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第9話 ほんの少しの熱には、そっと蓋をする

「もったいないですね」

「何が?」

「髪ですよ。綺麗なのに、あんな色にしてしまうの、もったいなくないです?」

「……」


 返事が返ってこないのが心配になって、殿下の方を見た。けれど、ちょうど彼は向こうを向いていて、その表情が見えない。


「そんなことを言うのはお前だけだ」

「そうですか? 誰の目から見ても、綺麗な色だと思いますけどね」

「……誰もが、皇太子しか見ていないからな」


 そう呟く殿下の声が、少しだけ沈んでいるように聞こえた。

 その声に今までにない空気を感じ取って、私はゆっくりと近づく。その気配を感じたのか、殿下がこちらを向いた。

 真っ直ぐに私を見るその瞳に、見たことのない色が宿っていて、少しだけ驚く。


「顔は何も変えていないのに、軽く弄っただけで、誰も俺だと分からなくなる。周りが見ているのはヴィクターではなく、エルサイド帝国皇太子なんだろうな」

「……」

「別に、それが悪いとか言うつもりはないからな? それが普通で、当然だろう。……あー、悪い、辛気臭くなったな」


 ぐしゃり、とかき回された髪が、柔らかく光を反射した。

 その手を、捕まえた。驚いたような瞳が、こちらを射抜く。


「私が見てるのは、変わらずヴィクター様ですよ」

「……励ましはいらないぞ」

「素直じゃない人ですね」


 やっと、殿下の本心を少しだけ覗くことができたのだ。

 殿下は基本的に、国のことを大切に思っている人だ。皇太子としての覚悟も自覚もある、申し分のない人だろう。そんな彼が、自分の身体を思わない無茶な変身薬の飲み方をしていたことに、ずっと違和感があったのだ。

 その一端を、ようやく、覗いている気がした。


「良いですか。殿下たちが入ってきた時、私は旧友に会えるかと思って皇太子殿下の顔を見ました。そして、明らかに別人だと察し、やったなこいつと思いながら地味眼鏡を探しました。分かります?」

「さらっと失礼だな」

「今更でしょう。皇太子として扱って欲しいならそうしますが」

「いや」


 深くため息をついた殿下が、苦笑した。


「俺の負けでいいから、ヴィクターとして接してくれ」

「言われなくても」


 微笑んだ。少しだけ弱みを見せてくれたような気がして、嬉しかった。

 それが良くなかった。ぽろり、と言葉が零れ落ちた。


「――どうして、私が変身薬に手を出したか、話したことはありましたっけ?」

「いや、ない」

「女は、生まれた瞬間から、子供を産む道具なんですよ」

「……」

「ああ、殿下と一緒で、それが悪いと言うつもりもありませんし普通だと思いますよ。でも私は、それが嫌だったんです」


 懐かしい思い出だった。男になれる薬を扱っているという怪しげな魔女の元に、使いをやったこともあった。


「けれど、男になれる薬なんてありませんでしたから。自分で、作ってやろうと思いました」

「お前らしいな」

「ええ。それに一番近かったのが、変身薬です。まあ、研究するにつれて、流石に無理だと悟りました。色々と、身体の構造が違いすぎます。そこから後は、半分趣味ですね」


 あとは、放っておくとすぐに身体を顧みない飲み方をする、この人のため。それを言うつもりはないけれど。


「……ここは、残念だったなと言うべきかもしれないが、俺はお前が女でよかったと思ってるぞ?」

「どういうことです?」


 ぐいと、身体を引かれた。ソファに座っていた殿下の膝の上に無理やり座らされる。本気の殿下に抵抗しても無駄であることは、この前悟ったばかりだ。諦めて、力を抜く。


「心地良いだろ、こうしてると。柔らかいし、可愛いし、良い匂いするし」

「……っあの」

「なんだ、お互いに婚約者もいないし、良いだろう」

「いい加減言おうと思ってましたが、年頃の男女に許される距離ではないと思うのですが」

「問題ない、誰もいないからな」

「いなくはないですが」

「側近はいないようなものだろう? 口外もしないだろうし」


 だろう、と言っているけれど、その口調は有無を言わせぬもので。確かにこれなら、口外の心配はないだろう。私が側近だったら、怖すぎて無理だ。


「もう少しだけ、こうさせていろ」


 そう言う殿下の声音に、かつてない縋るような響きを感じ取って、私は黙る。

 なんとも言えない、甘い空気が、そこにはあった。なんとなく、口を開くのを躊躇って、結局黙ってその体温を感じている。


 かつては、私には婚約者がいた。けれど、今はいない。

 その事実が胸に染み込むにつれ、少しだけ体温が上がる。


 この関係に、名前がついてしまうのが怖かった。

 私の望む名前は一つだけれど、それは到底気軽に望めるようなことでもなく、私から乞うことが許されるようなものでもない。嫌われていないと思ってはいるけれど、殿下の感情を履き違えて、思い上がるようなことはしたくない。

 だから、この感情にそっと蓋をして、今のままの関係で。


 温かな体温を感じながら、私は体重をふっと後ろに預けた。

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