表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/51

第7話 こんな人だとは思わなかった、けれど ※加筆

 目を覚ました後、丁寧にお礼を言って私の研究室から出て行った殿下が、ここにやってくることはもうないと思っていた。けれど、変わらず、彼はやってきた。

 

 変わったのは、殿下の様子。グレイ様の紳士な様子は、どうやら仮面だったようで。本来の殿下として、彼は私に接していた。


 色々なことを知った。

 僕、だと思っていた一人称は、実は俺、だったこと。少しばかり荒っぽい。

 信じられないくらいに、この私が自分のことを棚にあげるくらい、片付けと整頓が苦手なこと。人の部屋にもかかわらず、容赦なく私物を散らかしていく。腹が立つので、私も片付けるのをやめた。不快に思っている様子がないどころか、その方がいっそう寛いでいる様子だった。最初から片付けなければよかった。

 私の淹れるなんとも言えない味になってしまうお茶を所望するときには、悪びれた様子もなく要求してくること。この味が好きなんだ、なんて言えば、私がほいほいと淹れると思っているところが腹が立つ。断りきれない自分にも腹が立つ。

 時折眠そうにとろりと目が溶けるのは、どうやら変身薬の副作用らしいこと。そしてどんなところでも寝るし、なんなら普段から姿勢も悪いし、一度寝たら一生起きない。そうすると私も帰れない。途方に暮れて爆睡する殿下を見下ろすことが、何度あったか。


 本当に、こんな人だとは思わなかった。

 強引で偉そうで、すぐに人の話を遮るし、生活力がなくてだらしないし、人を揶揄ってその反応を楽しむし。

 本当に、あの時の紳士はどこへ行った。傍若無人を絵に描いたような性格ではないか。性格に難がありすぎる。そう、思うのに。


「殿下」


 声をかければ、ゆるりとその顔が資料から上げられる。その指先が、とん、と一点を指差した。


「ここのことだが」


 そう言って始まった言葉に、あっという間に私は夢中になってしまう。

 そういう意味では、殿下は間違いなくグレイ様だった。圧倒的な聡明さで持って、私の研究に真摯に向き合ってくださる、貴重な人。

 むしろ、かつて紳士として持っていた最低限の遠慮さえ消え、言いたいことを容赦なく言うようになった殿下の意見は、悔しいことにあまりにも参考になりすぎる。

 しれっと後ろにいて、私の研究を覗き込んで色々と議論して。

 常に私の研究は1人だったから、誰かと議論をするということそのものがとても新鮮で、楽しくて。


 研究と、この人に与えられるありとあらゆる迷惑を天秤にかけて、私は散々迷った挙句に研究を取った。


 楽しい時間はあっという間だ。ふう、と少し疲れたように息をついた殿下に、ここまでだろうと自重する。私は何時間でも何日でも大歓迎なのだが、変身薬を常用している殿下は疲れやすいようだ。

 物言いたげに私に向けられている視線は、どうやらお茶を要求しているようで。


 内心のため息を隠そうとして失敗して、不満げに向けられる目を無視して、私はお茶を淹れるために立ち上がる。


 私だって、最初はきちんと皇太子殿下として接しようと思っていたのだ。だが、この人が悪い。

 私が逆らえないのを良いことに好き勝手に振る舞い、堪えきれなくなった私が思わず言葉を漏らした瞬間、楽しそうに笑った。


「その方が良い。これからも、それで頼む」


 あの頃の殿下の好き勝手な振る舞いは、それでもまだ自重していた方なのだと理解したのは、私が諦めて普通に接するようになってからしばらく経ってからのことだった。とはいえまさか公の場でそのような振る舞いをすることもできず、もちろんこの研究室内だけでの話だけれど。

 最初は落ち着かなかったが、もう慣れた。慣れさせられた、と言った方が正しいかもしれない。正直に言ってしまえば、私がこの偉そうな人相手にいつまできちんとした態度が持つか不安ですらあったので、少しばかり安心した。


「失礼します」


 淹れてきたお茶をソファの横のテーブルに置くと、私はだらしなくソファに座る殿下の手を取った。

 この健康観察のような何かにも、すっかり慣れてしまった。きちんとした医者にかかってください、と言っても殿下は頑として首を縦に振らないので、しないよりはましかと私が始めたのが良くなかった。


 そもそも彼は滅茶苦茶な変身薬の飲み方をしていた。顔まで完全に変えて、完全に別人となって私の研究室に入ってきていた。それで生まれた拒否反応を、また別の市販の薬で押さえつけるという無茶苦茶ぶりである。普通に生活できていたことが信じられない。

