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第46話 いつぞやを思い出す

 全ての視線が、地味眼鏡を探して彷徨った。

 けれど見つけきれなかったのか、諦めたように視線が私に戻ってくる。さすがは地味眼鏡だ。


「アイリーン、前触れなく俺に話を振るな。驚いたぞ」

「ヴィクター様なら、問題ないでしょう」


 ぽっかりと空いた空間に、ゆっくりと歩を進める地味眼鏡。


「……な」


 小さく声を漏らしたのは、誰だったか。

 突き刺さる多くの視線を気に留めることもなく、ヴィクター様はゆっくりと伸びをする。ほとんど引っかかっているような状態だった眼鏡を外すと、ひょいと放り投げた。


「殿下、軽率に投げるのはやめてください。意外と高いんです、眼鏡」


 軽く受け止めたのは、ライアン様だった。


「アイリーンちゃん、ほら言われた通り持ち込んだよ。身体検査潜り抜けるの大変だったんだから、感謝してよね」


 レオが、ヴィクター様に小瓶を渡す。言うまでもなく、解除薬だ。

 それを受け取ったヴィクター様が、躊躇わず口元に持っていく。その喉が一度、動いた。


「ヴィクター殿下……」


 誰かが、囁く声が聞こえた。


 さらりと揺れる銀糸。その奥で美しい光を持って前を見据える青の瞳。

 エルサイド帝国皇太子、ヴィクター・エルサイドその人は、薄い唇を少しだけ持ち上げて笑った。


 ゆっくりと私の方へ歩いてきたヴィクター様は、丁寧に私を抱き起こした。後ろ手に縛られた縄が外れたのがわかった。ヴィクター様を真似て、私もゆっくりと伸びをする。


「全くお前、話が長いぞ。俺の出番までが長すぎて寝るかと思った」

「切り札は最後まで取っておくものです」

「聞こえはいいけどな、実は楽しんでただろう」

「否定はしませんが。私もさすがに緊張はしてましたよ」


 そう言った瞬間、ヴィクター様の手が私の胸元に触れる。


「ちょ、ちょっとどこに触ってるんですか!?」

「本当に緊張していたのか確かめてやろうと思ってな。それともなんだ、期待したか?」

「黙ってください」

「ほんと、相変わらずだねジェクター殿下とアイリーンちゃん。見てらんないんだけど」

「我慢しなくても迷惑、我慢しても迷惑なんですから困ったものです」

「誰が存在自体が迷惑だって?」

「誰もそこまで言ってません」


 なんとも緊迫感に欠けるというか、気の抜けた会話に、周りの人が絶句しているのがわかった。相変わらず、いついかなる時でも、この人たちは通常運転だ。


「ヴィクター殿下。心より、ご帰還を嬉しく思います」


 その雰囲気を最初に破ったのは、ユースタス殿下だった。

 恭しくそう言い、真っ直ぐにヴィクター様に首を垂れる。それを少しだけ首を傾げて見たヴィクター様は、その視線をヴァージル殿下へと移した。


「ヴァージル」

「……はい」


 まだ衝撃が抜けきらないらしいヴァージル殿下は、幽霊でもみたかのような目でヴィクター様を見つめている。いや、実際に幽霊を見たようなものか。


「これが、現実だ」

「……」

「分かるか? お前は利用された。あの男は俺を殺したと言い、それを交換条件にガーディナの自治を認めさせたようだが、残念ながら俺は生きている。最初から、自分は罪を被らないまま、お前だけを上手く利用して自治を得ようとしていたんだろうさ」

「……」

「ヴァージル殿下」


 ライアン様だった。ゆるりと綺麗な微笑みを浮かべて、ライアン様が優しく囁く。


「ヴァージル殿下は、ユースタス殿下に騙されていただけです。すなわち、ヴァージル殿下も被害者です。全ての責任は、本当の首謀者に課されるべきでしょう」

「そう、か」

「はい。どうか、お話しいただけませんか。ヴァージル殿下以外知らない真実を」

「……全て、あいつのせいだ」


 低い声で呟かれた言葉。それを遮ろうとしたのか、ユースタス殿下が立ち上がった。その肩に、とん、と手が置かれる。

 レオだった。


 そのままレオは楽しそうに笑って、ユースタス殿下の耳に何事かを吹き込む。その瞬間、ユースタス殿下が静かになった。

 大方、ここで反論すれば罪を認めたも同然、とでも言ったのだろう。

 ユースタス殿下を囲むあれほどの護衛の中に、気づかれもせずに入り込んだレオは、一体どうなっているのだろうか。


 そうしてヴァージル殿下の口から語られた真実は、ほとんど私たちの予想通りだった。

 先に話を持ちかけたのはユースタス殿下。ガーディナの新興勢力に協力し、将来的にはガーディナの自治を認める代わりに、ヴァージル殿下にとって目障りで仕方のないヴィクター殿下を暗殺する。


