか、最新のおいしいものを探すならば、レッチェルに訊けば間違いないという評判がファブレス商会内外で広まっていった。
そんなレッチェルが自ら積極的にレシピ争奪戦に協力してくれるのだ。
これはいける! そんな確信を覚えるようになったのは言うまでもないだろう。