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第43話 攻守交代、本当に無理

「ヴィ、ヴィクター様」

「なんだ、急に素に戻ったな。先程までのお前も暴力的に可愛かったが、いつものお前も可愛い」

「ど、どうしたんですか!」


 押しのけようとした手を、逆に捉えられた。私の両手を、軽々とヴィクター様の片手が絡めとる。頭の上でしっかりと押さえつけられた。まずい、これだと表情が隠せない。


「どうもこうも? 2人きりなんだから、我慢する必要もないだろう?」


 そう甘く微笑んで、ヴィクター様が私の頬に軽く口付けを降らせる。本当にどうした。この人誰。助けて。心の中で大騒ぎするも、当然誰にも届くわけはなく。

 その甘い雰囲気とは裏腹に、その目が怖い。おそらくヴィクター様は、怒っている。いや、怒っているとは少し違うか。おそらく私の最後の発言が良くなかった。ヴィクター様の虚勢を、どうやら本当に粉々に砕いてしまったせいで、きっとプライドというか、そういうものを滅茶苦茶に刺激してしまったようだ。

 多分、ヴィクター様は、仕返しをしようとしている。


「あ、あのですね!」

「ん?」


 心ここに在らず、と言った様子で答えるヴィクター様は、私の首筋に顔を埋めている。くすぐったいのでやめてほしい。妙な声が出そうになる。

 もう片方の手は、ずっとゆるゆると髪を梳いていた。長い髪の毛が好き、というのは本当に嘘ではないらしい。


「ちょっと、離れませんか!」

「嫌だ」

「嫌って、子供じゃないんですから!」

「んー」


 聞いていない。今度は私の耳に唇を這わせるのに夢中らしいヴィクター様は、私の言葉を全て聞き流す。やめて、本当に、無理。


 ふ、というヴィクター様の吐息の音。その指先が耳の後ろをなぞる感触に、時折触れる唇が奏でる湿った音。

 次々に直接耳から流し込まれる音に、全身がざわりと震えた。


「やめてください!」

「アイリーン」

「会話をしてください!」

「可愛い」

「もう無理です私が悪かったのでやめてください!」


 色気も何もかなぐり捨てて絶叫すれば、ヴィクター様が吹き出した。私を押さえつけていた手を解放しながらも、身体を折り曲げて声にならない笑いを続けている。


「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」

「いや、悪い、相変わらずというか、色気のなさが面白くて」

「すみませんね情緒がなくて!」

「まあ、お前らしくて俺は嫌いじゃない」

「素直じゃないですね。好きって言ったらどうですか」

「ああ、好きだ」

「……っ」


 口籠もった私を楽しげに見つめたヴィクター様が、私を抱え込んでソファに腰掛ける。定位置、というか。久しぶりのこの体勢に、なんだかほっとしている自分がいた。


「ところで、アイリーン」

「……不安しか浮かばない話の始め方ですがなんでしょう」

「限界だ」

「何がです」

「我慢」


 ヴィクター様がそう短く言った瞬間、くるりと視界が回った。

 ソファの上に私を押し倒すようにして抱きしめ、私の首元に顔を埋めるヴィクター様。すん、と匂いを嗅ぐような仕草を感じ取った瞬間に、気がつけばその髪を強く引っ張っていた。


「……痛い」

「でしたらやめてください!」

「無理」


 かぷり、と首筋をゆるく噛まれる。途端に背筋に走り抜けた感触に、妙な声が出そうになるのを必死で抑える。抗議するようにその頭を叩いても、全て無視される。


「やめてくださいって言ってるじゃないですか!?」

「本当に?」

「本当です! 今すぐやめてください」

「無理だな」


 ヴィクター様らしくなく、何度も繰り返される単純で直接的な言葉。いつもの皮肉っぽい口調はなりを潜めている。もしかしたら、死にかけている、というのも嘘ではないのかもしれないと思った。


「今の話の流れ、やめるところですよね! 本当に私がやめてと言ったらやめるんじゃないんですか!?」

「お前の前だと、理性が死ぬ」

「……っ殺さないでください!」

「無理」

「何回言うんですか!」

「無理なものは無理だからな」


 無理。

 しつこいくらいに繰り返されるその言葉が、ヴィクター様の余裕のなさを表しているようで。

 そう思って見てみれば、今日のヴィクター様は些か性急だ。普段だったら、口では色々言いながらも、なんだかんだ羞恥で死にそうになる私に配慮してくれる。待って、といえば不満そうにしながらも待ってくれるし、やめて、といえば渋々やめてくれる。

 もしかしたら、ここまで余裕なく求められるのは、初めてなのかもしれない。


「……分かりましたよ! 好きにしてください!」


 そう気づいた瞬間に、悪くない、なんて思ってしまう私も、やはりどうかしているとしか思えない。


「言ったな?」


 後悔、した。

 目が完全に据わっている。余裕なく私を見つめるその瞳は、強烈な熱を含んでいた。


「い、いや、その言葉の綾と言いますか」

「好きにして、いいんだな」


 焦げるような熱を持った言葉に、もはや逃げるのは不可能だと悟った。

 さすがに。こんな時間なのだから、自重すると、思いたい。完全にヴィクター様の理性が逃亡していないことを祈るしかない。


「アイリーン」


 唸るような、吐き出すような。掠れて余裕の消え去った声で、ヴィクター様は私の名を呼ぶ。たったそれだけで頬を染め上げてしまった私の姿を見て、ヴィクター様の手にぐっと力がこもる。


 それから先のことは、思い出したくない。

 色々と何もかもがすごすぎて、しばらく動けなくなったとだけ、言っておこうと思う。


 教訓。ヴィクター様を、我慢させてはいけない。


 そう心に刻み込むには、十分すぎるほどの一幕だった。

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[一言] アイリーンは尊い犠牲となったのです……?
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