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第42話 最後の最後でやらかした

「アイリーンか。なんだったんだ、ライアンは」

 

 ソファに転がったまま、目だけをこちらに向けてヴィクター様が聞く。その姿に心臓が跳ねそうになって、慌てて胸を押さえた。よく考えれば私たち、結婚しているのだ。本当に、何をやっているんだろう。

 正気になってはいけない。落ち着いて考えたら、何もできなくなる。


 ふう、と息をつくと、まるでそれが当然かのように、ヴィクター様が転がっているソファの隅に腰掛けた。ちょうど、ヴィクター様の頭の隣だ。


「いえ。少し、散歩をしていただけです」

「……」


 返事がない。反応が怖くなってそれとなくそちらに目をやれば、ヴィクター様が無言でこちらを凝視していた。

 しばしの沈黙の後、ヴィクター様が呟く。


「ライアンの入れ知恵か?」

「……」


 助けてほしい。始める前に、終わってしまった。

 けれど今更後には引けない。ばれてしまったが、計画を続行するまでだ。ヴィクター様の言葉には軽く小首を傾げて答え、ヴィクター様の隣で持ってきていた本を開く。


 アイリーン様。できるだけ、話さないようにしてください。


 繰り返し、念を押された言葉。私が話すと計画が色々と台無しになるらしい。普通に失礼だけれど、口を開けば愚痴が出てしまう気もするので、今は大人しく黙っている。愚痴は厳禁だ、とものすごい本数の釘を刺された。


 そうして本に目を落とす。ぱさり、と顔に被さってくる髪の毛の、ちょうどヴィクター様に向いている方を、片手で押さえた。軽く耳にかけるようにして、少しだけ手のひらから溢す。

 恥ずかしい。この、明らかに誘惑してます、という自意識過剰な何か、今すぐやめたい。そう主張したけれど、殿下には効果は抜群なんです、としつこく言われて諦めた。ライアン様曰く、ヴィクター様は長い髪の毛が好きらしい。伸ばしておいてよかった、なんて思っていなくもない。


 少しだけ、ヴィクター様が動く気配がした。咄嗟に見てしまいそうになるのを必死で抑え、文字だけに集中する。当然内容など何も入っていない。そっとページを捲った。動作はゆっくり、が基本らしい。


 最初は姿勢良く座っていたのだが、それも少しだけ崩す。背もたれに寄り掛かるようにすれば、私の腰にヴィクター様の髪の毛が少しだけ触れた。普通ならそんなこと分かるはずないけれど、どうやらヴィクター様の頭がびくりと揺れたらしく。その振動が、伝わってきたのだ。


 次は、眠そうな様子をするといい、らしい。ライアン様によると、ヴィクター様は無防備な私が好きらしい。寝顔は最高だと力説していた。意味が分からない。

 けれどまさか本当に寝てしまうわけにはいかないので、あくまでも眠そう、くらいだ。


 少しだけ目を細めれば、また、隣でもぞ、と動く気配がした。

 やめていいだろうか。恥ずかしい。こんなことなら、素直に甘えておくべきだった。後悔するも、もう遅い。


 目を細めて、口元に手を当てて小さく欠伸をする。髪の毛から手を離したからか、ぱさ、と髪が落ちて顔の横を滑った。


「アイリーン」


 突然声をかけられ、私はゆっくりと顔をあげる。あくまでもゆっくり、だ。後、愚痴は禁止。しつこく言われたことを思い出しながら、私は落ち着いたふりをして答える。


「なんでしょう」

「……」


 答えはない。また、呼んだだけ、というやつか。けれどここで文句を言ってはいけない、らしい。ライアン様に言われた通り、そっと名前を呼び返す。ここまで予想していたライアン様、強すぎる。


「ヴィクターさま」

「…………なんだ」


 長い間があって帰ってきた言葉に、少しだけ微笑んで答える。


「呼んだだけ、です」

「あのな」


 苛立ったような声で返され、途端に身体が強張る。まさか、ばれたか。いや、もうばれているのだけれど。

 ぐらりと、視界が揺れた。ヴィクター様が勢い良く身体を起こしたせいで、ソファが揺れたのだ。けれどヴィクター様は私に触れることはなく、そのまま言葉を続ける。これは虚勢らしいが、全くの平常に見える。私が分からないのではなくヴィクター様が凄すぎるのだと声を大にして言いたい。