 ユースタス殿下にとってもヴィクター様は目障りだったのだろう。あれほど優秀で油断のならない人だ。正面切って暗殺しに行くのは無理でも、ヴァージル殿下の協力があるとなると話は変わってくる。


 1番の収穫は、手紙が残っていたことだった。ヴァージル殿下とユースタス殿下のやりとりの証拠。

 いざというときにユースタス殿下を脅すために取っておいたらしいが、逆に脅される材料になっている。さすがの厳重な保管だったが、場所さえ分かってしまえば確保は容易い。


「ユースタス・ガーディナ」


 全ての話を聞き終えたヴィクター様は、ユースタス殿下を真っ直ぐに見つめた。


「何か、言いたいことは」

「……」

「まだ証拠がないというか? お前とヴァージルがやり取りしていた手紙の保管場所には、もう人を向かわせた。より正確に言うと、俺の配下のものが話を聞くなり飛び出していった。優秀だろう? エルサイド内の手紙の破棄競争で、あいつに勝てるとでも?」

「……ふ」


 笑い声、だった。

 身体を震わせて笑ったユースタス殿下が、その赤い目をヴィクター様に向ける。

 そこに浮かぶのは、紛れもなく憎悪だった。今までの情熱に燃える王太子としての仮面をかなぐり捨てたユースタス殿下は、はっきりとその黒い感情を露わにした。


「そうだ! 俺が、やった」

「ようやく認めたな」

「ああ、だが、だから何だ?」

「何だ、というと?」

「俺が何をしようと、それはガーディナのためだ! ガーディナの独立のため! その事実がある限り、民が俺に失望することはない。全ては、我らの王国のためだ! 侵略者エルサイド、俺は最後まで戦う! あの栄光を、もう一度取り返す!」

「勝ち目があるとでも?」

「普通だったら、ないだろうな」


 ユースタス殿下が片手を上げた。周りの護衛が、一斉に立ち上がった。


「ここにはな、エルサイド帝国皇太子、皇太子妃、第二皇子がいる。人質としては十分すぎると思わないか?」

「人質になる前に、一つ、ご提案があります」


 ライアン様とレオがいる限り、そうそう簡単に人質になることはないだろうが、無用な戦闘は避けたい。誰かが怪我をしないとも限らない。


「は?」


 ユースタス殿下の目が、こちらに向いた。どうやら、忘れられかけていたらしい。そんなことだろうと思ったが、少しばかり不本意だ。


「変身薬の解除薬、飲んでいただけませんか」

「……それに何の意味がある?」

「私にとっては意味のあることです」

「なぜ飲むと思った? 毒でも入っていたらどうする」

「先程ヴィクター様が飲んだものですよ? 気になるなら私も飲みますが」

「それは却下だ」

「ヴィクター様」

「気になるなら俺が飲む。アイリーンが飲んだものをこいつに渡せるか」


 じとりと、ヴィクター様を見つめる。


「そんなこと言っている場合ですか」

「ああ。俺にとっては死活問題だ」

「私の見せ場を邪魔しないでいただけますか。ほら、せっかくの緊迫感が台無しじゃないですか」

「アイリーンちゃん、何だかジェクター殿下に似てきた?」

「ですね。そっくりです」

「2人とも、やめてください」

「おい!」


 そうだった、この人がいた。

 私たち4人に綺麗に存在を無視されたユースタス殿下が、苛立ちを隠さずにこちらを見つめる。


「そうでした。もし私の想像が間違っていたら、何も起こりません。不利益はないですから、飲んでください」

「断る」

「そうして頑なに断るという事実が、周りの疑いを強めていると分かりませんか? 周囲の人の懸念をなくすという意味でも、飲んだ方が良いと思いますが」

「……」

「飲めないんですか?」

「いや」

「では飲んでください」


 ヴィクター様から受け取った小瓶を、そのままレオに渡す。私は近づかない方が良い。何かあった時に抵抗できない。

 先程の一幕でレオの恐ろしさを思い知ったのか、護衛の人も動けない様子だ。


 軽々と、散歩をするようにユースタス殿下に近づいたレオが、その小瓶を差し出す。


「ユースタス殿下、飲んでください」


 もう一度促すが、応えはない。


「レオ、もういいです。かけちゃってください、それで十分です」

「え、ほんと? 可愛い顔して、えげつないことするね」

「いつぞやを思い出すな」

「安心してください、あれは普通に広く使われている解除薬です。無害です」

「ほんとに、かけちゃっていいの?」

「どうぞ」


 そう言った瞬間、レオの手がひらめいた。

 目にも留まらぬ速さで撒き散らされたその液体は、容赦なくユースタス殿下に降り注いだ。

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