 止めても変身薬は使うと言うから、彼が常用していた身長と髪色を変えるものを研究して、その拒否反応に対応する薬を作った。作った、と言ってしまうと大仰に聞こえるが、実は偶然にも今までにも一度研究していたものだったので、さほど手間はかからなかった。渡す前は怖すぎて、ありとあらゆる研究所に確認してもらったが。

 絶対の安全を確信するまで研究所に面倒がられながらも迫り、さらには殿下やその側近の方にも殿下を通じて確認を取ったあと、それを渡してしまったのも、よくなかったのだ。


 つまり、見事に、気に入られてしまった。


 その目は閉じられているかと思いきや、大きく見開かれて私を見つめていた。ひとときも揺るがず私を見つめるその青い瞳がなんだか落ち着かなくて、私は目を伏せる。

 手元に意識を集中させていた私に、殿下の低い声がかけられた。


「アイリーン」

「……え」

「なんだ、名前、間違っていたか?」

「間違っては、いませんが」


 最初は、セラーズ嬢。次に、あなた。最近はお前。てっきり忘れられたとばかり思っていた名前を呼ばれ、思わず驚いて手元が狂う。


「どうしてファーストネームなんですか」

「俺が、そうしたいから」

「いや、普通に考えて許されないでしょう。私、婚約者がいるんですよ?」

「……ああ、知っている」


 いつものように何か揶揄われるかとばかり思っていたが、その様子はなく。いつもより口数の少ない殿下に、体調でも悪いのかと一周回って心配してしまう。


「どうしました、あまり殿下らしくないですが」


 そう言って顔を見上げて、驚いた。

 彼は、片手で顔を覆っていた。さらりと揺れる銀の髪と、その手が完全に表情を隠してしまっていて、何を思っているかが読み取れない。いつもと明らかに様子が違うのが分かった。


「体調でも、悪いんですか」


 すっと伸び上がって、その表情を確認しようとする。熱がないか確認しようと、少し躊躇った後にその前髪をかき分けようとした。

 私の指が、少しだけ、ほんの少しだけ、殿下の髪に触れたその瞬間。びくりと、殿下の身体が震えた。そうして跳ね上がった殿下の足が、ちょうど私の足に当たり、これまた驚いた私も体勢を崩して殿下の上に崩れかける。


「す、すみません!」


 どうにか殿下を押しつぶすことだけはしまいと、ソファに手をついて身体を支える。その急激な動きに驚いたのだろう、殿下が腕を退けて、私を見上げた。

 体調が悪い、わけではなさそうだ。顔色はいつも通りで、少しほっとする。


 けれど、その顔はどこか、苦しげだった。少しだけ寄せられた眉と、いつも強い意志を持って輝く青い瞳が伏せられている様子には、妙に不安を掻き立てられる。


「……何か、ありました?」

「……」


 どこまで踏み込んで良いものかわからないけれど、躊躇いがちに問いかける。応えはなくて、機嫌を損ねてしまったかと心配になる。

 そういえば私は、殿下の上に崩れかけた体勢のままで。慌てて飛びのこうとした腕が、掴まれた。


 今度こそ、私は綺麗に体勢を崩した。

 後ろに下がろうとしていたところを、急に前に引っ張られたのだ。誰だって崩すだろう。


 倒れかけた私の身体を、もう片方の手が優しく支えた。

 その優しさが、少しばかり予想外だった。


「殿――」


 文句を言おうとした声は、途中で止まる。

 私に触れる手が、少しだけ、震えているような気がしたからだ。


 離してください、の一言を言っていいか分からず、私は黙る。しばらくそうしていると、殿下が、静かに手を離した。


「……悪い」


 短く告げられた謝罪は、やはりどこまでも殿下らしくはない。

 困惑が隠しきれていないであろう私の表情を無視して、殿下は笑った。


「というわけで、これからはアイリーンと呼ぶ」

「何が、というわけで、ですか。文脈ってご存知です?」

「俺の中では繋がっているから問題ない。拒否権もない」

「……せめて、人前では控えてください」

「善処する」


 そう言って楽しげに微笑む殿下に、今までの様子はかけらもない。きっと触れられたくはないのだろう、ということを察して、私も追及はしない。

 親しき仲にも礼儀あり、と言う。なんでも話すことは必ずしも得策ではない。


 親しき仲、なんて自分で思ってしまったのは癪だけれど。悔しいけれど。

 結局私は、色々と文句を言いつつも、殿下の隣で過ごす時間を、それなりに楽しんでしまっていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