「ライアンに、何を言われた」

「……何を、と言いますと」

「先程からお前が可愛すぎて困る」

「……っ」


 叫ばなかった私を誰か褒めて欲しい。突然そういう言葉を叩き込まないでほしい。こちとらなんの準備もしていなかったのだ。お願いだから報連相を徹底して。3秒前くらいに予告して。

 ここで照れて叫んだり文句を言ったりしたら負けだ。そう、負けだ。一周回って、闘争心のようなものが湧いてきた。よしやれる。


「ありがとうございます」

「やけに素直だな。怖いくらいだ」

「ヴィクター様ですから」

「……」


 アイリーンちゃん、ジェクター殿下は絶対、あなただけ、って言葉に弱いから。

 そう言っていたレオの言葉を思い出して実践してみたら、ヴィクター様が黙った。あの、ヴィクター様が。普段だったら皮肉の一つや二つ、流れるように出てきそうなものなのに。

 この私が、珍しく優位に立てている。なんだか、楽しくなってきた、かもしれない。


 ここで、抑えた欠伸をもう一つ。好都合なことに、ヴィクター様は身体を起こして隣に座っている。やるしかない。

 ふう、と息をついて。眠くてたまらない、という風に、あくまでも自然に、ゆったりと、隣のヴィクター様に寄りかかった。

 その瞬間、その動きがぴたりと止まった。肩には届かないので腕に寄りかかるようになってしまったが、そんなところまで驚くほどに強張っている。

 手に持っていた本を置いた。ヴィクター様に身体を預けて、目を閉じる。触れる体温が、温かかった。


 どうしよう、まずい。本気で眠くなってきた。

 言い訳させて欲しい。最近は忙しく睡眠を削りがちだった上に、今日も一気に色々と起こりすぎて疲れていたのだ。それに、ヴィクター様の隣は、普通に心地良い。先程までの緊張もどこへやら、うつらうつらし始めた、その時。


 突然身体が浮いたような感覚に、はっと覚醒した。気がつけば、私を後ろから抱きしめるようにしたヴィクター様ごと、私はソファに倒れ込んでいた。

 既視感だ。前には良くあったことだ。思わず、微笑んでしまう。


「……なんだ」


 私の微笑みを感じ取ったのか、ヴィクター様が拗ねたような声音で言う。


「いえ。久しぶりで、嬉しいな、と」

「……本当に今日のお前、どうなっているんだ」

「今日も何も。私はずっと、その」


 肝心なところで照れるな私!

 必死で己を奮い立たせ、どうにか口にする。


「こう、したかったです」

「……っ!」


 耳元で、う、とも、く、ともつかない小さな声が聞こえて、勝ったことを確信する。多分、うまくいった。甘えられた、と思う。

 無理矢理身体を回して、ヴィクター様の方を向いた。途中でそれに気が付いたらしいヴィクター様に阻止されかけたけれど、不意をついたからかどうにか回り切れた。そうして、吐息がかかるほどの距離で、ぴたりと目が合う。


 その、真っ赤に染まった頬に、指をそわせた。その瞬間にびくりと震えた身体が、髪の隙間から覗く真っ赤な耳が、愛おしくて堪らなかった。


「ヴィクターさま」


 そうして、頬を寄せて、とどめの一言。


「愛してます」


 そう言った瞬間、ヴィクター様に捨てられた。比喩ではない。文字通りの意味だ。

 ヴィクター様は、ぴったりと密着していた私の身体を引き剥がし、慌てたようにその隙間から抜け出す。そのまま、窓のところまで歩いて行ってしまう。

 1人ソファに取り残される形になった私は、呆然とその後ろ姿を見ていた。


「あの、ヴィクター様」

「今、話すな」

「え」

「待ってくれ頼む」


 ふう、とヴィクター様の大きな溜め息が聞こえた。長い時間をかけて、震える息を吐き出したヴィクター様が、一拍置いて口を開いた。


「ライアン、覚えとけ」


 その不穏な呟きに、反射的に返していた。


「ぐっときました?」


 失言に気づくも、もう遅い。ついいつものように返してしまった。心の中で、ライアン様とレオに謝罪する。ごめんなさい、やらかしました。

 それを聞いた瞬間、へえ、と不穏に呟いたヴィクター様が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。その表情はもう、いつも通りだ。違う、いつもより、断然、怖い。

 真っ黒な笑みを浮かべたヴィクター様が、唇だけを持ち上げてゆらりと笑う。


「アイリーン」


 ソファの上で、私に覆い被さって、ヴィクター様は蕩けるように私の名前を呼んだ。

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